裁判員裁判の感想、補足
- 2009/08/12
- 06:00
実施された裁判員裁判を見ての感想、もう少し補足したいと思います。
やはり今の裁判員制度は検察有利に作られてるな、と感じたことがありました。
それはモニターです。
モニターを使うと分かりやすいと裁判員には高評価でしたが、CGなどをつかって映像化するのは、かなり高額なお金がかかりますよね?
被告人側が仮にCGで映像化して裁判員に訴えようとしたら、そのお金はどこから出るのでしょうか?
今、刑事弁護のおよそ8割は国選弁護ですが、一体誰が国選弁護人にそんなお金をだしてくれるのでしょう?国選弁護人の国からの報酬は、十分な弁護を行うのに費用が足りないことで以前から問題になっています。
(私選弁護の場合は依頼人である被告が支払う着手金や報酬が値上がりするかもしれませんね。)
一方、検察官は税金をいくらでも使ってできるわけですから、モニターでビジュアルに訴える方法は検察側に圧倒的に有利です。
ただでさえ弁護側は、国家組織で強制力も行使できる検察に比べ一個人に過ぎず最初から不利な位置にいるのですから、弁護側に更に不利益を強いるのはアンフェアだと思います。
被害者参加制度についてももう少し。
報復感情のみに支配されない理性的な裁判という観点だけでなく、被害者本人や被害者遺族の地位向上という観点からしても、検察と被害者遺族(プラス被害者遺族代理の弁護人)が一体となって処罰を求めるという今の構図は、なにかがまずい、なにか違う、これが本当に被害者の権利の前進になるのかという気がしてなりません。
よく、フランスやドイツにも被害者参加制度があるじゃないかと言うのを聞きますが、それらの制度はどのようなものか、把握しておく必要があると思います。
例えばフランスの刑事裁判は
というものであり、
という指摘がされています。
(誰のための被害者参加制度なのか?より引用)
被害者参加制度の主たる目的は厳罰化ではないか。
そのためある意味、被害者の報復感情を利用しているのではないか。
それが犯罪被害者の地位向上に繋がるのか。
私は甚だ疑問に思うのです。
第一回目は簡単な事件だったからとどこおりなく済みましたが、これが否認事件や死刑事件ならどうなるか、裁判員裁判の是非はそこでこそ試されるでしょう。
もう少し、事例をいろいろ見て行かないと、色々判断できないので、今しばらく観察していきたいと思っています。
やはり今の裁判員制度は検察有利に作られてるな、と感じたことがありました。
それはモニターです。
モニターを使うと分かりやすいと裁判員には高評価でしたが、CGなどをつかって映像化するのは、かなり高額なお金がかかりますよね?
被告人側が仮にCGで映像化して裁判員に訴えようとしたら、そのお金はどこから出るのでしょうか?
今、刑事弁護のおよそ8割は国選弁護ですが、一体誰が国選弁護人にそんなお金をだしてくれるのでしょう?国選弁護人の国からの報酬は、十分な弁護を行うのに費用が足りないことで以前から問題になっています。
(私選弁護の場合は依頼人である被告が支払う着手金や報酬が値上がりするかもしれませんね。)
一方、検察官は税金をいくらでも使ってできるわけですから、モニターでビジュアルに訴える方法は検察側に圧倒的に有利です。
ただでさえ弁護側は、国家組織で強制力も行使できる検察に比べ一個人に過ぎず最初から不利な位置にいるのですから、弁護側に更に不利益を強いるのはアンフェアだと思います。
被害者参加制度についてももう少し。
報復感情のみに支配されない理性的な裁判という観点だけでなく、被害者本人や被害者遺族の地位向上という観点からしても、検察と被害者遺族(プラス被害者遺族代理の弁護人)が一体となって処罰を求めるという今の構図は、なにかがまずい、なにか違う、これが本当に被害者の権利の前進になるのかという気がしてなりません。
よく、フランスやドイツにも被害者参加制度があるじゃないかと言うのを聞きますが、それらの制度はどのようなものか、把握しておく必要があると思います。
例えばフランスの刑事裁判は
フランスの刑事裁判は職権主義で裁判長のイニシアチブで審理が進む。検察と被告が直接に攻撃・防御をする、日本の当事者主義とは全く状況が違う。また、被害者に認められているのは民事賠償のための主張・立証である。量刑は要求できない。(=死刑は要求できない*1)さらに、フランスの刑務所における報酬は日本と比べて高額なので、弁済金をそこから払うこともできるようになっている。(白取祐司「日本型『被害者参加』の導入で刑事裁判はどうなるか」『世界』2007年5月)
というものであり、
このように、フランスの被害者参加制度は、厳罰化とは本来関係のないものである。しかし、現在の日本の状況では、甘すぎる司法を追求するために、被害者参加が必要だ、という論調がとられやすくなっている。
また、今回の制度を利用できるのが公判請求された一定の事件の犯罪被害者に限られていることから、制度を利用したくてもできない犯罪被害者に対する配慮もまったくない。
さらに、たとえ参加しても、すべての行為について、検察官の許可が必要であるし、また、証人尋問は情状に限られるなど、制限が多い。犯罪被害者の尊厳回復のためには、自らコントロールできることを増やしていくことが重要であるが、今回の制度はその意味では犯罪被害者の回復には役に立たないどころか、マイナスに働く可能性も否定できない。
という指摘がされています。
(誰のための被害者参加制度なのか?より引用)
被害者参加制度の主たる目的は厳罰化ではないか。
そのためある意味、被害者の報復感情を利用しているのではないか。
それが犯罪被害者の地位向上に繋がるのか。
私は甚だ疑問に思うのです。
第一回目は簡単な事件だったからとどこおりなく済みましたが、これが否認事件や死刑事件ならどうなるか、裁判員裁判の是非はそこでこそ試されるでしょう。
もう少し、事例をいろいろ見て行かないと、色々判断できないので、今しばらく観察していきたいと思っています。
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