失敗とは思わない:2000年ゼロ金利解除を失敗と思わない、その理由
秘書です。
政策は難しいから分からない、といっていると「努力が報われない」社会がどんどん進行していきます。
誰か、頭のいい人がなんとかしてくれるだろうと思っていると、頭の良さを責任逃れのほうに集中させているひとが以外に多いようです。
自分の人生を守るために自分で政策を考えましょう。
司法では、無作為抽出市民が極刑判決も下しています。
政治だって、同じことができるはず。
政策は難しくて、市民には判断できない、専門家に任せるべきだ、というエリートが多い。
では、エリートの政策判断の結果責任はどうなっているのか?
事例:2000年日銀ゼロ金利解除について。
当時は中川秀直官房長官、デフレ脱却会議のシンポジウムでもこのときのことを明らかにしましたが、政府としては反対。しかし、日銀は聞き入れず。
今朝の読売新聞13面に大きな検証記事がでております。
コメントで、当時、ゼロ金に解除に反対した中原伸之元審議委員は、日銀の判断は「景気読み違えた」と。
「ゼロ金利解除という誤った判断をしたのは、景気の先行きを読み違え、不良債権問題を過少評価していたからだ。当時の日銀は、金利を正常化したいという点ばかりを考え、量的緩和は念頭にも置いていなかった。直後に景気が後退局面に入るとは思ってもいなかっただろう。」
「8月は、政府に屈しないという日銀の独立性を示したいという気持ちもあったと思う。」
「現在のゼロ金利を解除するときは、当時の教訓を生かした慎重な判断が求められる。一定期間、物価が2%以上上昇するなど、明確にデフレ脱却が確認されてから判断すべきだ。」
これに対して、当時の副総裁は「失敗とは思わない」とのコメント!!
「ゼロ金利解除後に日本経済は悪化したが、その時点での判断は正しく、政策の失敗だったとは思わない」
「その後の景気悪化は、米国のITバブル崩壊が世界経済に影響したもので予期しようがない。」
きっと、2006年、2007年の失敗についても、同じコメントが将来聞けることでしょう。
政策は間違っていなかった、と。
じゃあ、何が間違っていた?
きっと、また、米国の不動産バブルの崩壊が責任で、予期しようがないのでしょう。
海外の事情のことはわかりません、というなら、日銀はフォワードルッキングな政策転換はやめたらどうですか?何が起こるかわからないのですから。
ところが、フォワードルッキングにやるんですね、海外のことは分からないのに。
だから、いつも、政策は失敗ではない、悪いのは海外だといえる。
これが「政策を決めるけれど、結果責任はおいません」ということになるんですね。
日銀擁護派のみなさんが守ろうとしている独立性とはこのことです。
「権力あれど、責任なし」
みんなして、無謬性を守る。
ソビエトが崩壊しても、日本ではまだこんな無謬性が残っている。
国民は自己責任、エリートは無責任・・・持続不可能です
おかしいですね。海外のことはわからない人がフォワードルッキングなんていわないほうがいい。
未来のことに責任がもてない人は、辞めたほうがいい。
責任をもてない人は独立性をもたないほうがいい(手段の独立性だけのほうがいい)。
ところが日本の政策コミュニティは、お互いの結果責任は問わない不文律があるから仕方ないですね。
情報と研究費をもらう学、情報をもらう報・・・
そこは生業の悲しさがあるとして、
リーマンショック以後世界の先進国でもっとも劣悪な貨幣供給政策の環境におかれている経済界が、ほとんど金融政策にクレームをつけないのはなぜでしょう?
同学の好の、身内意識なのでしょうか?○○君のことはよく知っているとかいうたぐいの。同じ大学を出ている人間は判断を誤らない、ということでしょうか。
経済界が真っ当な経済活性化政策を支持せず、さらに労働界も雇用最大化政策に沈黙を保ったら、それはこの国はデフレ脱却(物価の下落の持続)からは抜けられませんね。
(2002年税制改革で、経済界が法人税率引き下げに反対したときにも驚きましたが)
最後に、海外のことなんかわからないで政策をやっているのですから、せめて、物価上昇率2%まではゼロ金利解除しないという、中原さんの提案をしっかりと受け止めてください。
ところが政府の2020年までの物価予測は物価上昇率1%ですね。これは2020年まで日本経済はデフレ回帰リスクがあるといっているようなもの。世界水準でいえば、物価上昇率1%ではデフレ脱却宣言はできません。物価上昇率が0%近辺まであがると日銀は引き締めにまわるようなことを、いつまで繰り返すのか・・・いつまで、日本の主流はそんな日銀を擁護し続けるのか。
政策は難しいから分からない、といっていると「努力が報われない」社会がどんどん進行していきます。
誰か、頭のいい人がなんとかしてくれるだろうと思っていると、頭の良さを責任逃れのほうに集中させているひとが以外に多いようです。
自分の人生を守るために自分で政策を考えましょう。
それでも、誰かの判断を信頼する、ということは、どんな判断ミスにも身をゆだねます、ということです。それが続いた20年、まだ繰り返しますか?
政策は難しいから分からない、といっていると「努力が報われない」社会がどんどん進行していきます。
誰か、頭のいい人がなんとかしてくれるだろうと思っていると、頭の良さを責任逃れのほうに集中させているひとが以外に多いようです。
自分の人生を守るために自分で政策を考えましょう。
司法では、無作為抽出市民が極刑判決も下しています。
政治だって、同じことができるはず。
政策は難しくて、市民には判断できない、専門家に任せるべきだ、というエリートが多い。
では、エリートの政策判断の結果責任はどうなっているのか?
事例:2000年日銀ゼロ金利解除について。
当時は中川秀直官房長官、デフレ脱却会議のシンポジウムでもこのときのことを明らかにしましたが、政府としては反対。しかし、日銀は聞き入れず。
今朝の読売新聞13面に大きな検証記事がでております。
コメントで、当時、ゼロ金に解除に反対した中原伸之元審議委員は、日銀の判断は「景気読み違えた」と。
「ゼロ金利解除という誤った判断をしたのは、景気の先行きを読み違え、不良債権問題を過少評価していたからだ。当時の日銀は、金利を正常化したいという点ばかりを考え、量的緩和は念頭にも置いていなかった。直後に景気が後退局面に入るとは思ってもいなかっただろう。」
「8月は、政府に屈しないという日銀の独立性を示したいという気持ちもあったと思う。」
「現在のゼロ金利を解除するときは、当時の教訓を生かした慎重な判断が求められる。一定期間、物価が2%以上上昇するなど、明確にデフレ脱却が確認されてから判断すべきだ。」
これに対して、当時の副総裁は「失敗とは思わない」とのコメント!!
「ゼロ金利解除後に日本経済は悪化したが、その時点での判断は正しく、政策の失敗だったとは思わない」
「その後の景気悪化は、米国のITバブル崩壊が世界経済に影響したもので予期しようがない。」
きっと、2006年、2007年の失敗についても、同じコメントが将来聞けることでしょう。
政策は間違っていなかった、と。
じゃあ、何が間違っていた?
きっと、また、米国の不動産バブルの崩壊が責任で、予期しようがないのでしょう。
海外の事情のことはわかりません、というなら、日銀はフォワードルッキングな政策転換はやめたらどうですか?何が起こるかわからないのですから。
ところが、フォワードルッキングにやるんですね、海外のことは分からないのに。
だから、いつも、政策は失敗ではない、悪いのは海外だといえる。
これが「政策を決めるけれど、結果責任はおいません」ということになるんですね。
日銀擁護派のみなさんが守ろうとしている独立性とはこのことです。
「権力あれど、責任なし」
みんなして、無謬性を守る。
ソビエトが崩壊しても、日本ではまだこんな無謬性が残っている。
国民は自己責任、エリートは無責任・・・持続不可能です
おかしいですね。海外のことはわからない人がフォワードルッキングなんていわないほうがいい。
未来のことに責任がもてない人は、辞めたほうがいい。
責任をもてない人は独立性をもたないほうがいい(手段の独立性だけのほうがいい)。
ところが日本の政策コミュニティは、お互いの結果責任は問わない不文律があるから仕方ないですね。
情報と研究費をもらう学、情報をもらう報・・・
そこは生業の悲しさがあるとして、
リーマンショック以後世界の先進国でもっとも劣悪な貨幣供給政策の環境におかれている経済界が、ほとんど金融政策にクレームをつけないのはなぜでしょう?
同学の好の、身内意識なのでしょうか?○○君のことはよく知っているとかいうたぐいの。同じ大学を出ている人間は判断を誤らない、ということでしょうか。
経済界が真っ当な経済活性化政策を支持せず、さらに労働界も雇用最大化政策に沈黙を保ったら、それはこの国はデフレ脱却(物価の下落の持続)からは抜けられませんね。
(2002年税制改革で、経済界が法人税率引き下げに反対したときにも驚きましたが)
最後に、海外のことなんかわからないで政策をやっているのですから、せめて、物価上昇率2%まではゼロ金利解除しないという、中原さんの提案をしっかりと受け止めてください。
ところが政府の2020年までの物価予測は物価上昇率1%ですね。これは2020年まで日本経済はデフレ回帰リスクがあるといっているようなもの。世界水準でいえば、物価上昇率1%ではデフレ脱却宣言はできません。物価上昇率が0%近辺まであがると日銀は引き締めにまわるようなことを、いつまで繰り返すのか・・・いつまで、日本の主流はそんな日銀を擁護し続けるのか。
政策は難しいから分からない、といっていると「努力が報われない」社会がどんどん進行していきます。
誰か、頭のいい人がなんとかしてくれるだろうと思っていると、頭の良さを責任逃れのほうに集中させているひとが以外に多いようです。
自分の人生を守るために自分で政策を考えましょう。
それでも、誰かの判断を信頼する、ということは、どんな判断ミスにも身をゆだねます、ということです。それが続いた20年、まだ繰り返しますか?