そういえば今は一応、休戦中でしたね。セイバーとライダーが酒を

飲み交わすのはともかく、アーチャーまで現れたのには驚きでしたが、

王同士が自分たちの抱く野望や理想、そして生前の生き様について語り合うスタイルは

面白かったですね。異なった時代の英雄たちが語らうという面白いシーンを

違和感なく作り上げることができるこの作品の設定には魅せられるばかりです。



さて、今回重点を置かれたのはセイバーの生前の生き方と今の望みについてでしたね。

確かに最後にアーチャーが言った通り、人の生き方は本人が決めるのであって

ライダーに指摘されたからといって考えを改める必要はないのです。


ただ、今回の件に関しては明らかにライダーの発言が的を得ていたのですよね。

「欲望のままに生きる」という点だけを聞けば確かに「暴君である」ともとれるでしょう。

しかし、彼の場合は生前確かにその「欲望」を貫いた事によって得たものがあるのです。

実際、それが彼の宝具として存在することを見せつけられたセイバーは

全く反論できない状態になってしまいましたね。確かに、現在でも彼女は自分の考え以上に

王として「理想の姿」であろうとする傾向がありますね。これも一つの王としてのあり方なのでしょうけど、

彼女の場合はそれによって失った物の方が多かったようです。


彼女(実際語り継がれている伝説では彼ですが)の死因は

円卓の騎士のうちの一人(名前は一応伏せておきます)との内乱が原因だとされている説もありますね。

この内乱において、アーサー王は多くの仲間に裏切られる結果になりました。


裏切られるといっても彼女に不満があった者が裏切ったというわけではなく、

事の発端である騎士の人望の方がアーサー王に対する尊敬の意を上回っていただけなのでしょう。

この時点で彼女は「理想であり続けること」よりも「生き様に惚れられる事」の方が

周囲の好感を得、従えることが出来るのだと気づくべきだったのでしょうね。




そうはいっても、彼女のこの生き様もまた惚れられるものでもあるとも考えられます。

ただ、彼女の場合は「理想の姿で有り続けようとする」という本質を知る者でなければ

共感することも惚れることも難しいことだと思うのですよね。

ましてや、自分の身を捨てるような生き方ですから周囲にその辛さを打ち明けるようなことはないはず。

よって、理解されがたい生き様として写る場合の方が多いのかもしれません。


この辺は今の切嗣とすごく似ていて興味深いですね。

彼もまたやっている事だけをみると確かに外道。本質を知らない者から

見れば生き様に惚れる対象にはならないでしょう。

実際、本質を知るアイリやマイヤは彼に惚れています。

この特定の人物からしか慕われることのない生き様というのは損ではあるのですが、

本質を知れば「暴君」である以上に美点が見えてきそうでもあるのですよね。


今後は今まで以上に切嗣とセイバーの「生き様」に着目してみると面白くなりそうです。

セイバーが今回の聖杯問答でどういった答えを得たのかも気になりますね。