雨の中、デモは億劫だからやめて、このエントリーの続き。
知り合いに男子だけど女性差別の問題に敏感な人がいます。雇用・労働の面での女性差別より社会意識や家族制度に関わる男女の不平等が、彼の中心的な問題関心。
彼は、「嫁ぐ」とか「入籍」といった言葉が維持・強化する人々の意識を問題視する。
ずいぶん前から手紙のやり取りをしていて、いろいろな問題を話題にしました。男女混合名簿とか、なぜ男の子の色、女の子の色と区別するのかとか、子どもに関するニュースでは、必ず父親の名前を出して、「会社役員、藤原道長さんの長男、藤原頼道君、8歳」というように言う、とか、「所帯主」は夫がなることが多いのは男性優位観念があるんじゃないか、とか……。
彼は西日本の地方に住んでいるので、抑圧されて農家の嫁の立場はがかわいそう、という考え方です。盛んにやりとりしていたころは、1980年代でしたから、今よりも女性の地位が低いと思われる事例は、たくさんあったと思われます。
彼は男女別姓論者でもあって、女性の方が産む性なのだから、女系のほうが優先されるべきという考え方です。
その彼と、もう二十年近く前になると思いますが、婚外子の相続差別問題について議論をしたことがあります。彼は選択的夫婦別姓を求める運動などと行き来があるので、婚外子差別の問題も知っているのですが、以下のような趣旨のことを書いてきました。
「婚外子も実子と同じ相続分にする運動には、今一つの乗り気になれません。二号さんの子が乗り込んできた場合などを考えてしまいます」
なんかテレビドラマみたいな想定ですが、まあ世間一般、世の中で普通に思いつくのはそうした場合かもしれません。男が法律婚の家庭の他に、別の女性との間に認知した子どもがいる。当該男子の相続の時に、突然、その家庭とは無関係の子どもが出てきて財産を要求するのは理不尽だ。
零細企業の社長が妻と一緒に働いて会社を大きくした。裕福になって外に愛人をつくって、その愛人との間の子を認知した。糟糠の妻と子どもの他に、関係ない愛人の子が出てくるのだって釈然としないのに、実子と同じ権利なんておかしい。公序良俗にもとるでしょ。
と、考える人はいそうだし、女性への偏見に敏感な彼も、そう思うようです。でも、実際に裁判になったケースって、そんな生世話なお芝居みたいな話ではないんじゃないかな。
子どもの相続分ではなくて、内縁関係の妻の財産分与とか相続の話だったかもしれない。うろ覚えの報道されたケースでこうしたものがあった。
内縁関係の妻とのほうが実質的な夫婦関係で、また財産形成にも内縁関係の妻の方が寄与している。法律上の妻はいるのだけど、早くから結婚生活が破たんして別居している。それでも財産分与や相続の時に、疎遠な法律上の妻を優遇するのは実態にそぐわないし、公平ではない。
そういう結婚生活の実態を、だんだん重視するようになってきたのではないかな。
法律上の妻の権利も守られるべきでしょう。でも、実質的に結婚生活が破たんしているのに、法律婚にしがみついているのは、どうなのかという気もする。女が外で働いて自活するのは不利で困難だとしたら、そういう社会を変えるのも大事で、妻の座を強化するのが女性の尊重っていうのも、なんか後ろ向きというか、男女平等の方向性が違うように思えます。それに妻の立場では、慰謝料請求とかいろいろ手段はあるでしょう。(実際に払わせられるかどうかは問題だけど)
それに婚外子といったって、男が家庭の他に子どもを作ったってケースばかりではないでしょ。
ごく若い頃、初恋で相思相愛になって、子どもができたけど、周囲の反対やもろもろの事情で結婚はしなかった。女は男のもとを去り、男は別の女と結婚したが、二人は気が合わずf結婚生活はそう幸福なものではなかった。男は初恋の女との間の、認知した子のことを大切に扱っていて、実子と同じ以上に可愛がっていたが、遺言を書かずに亡くなった。婚外子は男の思いとは別に、実子の半分しか相続分がなかった。
というメロドラマを考えてみても、法律婚が絶対で、婚外子は「不義」の子みたいな考え方は、ちょっと違うんじゃないかなあと思います。
ともかく、男女の愛情関係はそんなに安定的ではない。それを全てのベースにすることはできないでしょう。だから 届け出た婚姻による権利を優先させてもいいとは思うけど、形式的にそれが全てに優先させると、現実との食い違いも出てくると思う。