沼の見える街

ぬまがさワタリのブログです。すてきな生きもの&映画とかカルチャー。

読書メモ:『なぜ悪人が上に立つのか―人間社会の不都合な権力構造』

str.toyokeizai.net

突如として他国に侵攻して石油の所有権を主張する凶悪な大統領から、会社や学校など小集団の意地悪なリーダーまで、「一体全体なぜこんな最悪な人間がこの地位まで上り詰めたんだ?」と不思議に思うことは規模の大小を問わず多い。

最も大きな要因は「権力に最も引き寄せられる人が、それに最もふさわしくない人であることが多い」という身も蓋もない事実である。さらに「人を最悪に変えてしまう」権力の効能も加わり、気づけば「悪人が上に立つ」世界の出来上がり。

希望のない話に思えるが、諦めずに「もっと良い」リーダーを選び、もっと良い市民社会を構築することは可能だと説く、警鐘とやる気に満ちた一冊、それが『なぜ悪人が上に立つのか―人間社会の不都合な権力構造』だ。

現実に殺戮に関わった独裁者とか、スケールのデカい極悪人(ただ会ってみるとあくまで温厚で親切に見えたりする)やその関係者に著者がインタビューしにいく箇所もスリリングだ。

そうした巨悪だけでなく、ごく普通の学校のメンテナンス職員が、昇給と昇進を求めて権力の魔力に取り憑かれ、マフィアのボスのようなパワハラや脅迫に走るようになり、ついには爆弾まで送りつける事態になっていくとか、ネトフリでドラマ化しそうなエピソードにも事欠かない。

国家権力の代表例といえば警察だが、本書『なぜ悪人が上に立つのか』で、タイムリーにして恐ろしい身近な事例が、警察官の採用方法によって「どんな警察官が集まるか」が決まってしまうという話。

アメリカ南部ジョージアのとある町は小さく平和なのだが、なぜか警察署は死ぬほどマッチョで恐ろしげで戦闘的な勧誘動画を公式HPに載せていたりする。こうしたメッセージの出し方によっては、やたら攻撃的だったり、警察活動を戦争のように捉える人(実際、アメリカの警察官志望者は元軍人が多いそうだ)が過剰に集まってしまい、それが警察暴力のような深刻な問題の温床にもなる。

BLM運動の成果もあってか一定の警察改革が行われたが、「すでにいる」警察官の行動を変えることばかりに注目し、「これから雇う」警察官に着目してこなかったと本書は問題提起する。

警察官の勧誘動画の話で、ジョージアの町(ハードロックをBGMにパニッシャーみたいな武装マッチョCM)と対照的な例として、ニュージーランド警察のCMがあげられる。

youtu.be

そこでは「ニュージーランド警察は、大きな違いをもたらせる新人を募集します」という呼び掛けとともに、マオリ族の警察官が色々な人を助けたり、容疑者を追跡していたと思ったら犬だったり…というほっこりエピソードを挟んだりしつつ、「あなたも他者を気遣って、警察官になりませんか?」と締める。パニッシャーではなくヘルパーを募集したのである。

その結果、募集者の属性は多様になり、かつ数も増加した(権力を腐敗させないためには数も重要)という、日本含め他の国も学ぶべきことが多そうな事例となったそうだ。

この話がなんでタイムリーかというと、ちょうどアメリカで今日、ICE(移民税関捜査局)職員が発砲して女性が死亡して大騒ぎになっているから。はっきり言って現状のICEなんて『なぜ悪人が上に立つのか』の言葉を借りれば、それこそパニッシャー気取りの暴力的で差別的な傾向のある人間を全国から積極的にかき集めたようなものなので、必然こうなるよな…というほかない。

www.cnn.co.jp

そもそもトップであるトランプがアメリカ史上最悪の腐敗した権力と言わざるを得ないので、腐敗のトリクルダウンみたいな感じで、どこかで必ず人々の日常ラインにたどり着く。日本も排外主義が凄いことになっているのでよそのことは言えないが、恐ろしいことだ…。

『なぜ悪人が上に立つのか』本文にこういう箇所がある。

"権力についてのケルトナーの研究は、明確な作用を浮き彫りにする。権力のある人は、自分を抑制する力を失う傾向にある、というのがそれだ。「権力に酔う」というのは、まさに打ってつけの描写だ。権力があるという感覚を強められた人は、他者にどう思われるかは、あまり気にしなくなる。他者の心をうまく読めなくなる。他者に共感する必要を、それほど感じなくなるからだ。彼らは、規則は自分には当てはまらない、と感じはじめる。"

ICE職員の暴走もまさにこれで、ただでさえ暴力的な傾向があったり、権力という(アルコールにも似た?)ものに酔いやすい人間が、さらにトランプのような国のトップが暴力を煽っているわけだから、権力に酔うどころか泥酔して、今回みたいな事件を起こしたことも何も不思議ではないといえる。

 

そうした独裁者にどのように対応していくか、というのも『なぜ悪人が上に立つのか』の主要テーマだ。野球の成績を評価する上でリーダーシップの重要性が単純に評価されすぎ、という身近な話にこう続ける。

"この一見すると些細な点が重要なのは、野球のダイヤモンドよりも重大な領域を支配する、多くの不道徳で下劣な指導者が、自分の成果を目覚ましいものに見せ掛けるのが「本当に」得意だからだ。"

過程に着目せず、つい結果だけを見てしまう…という私たち一般人の性質を、不道徳な権力者はよく知っていて、本当は自分の政策や行動の成果ではないものも、平気で自分の手柄として主張する。その結果、「ナチスも良いことをした」とかいつまでも言ってるうっかりやさんがいなくならない、というわけだ。

まさに日本でも話題になった本『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』でも語られていたことである。短い本で読みやすいので一読オススメ。電子半額還元してるし↓(1/8時点)

『なぜ悪人が上に立つのか』、「巧みなPRキャンペーンを展開したおかげで、受けるに値しない称賛を勝ち取った指導者」の例としてムッソリーニをあげる。

今ではイタリアの独裁者として悪名高い彼でも、「とはいえ、ムッソリーニは列車を時刻表どおりに走らせた」という称賛だけはなぜか今も消えていない。だが、これは嘘である。ムッソリーニは前任者が改良した交通インフラを自分の手柄としてPRしただけで、実際は虚栄心を満たす駅の装飾などに注力しており、一般人の交通手段になど何の関心もなかった(結果、列車の運行も特に改善されず)。

人々が悪人のPRを真に受けてしまいがちなことや、「いっけん悪いけど、実はいいこともした」みたいなストーリーが好きすぎることは、「なぜ悪人が上に立つのか」の理由のひとつでもある。

『なぜ悪人が上に立つのか』、権力の座についた「悪人」は昨今、デジタルテクノロジーを駆使して、「パノプティコン型」の監視社会を作り上げようとする。大企業や権威主義国家は、労働者の全てを監視する前代未聞の能力を得ている。中国の「社会信用システム」もその一環だろう。

絶望的にも思えてくるが、私たち一般人が第一にやるべきことはこの「監視社会」の構造を逆転させること。つまり権力が私たちを監視するのではなく、私たちが権力を監視するべきだと結論づける。

その最大の役割を担うのがジャーナリズムのはずが、世界各地で今それが(億万長者や権力の介入もあって)衰退してるのは懸念すべきだろう。

つい先日読んだ『過疎ビジネス』でも、地方ジャーナリズムの運営が成り立っていないことが、腐敗を加速させているという話も出ていた。

numagasablog.com

ジャーナリズムは科学や司法やその他諸々と同じくらい必要不可欠なシステムで、PRばかり得意な悪人に世界をボロボロにさせないための最終防衛ラインなのだ。まずこの世界が「悪人が上に立ちやすい」世界であることを認め、そのうえで傾向と対策を見極め実行していくための一冊となっている。おそろしいけどオススメです

kindle版がなんか67%とか大幅還元してます↓(1/8時点)