むかし、立憲主義って言ってたかな? | みんななかよく

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 最近では、憲法というのは国家権力にタガをはめるというか、制約をかけるというか、命令するするというか、規範するというか、遵守させるというかが基本だよ、と力説されるようになってきました。

 それに比するに、「自民党の憲法試案などは、立憲主義をわかってない」と批評する人は多く、ポイントの議論だと私も思う。

 ただ、「憲法は国家をしばるもの」という言い方は、わたしの子どもの頃や若いころは、あんまり耳にしたことがない。物忘れが激しいから記憶にないとか、とっぽいから聞いてもピンとこなかったとかの可能性は置いておいて、憲法論議の中心は、押し付け憲法論とか第九条の平和主義は現実にあってないとかの議論が殆どだった、とここではします。60、70年代の新聞の憲法の日社説などをトレースすれば、ある程度の実証になるかしらん。国会の議論や大新聞の論s熱が電子化されていて、「立憲主義」で検索をかけてみることができれば、もう少し確からしいでしょう。



 数年前、伊藤真さんの講演を聞いたことがあって、彼も、「今まで、憲法は権力を縛るということを知らなかった」と言っていたような……。立憲主義って憲法学の概論にだって書いてあるでしょうから「知らなかった」とは言わなかったかな。ともかく伊藤氏がそんなに意にとめないでこれまできた、という意味のことを言っていた記憶はたしかにあります。話のメリハリ上の誇張かもしれませんが、世上の議論で立憲主義が事あるごとに強調されていたのではない、と結論しても、そう偏波ではないと思います。



 考えてみれば「そもそも何ぞや」の憲法論議なんて日常ですることはまれでしょうし、法的事象の議論でも、違憲・合憲を争ってはいても立憲主義を持ち出して議論を始めやしないと思います。

 だから立憲主義が意識されないできたとしても、これまで憲法の精神がなおざりにされてきたとは言えません。ですが、「護憲勢力」などと名乗っているんだったら、立憲主義について日本社会を啓発したほうがよかったんじゃないの? との感も。このブログでも以前、サヨちゃんたちに軽く嫌味を言ったかと思います。



 なんで立憲主義が言われだしたか、あるいはう必要が出てきたか。これは90年代から2000年を超えて、出てくる憲法改正案が、「国民はこの憲法を守りなさいね」みたいな成文を掲げていたからでしょう。

 わたしが、「憲法は権力が護るもので、国民に守らせるものではないだろ」という言い方を読んで、「なーるほどね」と思ったのは、石川好氏がどこかの雑誌で読売憲法論についてそう書いていた時点。たぶん20004年でしょうね。(読売新聞は1994年に憲法試案を発表してから、何度か改訂案を出しています)

 


 読売新聞の憲法案はトンデモな改憲案だと左から批判されましたが、右からも「天皇を第二章におくとはけしからん」と脅されました。でも、天皇や公務員などの憲法を守る義務はなくしてしまった。ニューバージョンの国家主義がベースなんでしょうね。



 改憲案の成文が出てきたので、立憲主義も説明しやすくなりました。でも、それで多くの人に理解してもらえるかどうか。

 無党派な、非政治的な人々は、右派的な「国の形を書き込んだ憲法」への思い入れはないでしょうから、新しい権利の書き込みとか政治システムの効率化とかには魅力を感じても、復古型憲法を支持はしないと思います。でも、憲法が機能して国家権力をドライブしてきたかどうかの確信は持てないんじゃないかなあ。

 憲法的視点でものを考える重要さを伝えることが大事だけど、誰もがそうした教育を受けているわけではないですしね。不肖わたくしなんぞも、教養課程の「法学」さえ履修してないから法律用語にはやたら無知。マスコミ報道で使われている程度のタームならなんとなく意味がとれる程度です。

 立憲主義の強調が、仲間内だけの了解事項にならないような方法を考えたいな、と思います。サヨッチはみんな塾の先生のように、何とかしてわからせたいという情熱を持った方がいいと思う。



 追記


 主な日本国憲法改正試案及び提言  (pdf)

 国立国会図書館 ISSUE BRIEF NUMBER 474 (MAR.18.2005)

http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/issue/0474.pdf