(*ここでいう「部活」とは、主としてスポーツを主体とする、いわゆる運動部(体育会)系のクラブ活動であることを前提として説明します。)





UBQの卒業生で、部活に打ち込んで全国的なレベルの好成績を収め、なおかつ、難関大学に進学した人がいます。


その人のことを、UBQのある後輩が、





「あれだけ部活をしっかりやりながら、それでも難関大学に進むなんて、すごいことだ」





と評しました。





私はその生徒に対し、こう答えました。





「それは違います。部活をしっかりしているからこそ難関大学に進んだのです。部活も満足にできない、部活でだらだらと練習するような人は、受験勉強でもやはりだらだらと時間を過ごしてしまうものです










これは何も、統計をとったわけでもありませんが、しかし、社会でリーダーとなって活躍しているような人には、学生時代、何かのスポーツに打ち込んでいたという方も数多くいらっしゃるようです。












そもそも、部活と受験勉強の両立という言葉自体がおかしいのではないでしょうか?







「部活が大変だから部活をやめて勉強に専念する」と言って、部活を中途半端にやめ、それで学業成績が上がったなどという話は、あまり聞いたことがありません。





部活をだらだらとしていたような受験生は、結局、部活をやめたところで、それで浮いたはずの時間までも、テレビを見たりゲームをしたりして、やはり、だらだらと過ごしてしまうものです。





はっきり言いましょう!





部活が大変だから受験勉強ができない、成績が上がらないというのは、部活を言い訳にしているのです。





何でもそうですが、自分に言い訳をするような人間が、受験勉強であれ部活であれ、うまくいくとは思えません。







長山も、スポーツ団体の指導員の資格を持っていますから、スポーツの重要性については認識をしているつもりです。





特に体育系の部活の効能については、以下の3つがあると思います。












(■1)部活で厳しい練習をしておれば、その厳しさに耐えられるだけの精神的忍耐力・判断力が養われることです。それは受験勉強にも社会に出てからも、活きるはずです。単に根性論だけで、無意味な体力を損耗させるだけの部活は否定します。





(一例:地獄の東海大学潜水訓練センター:数キロ泳いだ後で、足の立たないところで立ち泳ぎを10キロの重りをもって訓練させられると。少々の海が荒れても冷静に対応できる。東海大学潜水訓練センターの厳しさについてはみんな誤解している。私の時も数人夜逃げしたが、ただ根性論や精神論で厳しい訓練をしていたわけではない。すべてが科学的な理論に基づいている。だから、私はライセンスを取った後も、2回も受講した。(警告ダイビングは体力でやるものではない!体力の限界を知ることにより安全管理に繋げるための訓練である。))


「部活で疲れた」。それはそうかもしれない。疲れたれたけれども、そこで養った忍耐力によって、もう少し頑張って明日の授業の予習をする。勉強を続ける。これが部活の目的なのです。










(■2)スポーツというのは、単にいたずらに、しんどい思いをすれば上達するという性質のものではないことです。





たとえば、水泳を練習していると、力の使い方がうまくなります。


平泳ぎをするとき、初心者は息継ぎの時に大きく頭を挙げます。練習することによって、エネルギーの使い方がうまくなるのです。ぎりぎりまで顔を上げ、息継ぎをすることを身につけます。


クロールでも、練習により力をセーブしながら速く泳ぐことができるようになります。上達している選手は、息継ぎの時に半分ぐらいしか水面に口を出していません。





このように、効果的な努力の仕方、すなわち、体力や時間をうまく使うこと、ひいては無駄な体力を使わないことを、部活をとおして学ぶことができるのです。





(■3)エネルギー・体力あるいは努力のバランス感覚が身につくことです。





どんなスポーツ(部活)でもそうですが、最初から最後までフルパワーでする必要はありません。





プロ野球の選手は、バッターボックスに立った時に、バットがすっぽ抜けて飛んで(飛ばして)しまうことがよくあります。


しかし、素人がそのようなことをすることはあまりありません。


つまり、プロ野球の選手は、比較的軽い力でバットを握り、瞬間的に必要な力を発揮しているそうです。





サッカーでも同じで、試合中、最初から最後までやみくもに全力で走っているわけではありません。


状況を判断して、ここぞという場合にこそ、全力を出しているのです。





ですから、たとえば、3時間練習をするとすれば、その3時間全部をフルパワーで練習するのではなく、効果的に乗り切ることのできる、バランス配分が身につくのです。












さて、以上の3点は、もちろん、スポーツだけに限った話ではありません。


勉強でもそうです。





ただやみくもに根性や精神論で、時間をかけてひたすら努力すればいいというものではありません。





社会に出てもそうですね。朝から晩までひたすら仕事をすれば成功するとは限りません。力の配分、時間の配分。努力の配分。





こういったことが身につくのが、スポーツの効能なのではないでしょうか。





これらはすべてにおいて通じることだと思います。







部活に打ち込み、その後難関大学に進学した、あるUBQの卒業生は、このような名言をおっしゃられました。





「部活というものは、それ自体が目的ではない。『努力をする」という才能を身につけることが目的である。受験勉強であれ、どんな仕事であれ、『努力をする』という才能は、いかなる仕事につこうが、どんな分野でも適用できるものである」








もう一つ:中学時代の陸上競技のコーチのお言葉です。20歳台までのベスト記録は・・・秒であった。それから。毎日、何時間も、練習を続けて引退するときのベスト記録は、それより1秒、縮めただけだ。1秒を縮めるために、毎日、何時間も猛練習を10年続けたことは無駄だとは思っていない。