1990年代の後半、ダイムラー・クライスラーの誕生(後に合併解消)、米フォードによるマツダの経営権取得(これも後に資本提携解消)、ルノーが日産自動車の筆頭株主となった資本提携など様々な合従連衡が相次いだ。
時をほぼ同じくして、「プラットホーム共有化戦略」が業界の流行語になった。それ以前からトヨタ自動車における「マークII」「クレスタ」「チェイサー」、日産の「スカイライン」と「ローレル」といった同じプラットホームによる兄弟車種はあったが、こうした商品展開は、国内販売における複数の系列チャネルを効率的に維持するための戦略であった。
90年代後半以降の「プラットホーム共有化」は、ベルリンの壁が崩壊して「グローバル市場」という概念が生まれる中で、開発・設備投資を抑制しながらいかにグループとして世界市場を攻略するかに主眼が置かれたことで、ひとつのプラットホームから外観も性能も違う多くの派生車種を生み出した。投資を増やさずに車種をいかに増やしていくかという意味では、国内における「兄弟車種」戦略と発想は似ており、視点がグローバルになったということであろう。
その後、グローバル化は加速し、世界で約8000万台と言われる自動車販売のうち過半数を新興国市場が占めるようになった。こうした流れは、メーカーに多様な商品を要求した。単純化して言えば、経済成長が進んでモータリゼーションが起きている国では価格が優先されるし、新興国であっても貧富の格差が起こっており、高級車を求める富裕層は増えている。デフレ的な日本では軽自動車が主役になりつつある。
たとえば、同じエンジンであっても外気温などの環境条件やアクセルの踏み込み具合などを加味しながら最適燃焼になるように点火やバルブタイミングを調整する「キャリブレーション」という作業があるが、車種や仕向地が変われば、調整し直す必要があるため、仕向地が増えれば作業工数が増えるケースもある。
多くの派生車種を出すため、同じプラットホームでありながら性能や外観などの「味付け」を変えるために、多くの部品を設計し直してかえってコストが上昇するなどの本末転倒的な事態も起こっていた。
このため、自動車メーカーは、「プラットホームとは何か」「その共有化戦略はどうあるべきか」などの技術戦略を見直さなければ収益を出せない状況に直面している。特に2008年のリーマンショック以降、そうした動きは加速したように見える。
そもそも、今のようなプラットホームは必要かといった考え方も生まれた。各社によってプラットホームの定義は異なるが、シャシーなどのアンダーボディーがプラットホームの中核をなすものと考えてよいだろう。