基本読書

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熱力学を通して、地球内生命を異なる時間スケールからとらえ直す傑作サイエンス・ノンフィクション──『地球内生命──私たちがまだ知らない地下の異世界』

はたして地球の一番深い場所にいる生命は何なのだろうか? その答えはいまだに明らかになっていないが、およそ生物が存在しないような極限環境下(火山とか、地殻の数キロ掘った場所とか)にも多種多様な生物が存在することがわかってきている。

本書は、そうした地球の地下に眠る生命圏で暮らす生き物たちについてのノンフィクションだ。著者は極限環境下での生物の研究者で、海底から火山、果てには永久凍土まで様々な場所に微生物を採取していく、微生物学者にして探検家でもある。本書では著者が採取した様々な地球内生命たちの話と合わせて、そうした冒険の日々についても語られていくので、高野秀行的な冒険ノンフィクションとしてもおもしろい。

また、地球内生命がどのようなエネルギー収支のもとに成立しているのかを解き明かしていく過程で(地下の奥深くには太陽光は届かないのだ)、地球生命に関する、あっと驚く大胆な仮説も提示して見せる。僕はその仮説を綴った箇所を読んだ時、これまでの常識を覆される感覚を味わった。生物探求の日々と、極限環境下の生物を紹介していくだけにとどまらない、僕がサイエンス・ノンフィクションを読む理由、その醍醐味──凝り固まった常識の破壊と更新──が詰まっている、すばらしい一冊だ。

地下生命圏の定義

地下に住む生命の話をしていくわけだが、本書では地下生命圏の定義を『地下生命圏とは、陸地か海底の下にあって、定常的には日光が届かず、それでも生命を維持できる条件を備えた場所である』としている。地球は積層構造になっていて表層には地殻が50kmぐらいあり、その下にマントルがあって、地表からコアまでは7000kmほどになる。人類は地殻すら掘りきったことはないが、人類がこれまでに掘削できた地殻の少なくとも数キロメートルに関しては、生命が満ちているらしい。

地下の生命はどう生きているのか?

しかし地下の奥深くにも生命がいるとして、どうやって生きているのだろう? 光も届かないのに──といえば、二つのタイプが存在する。一つは、地表からこぼれ落ちる光合成の残渣に頼るタイプ。これはけっきょく光合成の恩恵を受けている。

一方、光合成に頼らず、地殻で生成される化学物質を利用して生きる「化学合成」に頼るタイプも存在する。地下の微生物には地表とは違う恩恵があって、それが圧力と熱だ。圧力と熱があれば、岩や鉱物が化学物質に変わる。たとえば、かんらん石が高温・高圧下で水と混ざることで水素などの化学物質を生じさせる「蛇紋岩化作用」と呼ばれる反応は、生命に必須の化学物質を日光を利用せずとも、すべて生成できる。構造プレートが沈み込み帯に沈み込むときにも、鉱物から二酸化炭素、一酸化炭素、金属類、硫黄、窒素が絞り出され、水に溶け込んだそれらを微生物が利用する。

地殻の化学物質だけを糧にして生き続けられるメタン菌や酢酸生成菌といった存在は太陽を気にする必要がまったくない。もし明日突然太陽が消失したら、地上の生命は大慌てで長生きできないが、彼らは異変が起きていることにすら気がつかない。試算によれば、そうした生命は想像以上に大量に存在しているようなのだ。『つまり、海底下には計り知れないほど膨大な数の地球生命が生息している。海底下の堆積物にある微生物細胞の数は二・九×一〇の二九乗個にのぼると推計されている。』p.25

熱力学を通してこの宇宙の生命について考える

ただ、蛇紋岩化作用も万能の作用というわけではない。一連の化学反応が起きると水溶液中の水素イオン濃度を示すpHが12ぐらいまで上がって漂白剤に浸かったような状態になってしまう。その環境下では使い勝手の良い水素イオンの勾配を利用するプロトン駆動力が使いづらくナトリウムイオンの勾配などに頼らざるを得ないが、こちらはその仕組み上、得られるエネルギーがどうしても少なくなってしまう。

地下生命圏では生物は限られたエネルギー出力で生きていかなければならないが、そこで重要になってくるのが化学反応が起きた時に放出されるエネルギー量を示す「ギブズ自由エネルギー」という概念で、ΔGと書く。ΔGがマイナスの時に反応は自発的に進み、生物はエネルギーを収穫できる(プラスの場合はエネルギーを必要とする)。生物に利用可能なエネルギーの量を求める等式は簡潔で美しい「ΔG = ΔG° + RT ln Q」で、標準状態でのエネルギー変化量を、実際の温度や化学物質の濃度で補正することで、ある環境下での反応が本当に自発的に進むかどうかを計算できる。

ΔGの意味と求め方が解説された後、それを用いて提示される仮説が、本書を読んでいてもっとも興奮する箇所だ。具体的には、ΔGを求められれば、地球内生命がその環境下でどれだけのエネルギーを得られるのかが判明するのだが、海底堆積物の下、数十〜数千メートルに広がる海底下深部では、この数値が驚くほど低く出るのだという。細胞分裂するには何桁も足りないぐらいの出力しかそこでは得られないのだ。

しかし、著しく出力が低くてもそこには微生物が大量にいる。

このことが示唆するのは、海底下深部は地球最大級の生態系であるにもかかわらず、そこにすむ微生物のほとんどは実のところ増殖していないという可能性だ。既知のあらゆる種類の細胞増殖に必要な出力の〇・〇〇〇〇一パーセントの出力しかないため、たった一度の細胞分裂さえこなせないことになる。p.145

細胞分裂をして新たな細胞を生み出しているのなら当然遺伝的な変異が蓄積するはずだが、海底の堆積物を調べても、細胞分裂をしていたなら蓄積しているはずの遺伝的変異は確認されなかった。これは間接的な証拠の一つだ。細胞分裂しなければ細胞が損傷して死ぬのでは? と思うかも知れないが、細胞分裂をしないかわりに脂質やヌクレオチドなどのパーツを一つずつ徐々に取り替えて、およそ半世紀かけて全分子を入れ替え、個々の細胞が数千年、あるいは数十万年生き続ける。

これが地下の生命圏で起こっていることなのではないか、というのだ。仮説を支持する証拠も集まりつつある。しかし、そんなことをして何の意味があるのか? 細胞分裂しないので、変異もなく、進化論も機能しないように思えるが、それではどうやって繁殖しない個体群はこの状態にたどり着いたのか? 何を待っているのか?

一ついえるのは、地球内生命の時間スケールは、地球上の生物とはまったく異なるのだろう。数千年、数億年のスケールでは、プレートが移動し、新しい海底や火山が産まれる。われわれの視点からみると「変化も何も起こさずにそこにいる」だけの存在だが、彼らはただ数千年先の環境の変化を待ち受けている、実は地球の時間スケールに適応した存在といえるのかもしれない。詳しくは、本書を読んで確かめてみて欲しい。

おわりに

メインからは漏れたが、著者が極限状況下に生物を採取しに出かけていくのも本書の魅力のひとつ。特にコスタリカの首都サンホセから50kmぐらいの場所にある、硫黄が分厚く堆積していることで知られるポアス火山のエピソードはおもしろい。

微生物採取のために火口に著者らが赴いて、「もし噴火が起きた時退避はどうしたらいいのか?」と現地のベテランに聞いたら、次のように返ってきたのだという。『ああ、もちろん! よくぞ聞いてくれた。退場の仕方はシンプルさ。この火口で噴火が始まったら、そっちを向いて絶景を堪能すればいい……それがあなたの最期だからね。』p.93、と。著者らが火口を出た54日後にポアス火山は噴火をしたから、まるで冗談ではない。極限状況下の生命の研究者は、研究工程自体が極限だ。

地球の、というより宇宙の生命観を更新する、信じられない一冊であった。生物系のノンフィクションが好きな人にはもちろん、SF好きにも薦めたい。センス・オブ・ワンダーに満ち溢れた傑作だ。