「川上稔だから許される」は許されない
今月の『境界線上のホライゾンⅦ<上>』が相変わらず801ページとかいうアホみたいなページ数になったので、カッとなって書いてます。なんだ801ページって。やおいか。山なし落ちなし意味なしか。
GENESISシリーズ 境界線上のホライゾン 7(上) (電撃文庫) (2014/02/08) 川上稔 商品詳細を見る |
境ホラの新刊が出る度に、自分のTL上に「今回は薄いな」「今回は分厚いな」等の発言が渦巻くのですが、はっきり言ってこの分厚さはただただ害悪だと思います。
いや単純に持ちにくい。あとかさばる。
川上稔の分厚さ伝説と言えば、前作『終わりのクロニクル』の最終巻ですが、あれが許されたのは
①最終巻である
②分割すれば今までとページ数変わらない
③ネタ
という理由があったからだと思います。昔、本屋で表紙を手に取ろうと思ったら平積みが引っかかって折りかけたのは良い思い出。
ところが翻って、『境界線上のホライゾン』シリーズはどうでしょう。
最初から分厚い。次も分厚い。その次は電撃至上最も分厚い。その次も、その次も、その次も……。
何がしたいのかわからない。
本を分厚くして何がしたいのか、編集の意図がまったくわからない。
電撃編集部はいつからか、こう考えてしまっているのではないでしょうか。
「川上稔の本は分厚いもんだ」
ふざけんなよと言いたい。声を大にして言いたい。
現時点で川上稔の本が分厚いメリットはなんだ。終わクロ7巻の要素で言えば、
③ネタ
しか残ってないじゃないですか。
そんなしょうもないネタのためにいちいち分厚い本買って棚に並べて悦に入るのか。馬鹿らしい。
もっと分割すればいいと思うんです。Ⅱ-1、Ⅱ-2みたいなナンバリングとか。上中下にこだわる必要なんてないと思うんです。
それをなんでわざわざ分厚くするのか。メリットがない。新刊出る度に「今回も分厚いねー」と会話のネタになる程度か。それもここまで続けばその一言で終わってしまうだけの話になるのではないでしょうか。
ただ「分厚くすればいい」という、思考停止状態で出版する本になんの意味があるのでしょうか。
こういう言い分もあるかもしれません。
「物語が重厚だから、分厚くなるのは仕方ないんだ」
わかります。重厚ですね。日本史と世界史をオリジナル要素で絡めてキャラもウン十人単位でいますもんね。
ラノベでやることじゃねーよ。
境ホラも読めば読むほど思うんですが、そりゃ分厚くなるよ、こんだけキャラもいるしイベントもあるだもん。
ただ、でもそれってラノベでやることじゃないよね? と。
書きたいこともたくさんあるんでしょう。やりたいこともたくさんあるのは伝わってきます。
でもそれってもうちょっと圧縮できないのでしょうか。もうちょっと、伝わりやすく書けないのでしょうか。
特に境ホラはそう感じるのですが(終わクロはそうでもなかった)、全体の流れは進んでいても、その流れは「歴史再現」という言わば歴史年表上でキャラクターが成長しているだけで、肝心の「物語」の部分が進んでいないような印象を受けます。「歴史再現」というテーマに偏り過ぎて、作品としてのオリジナル部分がおろそかになっているような感じです。
6巻かけて公主隠しの真相がほんのちょっとわかってるだけ、みたいなのが例として挙げられると思います。それもただの6巻じゃありません。「分厚い」6巻です。
それで、今回もうⅦですよ。終わクロで言えば最終巻です。まだ読んでないのですが、あらすじ見る限り、ここで終わる気配はなさそうです。いつまで続くんだろうね。
とまぁここまでボロクソに叩いてみましたが、自分、基本的に好きな作品か本当にクソだと思う作品しか叩きません。
境ホラは、好きです。好きな作品だけに、こうしてあら探しして嫌いなところをあげつらいたくなるのです。
と最後にフォローだけしておしまいにします。正直ちょっと疲れた。