国際政治学におけるリアリズムの萌芽と勢力均衡論
今日の分の更新をばをば。
どうも、A.Kです。
今日は国際政治のリアリズム理論の系譜をざっとご紹介してみようと思います。
ただ、今回は時間、文章量の都合上、「覇権安定論」については省略します。
たぶん近いうちに書きます。
なので、今日はリアリズムの系譜のうち、その萌芽と、勢力均衡論について書きたいと思います。
そういえば、基本的にいつもそうですが、僕も自分の勉強の為に書いてるところがあるので、もしかしたら間違いもあるかもしれません。
その時はご指摘いただけるとすごくうれしいです。
それが面倒であれば笑って見逃がしていただけたらと思います。
●目次
◆はじめに
◆リアリズムの萌芽
◆勢力均衡論(バランス・オブ・パワー)
◆終わりに
◆はじめに~国際政治とはなんぞ~
まず、そもそも論なんですが、国際政治ってなんなのかってことです。
もちろん国際的な政治です。
イメージとしては、最近だったら
中東のISISが勢力を伸ばしているけど、あれにはどうやって日本とか、アメリカとかは対応していくのか
とか、そんなものが浮かぶんじゃないかと思います。
国際政治は、学問としては、第1次世界大戦後のヨーロッパで生まれ、第2次世界大戦後のアメリカで発達していったものです。
この背景には、これらの2つの大きな戦争が起きてしまったのはなぜなのかを探り、今後このようなことにならないようにするにはどうしたらいいか、ということに関心が持たれたことがあります。
なので、これからお話しするリアリズムの理論というものも、基本的には国際社会の秩序をいかに安定させて、第3次世界大戦を防ぐか、という目で見ていくとわかりやすいんじゃないかと僕は思っています。
◆リアリズムの萌芽
リアリズムの伝統は、古くは古代ギリシャのトゥキディデスや中世イタリアのマキアヴェリに始まると言われていますが、学問的に確立したのは第2次世界大戦の時の国際社会の風潮に対する批判を通してでした。
その風潮というのが、「古典的リベラリズム」というものです。
リアリストから言わせれば「ユートピアニズム(理想主義)」と言われたりもします。
古典的リベラリズムとは、第1次世界大戦後、アメリカのウッドロー・ウィルソン大統領が唱導した考え方で、大戦前のヨーロッパにおける勢力均衡では秩序は守れないため、法律によって秩序を守るべきだと主張するものです。
その考え方に基づいて、国際連盟の設立、不戦条約の締結によって戦争が「違法化」されました。
意外に思うかもしれませんが、それまで、戦争は「法的には」違法じゃなかったんです。
もちろん道義的には嫌がられるものでしたけどね。
そして、国際連盟の下で「集団安全保障」の体制が構築されました。
集団安全保障とは、世界の各国が戦争が違法であることに同意し、その法を犯して侵略行為に及んだ国が出たら、他の国で共同してその侵略国を懲らしめる、という考えです。
今の国際連合にも引き継がれています。
しかし、みなさんご存じの通り、この国際連盟の集団安全保障体制の中には、言いだしっぺのアメリカが入っておらず、また敗戦国ドイツや、共産主義革命を果たしたばかりのソ連も入っていませんでした。
その上、この集団安全保障システムを各国に強制する力を誰も持っていなかったため、このシステムを犯す侵略国が出てきても、本当に他の国が共同して侵略国を戦うのか、確信できる要素はありませんでした。
イギリスの国際政治学者E. H. カーは、第2次世界大戦直前に著した『危機の二十年』という本の中で、
こういう状況であるのだから、これで集団安全保障が機能するなどという願望的思考に基づく外交は危険だと批判しました。
そこで彼は、当時勢いづいていたナチス・ドイツへの対応として、勢力均衡を説いたのです。
これが国際政治学におけるリアリズムの端緒だと思います。
◆勢力均衡論(バランス・オブ・パワー)
では、そのE. H. カーが説いた勢力均衡論が、その後どのような変遷を経たのかをご説明します。
●モーゲンソーの政治的リアリズム
結局第2次世界大戦は発生してしまい、古典的リベラリズムはダメなんじゃないか、という風潮ができたため、リアリズムが注目されるようになります。
そこで活躍するのがアメリカの国際政治学者ハンス. J. モーゲンソーです。
モーゲンソーの主張はこうです。
政治は常にパワーを巡る闘争になる。国際政治も同様で、国家は自己目的化したパワーの最大化に努める。したがって、そのような国家が蠢く国際社会の秩序を安定させるためには、勢力均衡が必要である。
勢力均衡の大前提は、「力の真空は侵略を招く」というものです。
国家間のパワーの格差が大きいと、パワーの大きな国家からしたら他国に侵略しても代償はそんなに大きくないと思われるため、侵略しやすくなってしまうよ、ということです。
逆に言えば、パワーの格差が小さければ、侵略の代償が大きくなるので、侵略しにくくなります。この状態を作るために、国家は勢力均衡を図るべき、とされるのです。
でも、この勢力均衡、全ての国家のパワーを一律にするなんてことを主張しているのではありません。
国際社会全体における主要な大国の間で、均衡がとれていれば良いのです。
この均衡のしかたには、
2つの超大国間の均衡がとられるべきとする「2極安定論」と、
もっと多くの大国間で均衡がとられるべきとする「多極安定論」とがあります。
●ウォルツのネオリアリズム
しかし、1970年代初めになると、リベラリズムが勢力を巻き返し、リアリズムが批判にさらされてきます。
そこで、もう一度リアリズムを捉え直したのが、アメリカの国際政治学者ケネス・ウォルツです。
彼は、科学的な国際政治理論の構築をめざし、原因と結果に関わる要因をできるだけ減らそうとしました。つまり、何が最も重要なのかを探ったのです。
そして、一般的に国際政治の分析には
・構造レベル(国際的な事情、例えば国家間のパワーの分布状況など)
・国家レベル(国内の事情、例えばその国の政治体制、世論など)
・個人レベル(例えばヒトラーはどんな人間かなど)
がありますが、ウォルツはこのうちの構造レベルに専ら着目すべき、としました。
どういう国だろうが、どんな指導者がいようが、国際政治の構造の変化によって必要が生じれば、国家は自国の生存の為に戦争を起こせるものだからです。
この国際政治の構造を決定づけるものとして、
・国際社会が階層的か無政府的か
・国際政治の主体の間に役割や機能の違いがあるか
・主体間のパワーの分布状況はどうなっているか
が大事であるとしています。
しかし、現在の国際社会は無政府的であり、国際政治の主体国家間はみな自国の生存を求める点で機能は同じなので、結局「パワーの分布状況」こそが大事ということになります。
まぁ本当は国内レベルも個人レベルも関係してきますし、それらについて合理的に考えたところで説明できない現象も起きますが、彼はそれらは国際政治全体の説明には必要ないとしています。
◆終わりに
書き疲れました笑
いやぁ国際政治学の中でも基本中の基本みたいな分野ですが、そもそも僕は政治学というものにあまり慣れていないので、理解するのが大変で大変で。。。
最初の方にも書きましたが、もし間違い等ありましたらご指摘いただけるとうれしいです。
また今日も参考文献は下に書いておきます。
では今日はこの辺で!
・参考文献
村田晃嗣他『国際政治学をつかむ』(初版)(有斐閣、2009)
ジョセフ・S・ナイ・ジュニア, デイヴィッド・A・ウェルチ『国際紛争』(原書第9版)(有斐閣、2013)
E. H. カー『危機の二十年』(岩波書店、2011)
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