コメント
おなじく・・・(泣)
一見、勇ましく見える?劣悪な権力者たちにとって、「弱者の分断」「より弱い者への差別」は願ってもないことでしょう!
元都民として、もういい加減あの醜悪きわまりない知事を担ぐのはやめていただきたい!と切に思います。
私見ですが石原氏はああ見えて、実は小心者だと思っています・・・
「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング
障害者・9条の会webより
http://www.nginet.or.jp/9jo/2006saitotalk.html
(引用開始)
この仕事を始めて25年くらい経つのですが、すごく感じることがあります。もちろんその間、時代は変わったわけですけれども、取材先のリーダーとされるような人たち、たとえば財界の人、自民党の政治家、官僚などに取材をして歩くと、その人たちの基本的な目線、視線というものがものすごく高くなっているというのをここ数年、感じるんですね。
(略)
僕が社会人になったころ、80年代前半ですが、そのころはいわゆるリーダーと呼ばれる人たちは、まだそれなりの「たしなみ」をもっていたような気がします。あまりふざけたこと、弱い立場の人をバカにしたような口をきくと、当然たたかれるし、仮にも社会的地位の高い人間がうかつなことを言うということは恥ずかしいことであって、世間の糾弾をあびる。そういうことをそれなりに気をつけている方が多数派であったのではないかという気がするんです。
ところが、ここ10年ぐらい前から、そういった雰囲気がどんどん変わってきていて、最近になると、いわゆるエリート層以外の人間をどこまでバカにしたり、差別したり、見下したりするかがリーダーの資質みたいな、そういうふうに勘違いする人がとても増えました。
石原慎太郎都知事が代表ですけれども、彼はかつて、障害のある人に「人格はあるのか?」とか、あるいは自衛隊の駐屯地であいさつをするときに、「三国人がいずれ騒擾(そうじょう)事件を起こすから、そのときこそ諸君の出番だ」というような発言をした。最近だと、オリンピックで東京が国内の候補地になったわけですが、そのときも、福岡の応援演説をした東京大学の姜尚中先生に対して、「怪しい外国人が何かおかしなことを言っている、生意気だあいつは」と。これって一昔前だったら、都知事どころか人間失格の烙印を押されて当然のようなセリフだと思うんですね。ところが、ろくに問題にもならず、むしろこういう差別的な発言をすればするほど人気が集まってしまう。いったいこの社会はどんなことになってしまったんだろうという思いがつくづくいたします。
(略)
いま格差社会というのがようやく多少問題になってきているんですが、多くの場合この所得格差のことばかり、たとえば国会などでは語られています。ですが、そうではない。お金の問題はもちろん大事なんですけれど、それ以外のほとんどあらゆる領域にわたってこの格差というのが広がっており、それはなぜならば、今の為政者たちがはっきり自分たちの仲間内以外の層を見下しているからだと私は思うんです。
(引用ここまで・強調は私)
Author:秋原葉月
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