NPO法人POSSE代表理事・岩本菜々さん寄稿
2025年6月、最高裁判所は13年から進められた生活保護費の引き下げに対し、違法であるとの判決を下した。この判決によって、不当な減額に対する謝罪や補償、生活保護基準の見直しが進むと期待されていた。
ところがこの判決を受けて進められているのは、生活保護費の「再減額」である。国は、最高裁では違憲と判断された引き下げ方法である「デフレ調整」とは別の方法を用いて保護費を再度引き下げ、生活保護受給者にも、原告にも十分な補償を行わないまま、この問題に幕引きを図ろうとしているのだ。
生活保護制度は日本で生活するうえでの「最低限度」を保障するものだ。物価高騰のなかで生活費が上昇しているにもかかわらず、生活保護基準の引き下げが維持されるということは、私たちの生活の「底」が抜けていくことを意味する。
だが、こうした状況に対して、社会の多くの人は無関心である。それどころか、権利を要求する生活保護受給者をたたき、切り下げを積極的に支持していくような雰囲気すらある。こうした世論があるからこそ、国が司法の判断を軽視することが可能になっていると言ってもよいだろう。物価高騰にともなう社会全体の貧困化は、賃上げや社会保障の拡充要求へと向かうのではなく、むしろ「自分たちの生活を守るために他者を切り捨てる」という意識を広げているように思われる。
これを象徴するのが、現在行われている選挙で各党が掲げる「減税」合戦である。たしかに減税を行えば、多少なりとも手取りは増えるかもしれない。しかしその結果として社会保障が削減されることになれば、よりいっそう自己責任が強化された社会が待っている。
昨今の選挙では、外国人が社会保障に「ただ乗り」し、日本人の納めた税金を奪っているという主張や、高齢者の医療費負担が若者の生活を圧迫しているといった主張が人々の共感と支持を得ている。
私たちはこのまま、自分の生活を防衛するためなら他者を切り捨てることもいとわない、冷たい社会へとつきすすんでいくほかないのだろうか――。本稿では生活保護切り下げや「減税」合戦がもたらす現状を分析し、そこから抜け出す可能性を考えていきたい。
上がり続ける物価、夏場は生きるのがつらい
まず、生存が保障されない社会の現状を見ていきたい。
いま、私が代表を務めるNP…
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