三度目の広島講演を終えて | 田母神俊雄オフィシャルブログ「志は高く、熱く燃える」Powered by Ameba

三度目の広島講演を終えて

今年も8月6日(土)に広島市で、三たびヒロシマの平和を疑うと 題して、青山繁晴氏と二人で講演を実施した。日本会議広島・「日本の誇りセミナー」実行委員会の主催で、協力団体として平和と安全を求める被爆者たちの会、また協賛団体として長崎原爆展示を正す会新聞アイデンティティ日本の心を伝える会日本ウィグル協会MASUKI情報デスクが支援してくれた。そして会場のリーガロイヤルホテル広島には1950名の人たちが集まる大盛況であった。詳細はこちら


今年の8月6日の講演会は、昨年の秋の時点ですでに広島市の全ての会場が埋まっており、会場が取れずに実施できない恐れがあった。しかし、4月の広島市長選で松井一実新広島市長が誕生すると、あちこちの会場が空くようになった。広島県にはこれまで特に、8月6日前後を中心に異様な雰囲気があり、言論の自由が脅かされるようであったと聞いている。しかし、今年の原爆被爆者慰霊祭における松井市長の挨拶は、これまでの市長の挨拶とは違って反核という政治色が薄まっていたと思う。小学生の男女の児童が読み上げる平和宣言も、これまで極めて政治色が強いと感じていたが、今年はこれも、市長の挨拶と同様に反核政治運動の色は薄くなっていた。トップが替わればこれほど大きく変わるのだ。改めてリーダーの存在の大きさを感じた次第である。広島にも言論の自由が生まれてきたと思っている。


我が国は、民主主義国であるから言論の自由が保障されなければならない。「核武装すべきではない」という意見があっていいのである。しかし、一方で「核武装すべきだ」という意見も、静かに冷静に言うことができなければ、民主主義国とは言えない。これまでの我が国では、「核武装すべきではない」という意見を言うことは、無限に自由であったが、「核武装すべきだ」というと国会は紛糾する、マスコミは大騒ぎする、果ては大臣の首が飛ぶというような状況であったのである。これは言論の自由がないということだ。そして広島でも核武装すべきという意見など、とても言い出せる雰囲気ではなかったのである。


広島県民が、広島市民が、みんな核武装反対一色であるかというとそんなことはない。被爆者、被爆二世など被爆関係者の中でも「日本は核武装すべきである」と考えている人も多い。今年の私の講演会に協力してくれたのは、冒頭でも触れたとおり平和と安全を求める被爆者たちの会 なのである。彼らは当然、私が核武装論者であることを知っている。そしてまた、青山繁晴氏が核武装反対であることも知っている。意見を戦わせて多数決、それが民主主義である。



私は、国際社会を動かしているのは核武装国であると思っている。核を持っていない国が、外交交渉で核を持っている国を動かすことは極めて困難である。最終的には、核武装国の意志に従属させられてしまうことが多いというのが国際社会の現実である。だから、世界中の政治リーダーは本音では、チャンスがあれば自分の国も核武装をしたいと思っている。従って、逐次、核保有国が増えてくる。これはすでに核武装している国にとっては困ることなのだ。核武装国は、国際社会における発言力は、少数の核保有国のみに限定しておきたいのである。


オバマ大統領が二年前の4月、チェコスロバキアのプラハで核廃絶宣言と言われる演説をした。「アメリカは核廃絶に向けて努力する。世界の政治リーダーの皆さんは、これから核武装するなどということは考えないで欲しい。核兵器はもう二度と使われることはないのです」という演説である。我が国ではすぐに、鳩山総理がこれに跳びつき、日本の非核三原則は正しい、日本は世界の核廃絶の先頭に立つという意見を表明した。我が国のマスコミもこれを支持した。しかし、オバマ大統領が核廃絶を目指していることは全くないと私は思っている。核保有国は、少数の核保有国で核の独占をしておきたいだけなのだ。オバマ演説の三ヵ月後に発表された、アメリカの翌年度の国家予算では核弾頭開発関連予算は12%伸びていたのである。言っていることと、やっていることが違うのは国際社会ではごく普通のことである。


国際社会を見れば、世界中の人たちが豊かに暮らせるほどの富や資源は準備されていない。そういう中で「自分の国だけは豊かに暮らすぞ」ということで、富と資源の分捕り合戦が行われているのが国際政治の現実である。第二次大戦までの世界は、軍事力で富や資源を分捕りに行った。しかし、現在では軍事力を直接行使してそれを行うことはできなくなってきた。核兵器も二度と使われることはない兵器であると思う。代わり、に自国に有利な情報を流して、また自国に有利な国際システムを作って富や資源を自国に還流させようとしているのである。


現在は、情報戦争の時代である―。


そこではウソ、デマ、捏造の情報が飛び交っているのである。国際社会は腹黒い。相手の発言そのもので動くべきではない。常に相手の発言などの真意を考えるべきである。そして、軍事力の強い国すなわち核武装国は、情報戦争にも強い。軍事力の弱い国の発言は無視されるだけである。前原前外務大臣がモスクワに行って「北方領土は日本のものだ」と言っても無視されて終わりである。菅総理がメドベージェフ大統領の北方領土訪問は「許せない暴挙だ」と言ってもロシアは取りあってもくれない。


我が国は、今後とも核武装国が決めたとおりカネを出して、核武装国が決めたとおり行動していくのか、それとも核武装して国際社会を動かす力を持とうとするのか、私は当然、後者を目指すべきだと思う。しかし、我が国においては、いわゆる保守派と言われる人でも核武装に反対する人は多い。アメリカとぶつかるとか、北朝鮮みたいな世界の孤児になるとか、我が国の核武装が困難である理由が述べられる。私はアメリカとぶつからないようにうまくやればよいと思う。みんなで知恵を出せばよい。困難だから諦めるというだけでは、いつになっても世界の一流国になれない。国家のために困難にチャレンジすることは政治家や外交官などの仕事である。また北朝鮮のように世界の孤児になるとか言う人がいるが、世界のGDPの10%近い経済力を持つ我が国が世界の孤児になる訳がない。我が国を世界の孤児にしたら困るのは国際社会である。