yuhka-unoの日記

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相手のための気遣いと、自分が嫌われないための気遣い

毎日放送関西ローカルのお昼の時間帯に、「ちちんぷいぷい」という情報番組がある。良い意味でのゆるい雰囲気が持ち味で、私はけっこうこの番組が好きで見ている。
その「ちちんぷいぷい」の中に、大吉洋平という若手アナウンサーが、京都の様々な老舗で、一週間(五日間)修行をするというコーナーがある。前回が旅館で、前々回が和菓子屋だった。
 
和菓子屋での修行の回、従業員たちが新しい和菓子の案を出す時に、大吉アナは、「故郷を離れて働く子供が、親元を離れて初めて親のありがたみがわかって、親に感謝して贈るための和菓子」を提案したところ、和菓子屋の女将さんに、「悪いけど、お利口さん」と評されてしまう。一方、他の従業員は「焼肉を模した和菓子で、名前が『叙々苑』」を提案する。女将さん曰く、こっちのほうが面白い、と。その後、大吉アナは、ポッキーを木の枝に見立てた和菓子を作り、自分の殻を破ることができた。
次に行った旅館のご主人は、特に厳しく、自分が良く見られようとしたり、形だけ取り繕おうとすることを許さない。真にお客さんのことを考えて行動することを求める。これはつまり、大吉アナに対して、上司である自分のご機嫌を取ることを許していないのだろう。
 
和菓子屋と旅館、両方に共通していたのは、「自分が良く見られたい」という心を徹底的に排除しているということだった。和菓子屋なら、良い和菓子を作るのが目的であって、その和菓子を作っている自分が良く見られることではない。旅館なら、お客さんにとって良いことをするのが目的であって、自分が良い従業員だと褒められるためにするのではない、ということなのだろう。
これはなかなか、簡単なことではないだろうな、と思った。部下にとっても簡単なことではないが、上司にとっても簡単なことではないだろう。なぜなら、上司は自分のご機嫌を取ろうとする部下を可愛がってはいけない、ということなのだから。
部下は、上司に気に入られようと、形だけ良く見せるほうが楽だ。上司も、自分のご機嫌を取ってくれる部下は気持ちが良い。油断すると楽な方へ行ってしまうが、たぶん、この楽さは最初だけの一時的なもので、長期的には、やがて自分たちの首を絞めてしまうものなのだろう。従業員が「顧客より上司の顔色を伺っているほうが、この会社内で生き残っていける」と思ってしまった会社は、集団内においては、「ムラ社会」的な居心地の悪さを作り出し、会社としては、徐々に衰退していく道だから。
 
私はこの番組を見ながら、母のことを考えていた。私の母は、他人に対して気を遣い、善良に振舞う人だったが、それは他人から悪く思われたくないからであり、他人への思いやりからのことではなかった。母は、他人を受け入れていたわけではない。むしろ、他人を拒絶していたと言ってもいいだろう。母の気遣いや善良さは、他人から自分を守る「鎧」だった。母は「鎧」を着て他人に接していた。
母は私に対しても、親戚が集まる場やご近所さんのいる所では、他人への気遣いを求めた。母はそれが躾だと思っていたのだが、実際のところは「あんたがそんな態度だと、私が悪く思われてしまう!」という恐怖感だったように思う。母の、他人から悪く思われないための努力に付き合わされるのは、今だからはっきりと言えるけれど、迷惑だった。
母は、意識上では他人に対する親切心のつもりでいたが、実際は自分が悪く思われないための行動だったので、私が相手にとって良いだろうと思ってしたことが、母にとって良くなかったということがよくあった。私がまだ、母の気遣いは他人のためではなく母自身のためだと気付いていなかった頃、私は混乱し、気力を消耗した。もし母が本当に他人に対する思いやりから行動する人だったなら、私は母に怒られても納得することができただろう。言ってることとやってることが違う人に付き合うのは疲れるのだ。
 
表面上は同じように細やかな気遣いをしているようでも、相手のための気遣いと、自分が嫌われないための気遣いとは、本質が全然違うよなぁ、と、番組を見ながら思った。
 
[追記]
予想外にブックマークがついたので、番組のコラムページにリンク。
8/5ただいま修業中 大吉京平への道 老松 北野店 (和菓子屋の回)
8/19ただいま修業中 大吉京平への道 美山荘 (旅館の回)
 
 
[更に追記]
続きを書きました。
自分が嫌われないために気を遣う人は、身内を潰す。
 
 
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他人に対して気を遣って丁寧に接する母と、それができない私の話