春の東海遠征 どうするよっし~③ 岡崎公園(岡崎城)前編
桶狭間古戦場を後にし、境川を渡って三河国(刈谷市)に入る。

東京にいた頃は帰省する際、よくR1を利用したが、最近はすっかりご無沙汰。
知立名物、藤田屋の大あんまきの誘惑も振り切り、矢作川(やはぎがわ)を渡って神君家康公の生誕地、岡崎市街に入る。
岡崎城のある岡崎公園周辺は花見客と観光客で大混雑。

しかも公園の駐車場はイベント期間中のため事前予約制となっており駐車不可。
諦めて別の場所に行くか? それとも駐車場を探す?
どうする よっし~

待ってろよよっし~… 俺の白兎

信長公が怖いので、駐車場を探すことにする(笑)
誘導員に代替駐車場を尋ねてやってきたのは、岡崎市立図書館。

岡崎公園からR1を挟んで北側にあり、ここの駐車場(450台:有料)を利用する。
伊賀川沿いの桜並木を眺めながら岡崎公園に向かう。

日本さくら名所100選にも選ばれている。
ちょうど満開で、中心部が赤い散るサインを出している花もチラホラ。

伊賀川は1㎞ほど上流の伊賀八幡宮に因み、安祥松平家(家康の家系)の氏神とされる。

伊賀って、もしかしてこの方に関係するの?
服部正成(半蔵)(山田孝之)

徳川十六神将の1人、服部半蔵はまさに三河のこの伊賀郷で生まれたそうだ。山田孝之さんの半蔵、絶妙にポンコツな感じがイイですね(笑)
龍城橋(R1)をくぐって岡崎公園側へ。

多くの家族連れが花見を楽しんでいた。

まさにベストタイミング。

岡崎公園(岡崎城)

日本100名城(45番)の岡崎城を中心とした都市公園(歴史公園)で、約10ha、東京ドーム約2個分の広さがあり、日本の都市公園100選にも選ばれている。
これまで20回以上前を通っているが、立ち寄るのは今回が初めて。
東照公産湯の井戸

家康公の誕生時にこの井戸の水を産湯として使ったとされ、現在でもポンプで汲み上げた井戸水に直接触れることができる。
原型は三河国守護代の西郷氏が小高い丘の龍頭山(標高約24m)に築城。

このため別名龍城とも呼ばれる。また伝説では、家康公生誕の朝、城楼上に雲を呼び風を招く金の龍が現れ、昇天したという。
持仏堂曲輪腰巻石垣(じぶつどうくるわこしまきいしがき)

江戸時代前期に構築された石垣で、隅角(ぐうかく)の角石(すみいし)は算木積みされている。
散策路にあったマンホール蓋。

天守閣と伊賀川を通る米を運ぶ船が描かれている。摩耗して見にくいが帆に五万石と記されており、慶長7(1602)年、譜代の本多康重(本多豊後守家)が三河岡崎藩5万石を与えられた。
岡崎公園の大くろまつ

樹高27.0m、幹周4.0mで樹齢は不明。岡崎市のふるさとの名木(第65号)に指定されている。
本丸埋門北袖石垣(ほんまるうずみもんきたそでいしがき)

大型の自然石や割石が使用された高さ10mにも及ぶ石垣で、持仏堂曲輪腰巻石垣より先行して築かれたとされる。
龍城堀(りゅうじょうぼり)

当初は土塁と空堀からなる平山城だったが、関ヶ原後に拝領した本多氏により、強固な石垣や城壁が整備された。
キシノウエトタテグモ生息地 (岡崎市指定文化財 天然記念物)

トタテグモ科の原始的なクモで体長15㎜くらい。環境省レッドリストの準絶滅危惧(NT) 岡崎市内では岡崎公園内の石垣でのみ生息が確認されている。
キシノウエトタテグモ

空中浮遊で移動する能力がなく、起伏のある庭園や石垣などにハッチ式扉を持つ横穴式住居を作る。振動で獲物を感知し、瞬時に扉を開けて引きずり込むという、まさに忍者のようなクモだそうだ。
もしかして半蔵配下の忍軍の一員なのかな?(笑)

本丸埋門(ほんまるうずみもん)

本丸に4つある虎口の1つで、門の外側にも桝形がある二重桝形となっており、石垣の間に門が埋もれることからこう名付けられたとされる。
岡崎城天守

1873(明治6)年の廃城令により、天守以下ほとんどの建物が破却された。
現在の天守は1859(昭和34)年に再建されたRC造の復興天守。

入館料は300円とリーズナブル。

公園内に併設中のどうする家康 岡崎 大河ドラマ館は別料金(800円)で、合わせると1,100円だが、2館共通券だと890円。
一見どうするよっし~と悩みそうなところだが、

お得な共通券を購入。

展示改装でしばらく休館していたが、どうする家康の放映に合わせ、2023年1月21日にリニューアルオープン。改装費はなんと1億7777万円もかかったそうだ(-_-;)
1F 天守台穴蔵と心礎/発券所

復興天守だが、石垣は破却を免れた田中吉政築城時のモノ。秀吉の家臣の吉政は、天正18(1590)年家康が関東に移封になった後に入府。関ヶ原では東軍に組し、その功績で筑後柳河藩32万石に転封するまでの約11年間、岡崎城を治めた。
吉政治世下において城下町を含む総構えとなり、日本屈指の大城郭となった。

鯱瓦(しゃちがわら) (矢作神社蔵)

岡崎城内のいずれかの櫓にあったとされる。
心礎(しんそ)

2代藩主本多康紀の代に再建された望楼型天守の心柱を支えた礎石で、心柱を用いた天守の例は少なく、同型天守の礎石が現存するのは岡崎城と姫路城の2城のみ。
2F 家康が生まれた城 岡崎城

岡崎城の中世からの成り立ちと、城郭の特徴が紹介されている。
駿河・遠江の今川氏と尾張の織田氏に挟まれて常に苦境だった岡崎城。

1542(天文11)年、松平広忠の嫡男として竹千代(後の家康)が岡崎城で誕生。
本多氏三代(1600~1645)による大改修で、壮大な縄張を持つ城郭に生まれ変わった。

龍神伝説や化け猫伝説など岡崎城にまつわる伝説も紹介。

三河ゆかりの甲冑や刀剣類も展示されている。

3F 庶民の活気 岡崎城下町

東海道や舟運により、交通の要衝であった岡崎の城下町の賑わいを、ジオラマとAR(拡張現実)の技術により疑似体験できる。
現在まで続く岡崎の伝統産業、石屋のミニジオラマ。

iPadを使用したAR展示もある。
4F 岡崎城シアター

プロジェクションマッピングを活用したシアターで、床面に投影された岡崎城総構えのマップを歩くと、江戸時代の城下町の映像が現れ、現在のまちとの比較や体感ができる。私もやってみたかったが、楽しんでいる子供の邪魔になるので自粛。
でもこんな撮影パネル(3F)があったので撮っちゃいました(笑)

5F 展望室

南と西に矢作川、菅生川に囲まれて、北は三河の山々、東に岡崎市の中心部が360度見渡せる大パノラマ展望台。


東照公御遺訓

原典は日光東照宮所蔵。
人の一生は重荷を負て遠き道をゆくが如し
いそぐべからず 不自由を常とおもへば不足なし
こころに望おこらば困窮したる時を思ひ出すべし
堪忍は無事長久の基 いかりは敵とおもへ
勝事ばかり知てまくる事をしらざれば害其身にいたる
おのれを責せめて人をせむるな 及ばざるは過たるよりまされり
家康公遺言

元和2(1616)年に2代将軍秀忠に向けて残した遺言とされ、
「将軍の政道が理に適わず民が苦労しているようならば、政権は他に移るべきである。政権が他家に移っても民が幸せならば、本意であり、恨みに思うことはない」といった意味。
これがもし後世の創作でなく、本当に家康公の遺言なら誠に素晴らしい考えで、是非現代の政治家たちも読んで実践してもらいたいものだが…
岡崎公園(岡崎城)
春の東海遠征 どうするよっし~④ 岡崎公園(岡崎城)後編に続く…
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東京にいた頃は帰省する際、よくR1を利用したが、最近はすっかりご無沙汰。
知立名物、藤田屋の大あんまきの誘惑も振り切り、矢作川(やはぎがわ)を渡って神君家康公の生誕地、岡崎市街に入る。
岡崎城のある岡崎公園周辺は花見客と観光客で大混雑。

しかも公園の駐車場はイベント期間中のため事前予約制となっており駐車不可。
諦めて別の場所に行くか? それとも駐車場を探す?
どうする よっし~

待ってろよよっし~… 俺の白兎

信長公が怖いので、駐車場を探すことにする(笑)
誘導員に代替駐車場を尋ねてやってきたのは、岡崎市立図書館。

岡崎公園からR1を挟んで北側にあり、ここの駐車場(450台:有料)を利用する。
伊賀川沿いの桜並木を眺めながら岡崎公園に向かう。

日本さくら名所100選にも選ばれている。
ちょうど満開で、中心部が赤い散るサインを出している花もチラホラ。

伊賀川は1㎞ほど上流の伊賀八幡宮に因み、安祥松平家(家康の家系)の氏神とされる。

伊賀って、もしかしてこの方に関係するの?
服部正成(半蔵)(山田孝之)

徳川十六神将の1人、服部半蔵はまさに三河のこの伊賀郷で生まれたそうだ。山田孝之さんの半蔵、絶妙にポンコツな感じがイイですね(笑)
龍城橋(R1)をくぐって岡崎公園側へ。

多くの家族連れが花見を楽しんでいた。

まさにベストタイミング。

岡崎公園(岡崎城)

日本100名城(45番)の岡崎城を中心とした都市公園(歴史公園)で、約10ha、東京ドーム約2個分の広さがあり、日本の都市公園100選にも選ばれている。
これまで20回以上前を通っているが、立ち寄るのは今回が初めて。
東照公産湯の井戸

家康公の誕生時にこの井戸の水を産湯として使ったとされ、現在でもポンプで汲み上げた井戸水に直接触れることができる。
原型は三河国守護代の西郷氏が小高い丘の龍頭山(標高約24m)に築城。

このため別名龍城とも呼ばれる。また伝説では、家康公生誕の朝、城楼上に雲を呼び風を招く金の龍が現れ、昇天したという。
持仏堂曲輪腰巻石垣(じぶつどうくるわこしまきいしがき)

江戸時代前期に構築された石垣で、隅角(ぐうかく)の角石(すみいし)は算木積みされている。
散策路にあったマンホール蓋。

天守閣と伊賀川を通る米を運ぶ船が描かれている。摩耗して見にくいが帆に五万石と記されており、慶長7(1602)年、譜代の本多康重(本多豊後守家)が三河岡崎藩5万石を与えられた。
岡崎公園の大くろまつ

樹高27.0m、幹周4.0mで樹齢は不明。岡崎市のふるさとの名木(第65号)に指定されている。
本丸埋門北袖石垣(ほんまるうずみもんきたそでいしがき)

大型の自然石や割石が使用された高さ10mにも及ぶ石垣で、持仏堂曲輪腰巻石垣より先行して築かれたとされる。
龍城堀(りゅうじょうぼり)

当初は土塁と空堀からなる平山城だったが、関ヶ原後に拝領した本多氏により、強固な石垣や城壁が整備された。
キシノウエトタテグモ生息地 (岡崎市指定文化財 天然記念物)

トタテグモ科の原始的なクモで体長15㎜くらい。環境省レッドリストの準絶滅危惧(NT) 岡崎市内では岡崎公園内の石垣でのみ生息が確認されている。
キシノウエトタテグモ

空中浮遊で移動する能力がなく、起伏のある庭園や石垣などにハッチ式扉を持つ横穴式住居を作る。振動で獲物を感知し、瞬時に扉を開けて引きずり込むという、まさに忍者のようなクモだそうだ。
もしかして半蔵配下の忍軍の一員なのかな?(笑)

本丸埋門(ほんまるうずみもん)

本丸に4つある虎口の1つで、門の外側にも桝形がある二重桝形となっており、石垣の間に門が埋もれることからこう名付けられたとされる。
岡崎城天守

1873(明治6)年の廃城令により、天守以下ほとんどの建物が破却された。
現在の天守は1859(昭和34)年に再建されたRC造の復興天守。

入館料は300円とリーズナブル。

公園内に併設中のどうする家康 岡崎 大河ドラマ館は別料金(800円)で、合わせると1,100円だが、2館共通券だと890円。
一見どうするよっし~と悩みそうなところだが、

お得な共通券を購入。

展示改装でしばらく休館していたが、どうする家康の放映に合わせ、2023年1月21日にリニューアルオープン。改装費はなんと1億7777万円もかかったそうだ(-_-;)
1F 天守台穴蔵と心礎/発券所

復興天守だが、石垣は破却を免れた田中吉政築城時のモノ。秀吉の家臣の吉政は、天正18(1590)年家康が関東に移封になった後に入府。関ヶ原では東軍に組し、その功績で筑後柳河藩32万石に転封するまでの約11年間、岡崎城を治めた。
吉政治世下において城下町を含む総構えとなり、日本屈指の大城郭となった。

鯱瓦(しゃちがわら) (矢作神社蔵)

岡崎城内のいずれかの櫓にあったとされる。
心礎(しんそ)

2代藩主本多康紀の代に再建された望楼型天守の心柱を支えた礎石で、心柱を用いた天守の例は少なく、同型天守の礎石が現存するのは岡崎城と姫路城の2城のみ。
2F 家康が生まれた城 岡崎城

岡崎城の中世からの成り立ちと、城郭の特徴が紹介されている。
駿河・遠江の今川氏と尾張の織田氏に挟まれて常に苦境だった岡崎城。

1542(天文11)年、松平広忠の嫡男として竹千代(後の家康)が岡崎城で誕生。
本多氏三代(1600~1645)による大改修で、壮大な縄張を持つ城郭に生まれ変わった。

龍神伝説や化け猫伝説など岡崎城にまつわる伝説も紹介。

三河ゆかりの甲冑や刀剣類も展示されている。

3F 庶民の活気 岡崎城下町

東海道や舟運により、交通の要衝であった岡崎の城下町の賑わいを、ジオラマとAR(拡張現実)の技術により疑似体験できる。
現在まで続く岡崎の伝統産業、石屋のミニジオラマ。

iPadを使用したAR展示もある。
4F 岡崎城シアター

プロジェクションマッピングを活用したシアターで、床面に投影された岡崎城総構えのマップを歩くと、江戸時代の城下町の映像が現れ、現在のまちとの比較や体感ができる。私もやってみたかったが、楽しんでいる子供の邪魔になるので自粛。
でもこんな撮影パネル(3F)があったので撮っちゃいました(笑)

5F 展望室

南と西に矢作川、菅生川に囲まれて、北は三河の山々、東に岡崎市の中心部が360度見渡せる大パノラマ展望台。


東照公御遺訓

原典は日光東照宮所蔵。
人の一生は重荷を負て遠き道をゆくが如し
いそぐべからず 不自由を常とおもへば不足なし
こころに望おこらば困窮したる時を思ひ出すべし
堪忍は無事長久の基 いかりは敵とおもへ
勝事ばかり知てまくる事をしらざれば害其身にいたる
おのれを責せめて人をせむるな 及ばざるは過たるよりまされり
家康公遺言

元和2(1616)年に2代将軍秀忠に向けて残した遺言とされ、
「将軍の政道が理に適わず民が苦労しているようならば、政権は他に移るべきである。政権が他家に移っても民が幸せならば、本意であり、恨みに思うことはない」といった意味。
これがもし後世の創作でなく、本当に家康公の遺言なら誠に素晴らしい考えで、是非現代の政治家たちも読んで実践してもらいたいものだが…
岡崎公園(岡崎城)
春の東海遠征 どうするよっし~④ 岡崎公園(岡崎城)後編に続く…
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