コメント
2つほど
一つは憲法第9条についてで、目からうろこが落ちる思いのするお話を見つけたことです。以下の記事をご参照ください。
http://togetter.com/li/499015
http://tukui.blog55.fc2.com/blog-entry-915.html
第9条が如何に深遠な理由で考えられたか、そこに秘められた重大な決意に改めて驚かされました。
もう一つはこの記事のような憲法論議にいつも違和感と不満が存在することです。それは憲法について学べと語りながらその精神である自由主義について全く語らない、考えないことです。
憲法が歴史的教訓を踏まえたものであることは当然ですが、それだけではただの経験主義であり理想も信念も創造できません。
自由主義の積極的自由による”全ての人が自身に関することについて判断し、決定できる”と言う理念があって初めて憲法のそれぞれの権利や自由が何故必要なのかが答えられるようになると思うのです。
左派に類するような方々でも人権や憲法上の権利について教条主義的、道徳的な論理の枠にとらわれている方をよくみます。そこに何故その条文を必要とするのか、何を目的として人権が必要とされたのか、その根底としての自由主義について無理解なままで終わっているように思えるのです。
憲法を学べと語るならただ歴史を語るだけではなく、同時にその思想根底である自由主義についても学ぶべきであると考えます。
長くなりましたが、御一考いただくと幸いです。長文失礼しました。
憲法エントリー
最近のエントリー。「むかし、立憲主義って言ってたかな?」
http://ameblo.jp/kandanoumare/entry-11524482267.html
自分のブログを探しても、憲法に関する話はしていても、まとめエントリーは作っていません。もう少し改憲状況を考えてみなければと思っています。
改憲と対峙することは
何せ、当の司法府(≒裁判所)が憲法週間に「裁判を受ける権利」啓蒙一辺倒のキャンペーンしかやってませんから。
>Barguest 様
>憲法について学べと語りながらその精神である自由主義について全く語らない、考えないことです。
>自由主義の積極的自由による”全ての人が自身に関することについて判断し、決定できる”と言う理念があって初めて憲法のそれぞれの権利や自由が何故必要なのかが答えられるようになると思うのです。
>左派に類するような方々でも人権や憲法上の権利について教条主義的、道徳的な論理の枠にとらわれている方をよくみます。そこに何故その条文を必要とするのか、何を目的として人権が必要とされたのか、その根底としての自由主義について無理解なままで終わっているように思えるのです。
>その思想根底である自由主義についても学ぶべきであると考えます。
鋭いご指摘感謝します。全く同感です。
“自由主義”のなんたるかについて、深く勉強したいと、改めて思いました。
人間、唯一度の貴重な人生…、どんなものにも束縛されることなく、自由に生きたいし、自由を満喫する“権利”がありますものね。( v^-゜)♪
自省を込めて…。
フリスキーさんの、自由主義論を思い出しました。(^-^ゞ