テクニシャン製造工場
郊外にある薄汚れた工場に足を踏み入れたのは、もう夏も終わりなのにひどく暑い日だった。中に入ると、工場は物音一つせず、乱雑にものが散らかっていた。機械類に積もった埃を見れば、それが長いこと稼働してないこともよくわかる。この工場が死んで長い時間が経っていることは、誰が見ても明らかだった。
奥に進むと、油じみた青い作業着のくたびれた男が一人椅子に座っている。頭は薄くなっていて、銀縁の眼鏡をかけた男は、頬に手を当てじっと彼の機械たちを眺めていた。妙に近寄りがたいその雰囲気に私が当惑していると、先に男が夢想から醒め、私に声をかけてきた。
「やあ!いらっしゃい!」
男は手を上げて陽気に声をかけたが、その目はどんよりと曇っている。私は彼に歩み寄り、握手をした。
「遠いところまで、悪かったね」
「いえいえ、仕事ですから」
型通りの挨拶を終えると、彼は自分の向かいに椅子を一個運んできて座るように促した。その座面にはうっすらと埃が積もっていたが、私は構わずに座った。こういう仕事をしていれば慣れっこになっている。
「では、さっそくなんだが・・・」
私が座るや否や、お茶も出さずに、彼は切り出した。自然と前のめりになるその小太りの体から、焦りがよくわかる。
「はい、こちらが査定額となります」
私は彼の焦りに極力同調しないように、勤めて冷えた声で見積書を差し出した。男は私の手から奪い取りすぐにそれに目を通す。男の顔がみるみる青ざめていくのが、よくわかった。
「0円・・・? 冗談だろう?」
青ざめながらも、男は半笑いで呟いた。それが冗談じゃないと知っているのに、聞かずにはいられないのだろう。こんな顔を私は何度も見てきた。
「正確には0円ではありません。この工場の買取額と設備の処分費でトントンということです」
男はなにか言おうと口を開いたが、言葉は何も出てこない。その手はわなわなと震えていた。無理もない。もう四十年もこの工場をやっていたんだ。
「そんなバカな・・・そんなバカげたことが・・・」
私はゆっくりと頭を横に振る。男は哀願するような目で私を見つめてきた。
「だって、この工場はまだいいものを作れるんだぞ・・・?確かに今は売れ行きは悪いが、いつかまた市場は小粋なテクニシャンを必要としてくれるはずだ・・・そりゃ、フィジカル全盛の時代にテクニシャンなんてありがたがられないのはよくわかってるさ、でも欲しがる人はきっといるんだ・・・」
ああ、やっぱりこの人は現実が見えていないんだ。私は一つ咳払いをした。しかし、男は咳払いにも気づかずに、まくし立てる。
「うちの工場で作った選手を見てくれ!!どいつもこいつも素晴らしいテクニシャンばかりだ!モルフェオを覚えているか?あれは最高傑作だった。センターサークルで美しいトラップから二人のDFを置き去りにするドリブル・・・10回に1回しか成功しない上に、得点になんの関係もない極上のテクニックだ。守備なんかちっともしなかったしな。そして、あとはレジェスだ。こいつも最高だったな。とんでもない左足を持ってるくせに、針の穴のスルーパスを通すことしか考えていない。しかも、全然ゴールに関係ないところでだ。こいつを買っていったレアル・マドリーはさすがの度量だったね!」
男が熱っぽく語れば語るほど、私の心は冷めていった。
「それと、これはマニアックな商品なんだが、ウラワレッズにいたアドリアーノって選手を知っているか?これはマニア垂涎の商品でな。2人くらいに囲まれても楽々キープする力はあるんだが、視野が1メートルくらいしかないんだ!我々はこれが完成した時は歓喜したよ!こういうテクニックの無駄遣いもあるんだってな。今じゃ入手困難なレアものだぜ。それと、最近のだとガンソだ。こいつはとにかく走らない。国際Aマッチで全力疾走を一度もしなかったときは胸が高鳴ったよ。ずっとボールをこねくり回し続けてるんだ。あとは・・・」
「もういいんです・・・もういいんですよ!」
私は手を伸ばし、男の肩を掴んだ。男はきょとんとした目で私を見つめてきた。
「もう・・・もう、そんな選手は時代遅れなんです。足先のテクニックだけに値段がついていた時代は終わったんですよ。守備ができて、得点を取れて、走れる選手だけが今は重宝されるんです。あなたの工場で作る『1試合に1度だけ目がくらむようなスルーパスを出すも得点につながらない選手』や『絶妙のヒールキックでパスをするも、そこはセンターサークルな選手』はもう売れないんですよ!!わかってください!」
男は目を丸くして私を見つめていた。その目はかすかに潤んでいた。私は罪の意識を感じながら、それでも更に語気を強くした。
「今ではどこの工場でも戦術理解や献身性は必須スペックですよ。メッシのような特殊な製品はまた別ですがね。ただ、あれも得点特化型だから許されるんです。この工場で作られる『なんとなくうまそうな雰囲気を出している選手』を買うチームは、少なくともトップレベルではどこもないんです!!だから、あなたの工場にも注文が来ないんですよ!」
呆然としたような顔を見せると、男は下を向いてしまった。その肩は小さく震えていた。
「すいません、言い過ぎました・・・ただ、現実はそうなんです。このまま工場を放置しても維持費がかかるでしょう?それを一旦清算したほうが、再出発にもいいでしょう。もしこの条件で納得いただけるのなら、こちらにサインを・・・」
男が握りしめる請求書に私が手を伸ばそうとすると、男はすっと手を引いた。顔を見ると、怒りで真っ赤になっていた。男は請求書を力任せに破き始める。
「こ、こんな条件が飲めるか!!うちはもっといい製品を作り出せるんだ!イエナガだ!ジャパンのオオミヤに売ったイエナガが活躍すれば、またみんなこの工場の価値に気づき始めるはずだ!俺たちが作り出す最高のテクニシャンたちは現代サッカーにおける一服の清涼剤なんだ!きっとみんな気づいてくれる・・・きっと気づいてくれるんだ!!・・・そ、そうだ!デニウソンだ!一度ボールを持ったら4人でも引き連れてピッチを横断するデニウソンをまた作れば・・・!」
男は号泣を始めていた。私は椅子から立ち上がり、彼に背を向けた。泣き明かした2日後くらいに、また連絡が来るだろう。そのときにはきっとサインするはずだ。「極上のテクニックを披露するが勝敗に一切関与しない選手」工場を出ると、外ではいまだに太陽が照っていた。私はタバコを取り出し、火をつける。嫌な仕事だ、と思う。私は2、3口吸うとそれを足で揉み消して、次の「89分50秒ピッチから消えているが点だけ取るFW工場」へと向かうことにした。工場の中からは、男の慟哭だけが静かに響いていた。
奥に進むと、油じみた青い作業着のくたびれた男が一人椅子に座っている。頭は薄くなっていて、銀縁の眼鏡をかけた男は、頬に手を当てじっと彼の機械たちを眺めていた。妙に近寄りがたいその雰囲気に私が当惑していると、先に男が夢想から醒め、私に声をかけてきた。
「やあ!いらっしゃい!」
男は手を上げて陽気に声をかけたが、その目はどんよりと曇っている。私は彼に歩み寄り、握手をした。
「遠いところまで、悪かったね」
「いえいえ、仕事ですから」
型通りの挨拶を終えると、彼は自分の向かいに椅子を一個運んできて座るように促した。その座面にはうっすらと埃が積もっていたが、私は構わずに座った。こういう仕事をしていれば慣れっこになっている。
「では、さっそくなんだが・・・」
私が座るや否や、お茶も出さずに、彼は切り出した。自然と前のめりになるその小太りの体から、焦りがよくわかる。
「はい、こちらが査定額となります」
私は彼の焦りに極力同調しないように、勤めて冷えた声で見積書を差し出した。男は私の手から奪い取りすぐにそれに目を通す。男の顔がみるみる青ざめていくのが、よくわかった。
「0円・・・? 冗談だろう?」
青ざめながらも、男は半笑いで呟いた。それが冗談じゃないと知っているのに、聞かずにはいられないのだろう。こんな顔を私は何度も見てきた。
「正確には0円ではありません。この工場の買取額と設備の処分費でトントンということです」
男はなにか言おうと口を開いたが、言葉は何も出てこない。その手はわなわなと震えていた。無理もない。もう四十年もこの工場をやっていたんだ。
「そんなバカな・・・そんなバカげたことが・・・」
私はゆっくりと頭を横に振る。男は哀願するような目で私を見つめてきた。
「だって、この工場はまだいいものを作れるんだぞ・・・?確かに今は売れ行きは悪いが、いつかまた市場は小粋なテクニシャンを必要としてくれるはずだ・・・そりゃ、フィジカル全盛の時代にテクニシャンなんてありがたがられないのはよくわかってるさ、でも欲しがる人はきっといるんだ・・・」
ああ、やっぱりこの人は現実が見えていないんだ。私は一つ咳払いをした。しかし、男は咳払いにも気づかずに、まくし立てる。
「うちの工場で作った選手を見てくれ!!どいつもこいつも素晴らしいテクニシャンばかりだ!モルフェオを覚えているか?あれは最高傑作だった。センターサークルで美しいトラップから二人のDFを置き去りにするドリブル・・・10回に1回しか成功しない上に、得点になんの関係もない極上のテクニックだ。守備なんかちっともしなかったしな。そして、あとはレジェスだ。こいつも最高だったな。とんでもない左足を持ってるくせに、針の穴のスルーパスを通すことしか考えていない。しかも、全然ゴールに関係ないところでだ。こいつを買っていったレアル・マドリーはさすがの度量だったね!」
男が熱っぽく語れば語るほど、私の心は冷めていった。
「それと、これはマニアックな商品なんだが、ウラワレッズにいたアドリアーノって選手を知っているか?これはマニア垂涎の商品でな。2人くらいに囲まれても楽々キープする力はあるんだが、視野が1メートルくらいしかないんだ!我々はこれが完成した時は歓喜したよ!こういうテクニックの無駄遣いもあるんだってな。今じゃ入手困難なレアものだぜ。それと、最近のだとガンソだ。こいつはとにかく走らない。国際Aマッチで全力疾走を一度もしなかったときは胸が高鳴ったよ。ずっとボールをこねくり回し続けてるんだ。あとは・・・」
「もういいんです・・・もういいんですよ!」
私は手を伸ばし、男の肩を掴んだ。男はきょとんとした目で私を見つめてきた。
「もう・・・もう、そんな選手は時代遅れなんです。足先のテクニックだけに値段がついていた時代は終わったんですよ。守備ができて、得点を取れて、走れる選手だけが今は重宝されるんです。あなたの工場で作る『1試合に1度だけ目がくらむようなスルーパスを出すも得点につながらない選手』や『絶妙のヒールキックでパスをするも、そこはセンターサークルな選手』はもう売れないんですよ!!わかってください!」
男は目を丸くして私を見つめていた。その目はかすかに潤んでいた。私は罪の意識を感じながら、それでも更に語気を強くした。
「今ではどこの工場でも戦術理解や献身性は必須スペックですよ。メッシのような特殊な製品はまた別ですがね。ただ、あれも得点特化型だから許されるんです。この工場で作られる『なんとなくうまそうな雰囲気を出している選手』を買うチームは、少なくともトップレベルではどこもないんです!!だから、あなたの工場にも注文が来ないんですよ!」
呆然としたような顔を見せると、男は下を向いてしまった。その肩は小さく震えていた。
「すいません、言い過ぎました・・・ただ、現実はそうなんです。このまま工場を放置しても維持費がかかるでしょう?それを一旦清算したほうが、再出発にもいいでしょう。もしこの条件で納得いただけるのなら、こちらにサインを・・・」
男が握りしめる請求書に私が手を伸ばそうとすると、男はすっと手を引いた。顔を見ると、怒りで真っ赤になっていた。男は請求書を力任せに破き始める。
「こ、こんな条件が飲めるか!!うちはもっといい製品を作り出せるんだ!イエナガだ!ジャパンのオオミヤに売ったイエナガが活躍すれば、またみんなこの工場の価値に気づき始めるはずだ!俺たちが作り出す最高のテクニシャンたちは現代サッカーにおける一服の清涼剤なんだ!きっとみんな気づいてくれる・・・きっと気づいてくれるんだ!!・・・そ、そうだ!デニウソンだ!一度ボールを持ったら4人でも引き連れてピッチを横断するデニウソンをまた作れば・・・!」
男は号泣を始めていた。私は椅子から立ち上がり、彼に背を向けた。泣き明かした2日後くらいに、また連絡が来るだろう。そのときにはきっとサインするはずだ。「極上のテクニックを披露するが勝敗に一切関与しない選手」工場を出ると、外ではいまだに太陽が照っていた。私はタバコを取り出し、火をつける。嫌な仕事だ、と思う。私は2、3口吸うとそれを足で揉み消して、次の「89分50秒ピッチから消えているが点だけ取るFW工場」へと向かうことにした。工場の中からは、男の慟哭だけが静かに響いていた。