You are an idiot | Study Hard

You are an idiot

 お前ら、なんで木っ端政治家の宣伝に必死なの?
 政治屋どものやり口を知らないの?
 軍人勅諭になんて書いてあった?

 本当に未熟だな。

【専門性】
 いい機会だから、ここで書いておくと、専門家とは、それに専門性を見出し追究するものに他ならない。それで生活しているかどうかというのは、単に一身上の都合と結びついた相関であって、専門性と直接の因果関係にはない。
 たとえば、自動車の運転について考えてみるといい。自動車の運転のプロと言えば、第一にレーサーなどが思いつくだろう。一方で、自動車の運転で飯を食ってる人といえば、トラックやタクシーの運転手などが大多数だ。レーサーがプロであることに疑いはないだろうが、後者の専門性はまったく人による。また、レーサーとタクシー運転手では求められる専門性が異なることも、容易に理解されるだろう。
 学術は専門性の最たる分野で、まさに個々の学者、集団、学派が、ここに専門性があると毎日主張を繰り返している。学術者に求められるのは、日々新たに専門性を発揮することであり、その最も輝かしい功績は新分野の開拓として刻まれる。専門性の発揮の結果として集積された知の体系を利用することは、その利用技術自体にまた専門性がありうるとはいえ、それ自体で専門的とまでは呼べない。
 そこに専門性があると正確に見抜ける人こそが専門家であり、そこではじめて、制度や社会からの認知に繋がっていく。

【専門家】
 上の文章だけだと違和感を覚える人もあるかもしれない。というのも、一般に専門家の大半を占める技術者についてあまり考慮していないからだ。
 技術者が専門家たる所以は、特定の知識や技術を身につけているからではなく、それを専門性をもって発揮できるからに他ならない。つまり、どこでどの技術を発揮すべきかを有機的に理解しているからこそ、技術者は専門家なのだ。専門家としての技術者とは、ツールをタスク全体の中にどのように位置づければよいか知っている人のことであり、ツールの使い方を知っているだけの人のことではない。

【制度上の専門家】
 資格者とは、専門家であることを強く期待される人のことであって、それ自体は専門性を保証しない。しかし、資格者として振舞う以上は、法律や社会によって、専門家でなくてはならないと制限される。
 国や制度によって資格者の扱いはまったく異なるが、なんにせよ資格者とは専門家であることを要求される人々であって、所得を保証された人たちのことではない。多くの人が後者を期待するあまりに、専門性と所得水準を取り違えるが、よくある間違いの例として記憶されるのがよいだろう。
 これがいつの時代にも見られることは、山本義隆「古典力学の形成」212-213ppに引用されている「大博物学者ビュフォン」のくだりを読めば理解されるだろう。

「この18世紀には, 科学はまだ知的ステイタスを得ていなかったし, 19世紀に見られるようなブルジョアの威厳にもなっていなかった. それは単純な理由による. 1725年頃に科学を学んでも医学とコレージュでの教育以外, 就職口がまったくなかったからである.」

【前近代】
 多くの人が専門家だと思っているのは、専門性が広く認知され、保護され、それゆえ一定以上の所得を保証(期待)され、結果として高い社会的地位を有するところの専門家のことだろう。
 所得水準によって専門家を分類するなどというのは、まったく古き良き成長の時代の発想で、人々が所得水準によって消費し、所得階層によって何を消費するかが大まかに決定されていた、そんな時代を彷彿とさせる。限界消費性向が0.9を超えている学生なら実感が沸くかもしれないが、そんな学生時代の妄想にとりつかれて一生を誤り資格者に転落してしまうというのも哀れな話だ。
 下らない話だが、経済人にとって、政治屋のように露出するというのは恥ずかしいことで、事業がうまくいっていない証拠とさえとられかねない。本当に高所得の優れた人たちは誰にも知られていないし、それは彼らがうまくいっているからに他ならない。
 なんにせよ、専門性と高所得は分けて考えるべきだし、まずは専門性についてよく理解する必要がある。専門性とは何かが明晰に見え始めれば、高所得への道も何の問題もなく見える。もちろん、その道を選ぶかどうか、うまくいくかどうかは、その人の専門性次第だろう。