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1998年の日経賞(G2)を制し、現役引退後は警視庁騎馬隊で活躍したテンジンショウグン(22歳)が 新ひだか町にある馬の養老施設ローリングエッグスクラブステーブルで余生を送ることになった。 ようやくたどり着いた終の棲家。 しかし、テンジンショウグンがここまで歩んできた道のりは決して平坦なものばかりではなかった。 デビュー前、「2歳年上の半兄で、前年の皐月賞(G1)2着馬シャコーグレイドよりも上」という評価を受けて初戦を 快勝するもの、その後は低迷。4歳秋に準オープン特別のオクトーバーS(芝2300m)をレコード勝ち(当時)するも、 重賞戦線では思うような成績を残せないまま7歳春、この年からJRAが活性化させる方向を打ち出した 障害競走に転向する。入障3戦目で初勝利、2連勝を飾るが、3番人気におされた東京障害特別は大竹柵 (11号障害)で落馬。続く阪神障害Sは見せ場なく大敗していた。平地も、障害も頭打ちの状態のなか、 日経賞(G2)への出走を決めたのは「中山競馬場のバンケットがあわないと判断したから」(矢野照調教師) だという。そんな逆風のなか後方を進んだテンジンショウグンは直線に入ると前を行く1番人気の ローゼンカバリーを交わして優勝。兄が成し得なかった重賞勝利を、当時の最高齢タイ記録で成し遂げた。 通算成績は51戦8勝(重賞1勝、障害6戦2勝含む)。 現役引退後は。警視庁の騎馬隊に入り、新志という名前で交通安全教育や各種パレードの交通整理、 外国大使の信任状捧呈式馬車列警護などの活動を行ってきた。22歳になった今年、その役目を終えて 生まれ故郷の北海道に帰ってきた。 8月26日、午前7時45分、同ステーブル関係者スタッフや報道陣が待ち構える中、ゆっくりと馬運車から降りた テンジンショウグンは落ち着き払った様子で用意された放牧地で長旅の疲れを癒した。 同ステーブル代表の宮本さんは「いろいろな方のご縁やご支援で、無事に迎え入れられることができました。 新しい環境にもすぐに慣れてくれたようでホッとしています。22歳。功労馬としてはまだ若い馬ですから長い お付き合いになりそうです。せっかく生まれ故郷に帰ってくることができたのですから、おだやかに時間を 過ごして欲しいと思っています」と馬を労った。 http://uma-furusato.com/news/detail/_id_69177
ダイタクヤマトの件を考えると、乗馬の方が幸せなような希ガス
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