世界で最も治安が悪いと言われた国が、たった数年で南北アメリカではカナダに次ぐ安全な国になった。
国の指導者の人気は国境を越え、他の国でも町なかにポスターが貼られるほどだという。
いったいどういうことなのか。その実態を取材すべく、私たちはコーヒーと火山の国、中米のエルサルバドルに飛んだ。
(ロサンゼルス支局長 佐伯敏)
熱気と歓声のなか
首都サンサルバドル中心部の広場は夜の10時だというのに人々の熱気であふれていた。
DJが重低音の強いEDMをノンストップで流し、ライブストリーマーは配信しながら陽気に踊りドローンショーが夜空に絵を描く。事情を知らない観光客が見たら、これが選挙の勝利集会だとはわからないだろう。
突然、ロック調の曲に切り替わると大歓声があがり、その人物が姿を現した。ナジブ・ブケレ大統領(42)だ。
2月4日に行われたエルサルバドルの大統領選挙で得た票は投票総数の84%。同日の議会選挙ではみずからが立ち上げた政党が60議席のうち54議席を獲得する見通しだ。
選挙という民主的なプロセスを経て、事実上の一党支配体制を手中にしたブケレ大統領は未来の独裁者なのか、それともサルバドル(スペイン語で救世主)なのか。
ギャングが“支配”した国
首都サンサルバドルのとある地域にある団地には、建物の側面にブケレ大統領の顔が大きく描かれている。ここは長らく、2大ギャングの「マラ・サルバトルチャ」と「バリオ18」が道を挟んで対立してきた場所だ。
ギャングの支配下にある地域は「コロニー」と呼ばれる。住民は口々に「ブケレ大統領はギャングから実権を取り戻した」と褒め称える。
エルサルバドルでは1980年代に政府と左翼ゲリラの間で内戦が続き、戦火を逃れて大勢の住民がアメリカに脱出した。その先のロサンゼルスで若者たちはギャングを結成。90年代にはその多くが母国に強制送還された。いわばロサンゼルスのギャングカルチャーを母国に持ち帰ることになったのだ。
エルサルバドルに戻ったギャングたちは、それぞれ縄張りの地域で商売を営む住民からみかじめ料を徴収し、軍や警察をはじめ、人々の行き来を監視した。住民であっても、残酷な手法で殺害されるケースがあとを絶たなかったという。
取り締まりも行われたが、刑務所の中ですら、ギャングたちのためのゲーム機があったり、売春婦がいたりした。看守たちのほうが劣悪な環境に置かれることが常態化していたという。住民たちからすれば、国の実権を握るのは政府ではなく、ギャングだったのだ。
“世界一治安の悪い国”が一変
しかし、2019年に就任したブケレ大統領は警察と軍の装備を強化して取り締まりを進め、ギャングたちは駆逐されていった。住民たちが証言する。
路上で古着を売る男性
「あそこに壁画が描かれた団地があるでしょう。ギャングたちはあの上から道を越えようとする住民にも発砲していたんです。いまは誰でも行き来できます」
タクシー運転手の男性
「(かつては)コロニーに乗客を降ろすとき、料金が10ドルだとすると5ドルはみかじめ料にとられました。なにもかも自由になったのです」
治安の回復は統計からも明らかだ。ブケレ大統領が就任する前の2018年、殺人事件は3300件を超えていたのが154件にまで減った。
他の国と比較すると、エルサルバドルの人口10万人あたりの殺人件数は51件で世界最悪だった。その翌年は36件、さらに翌年は19.7件。2023年は2.4件にまで減った。これはアメリカよりも低く、南北アメリカ大陸ではカナダに次ぐ治安の良さということになる。
私たちが取材していても危険を感じたことは一度もなかった。コロニーの細い路地も自由に歩けた。むしろ治安が悪かったときのことを想像する方が難しいくらいだ。国民が「平和」を実感し、享受していることは疑いようがない。
マーケティングの天才
ブケレ大統領はもとは実業家で、日本のオートバイメーカーの輸入販売店やマーケティング会社を経営していた。その後、首都サンサルバドルの市長などを経て2019年、37歳の若さで大統領になった。2021年には世界で初めて法定通貨に暗号資産のビットコインを導入したことでも話題になった。
エルサルバドルの地元ジャーナリストは「ブケレはマーケティングの天才だから」と話す。国民にどう自分が見えるかを分析し、それに応えるのが得意なのだという。
体にぴたっとフィットしたニットやTシャツ姿に有名ブランドの白いキャップで大統領らしからぬカジュアルな格好を好み、そのいでたちはスタートアップ企業のやり手CEOといった感じだ。
X(旧ツイッター)をさかのぼると、プロフィール画像は市長時代から20回以上変更され、SNSを好んで利用していることがわかる。そのプロフィール欄にブケレ大統領が自ら掲載していた自己紹介文が「世界一クールな独裁者」というフレーズだ。
無慈悲なギャング対策
ブケレ大統領の治安対策を象徴するのが、ギャングの大量拘束と、それに伴い建設した巨大刑務所だ。最新のセキュリティ設備を備えた刑務所は、周囲の壁の総延長が2キロを超え、4万人が収容できるとされる。
政府が公開した映像には、全身にタトゥーを入れたギャングたちが全員パンツ1枚の姿で手錠をかけられ、ぎっしりと座らされている様子が映されている。その映像からは「政府はギャングに容赦しない」という強いメッセージが見て取れる。
2022年3月、国内で1日に62人が殺害される事態が起きると、ブケレ大統領は緊急事態を宣言した。逮捕状なしでの身柄拘束など、憲法を一部制限してまで徹底した取り締まりに乗り出した。この措置はおよそ2年経過した今も続いている。
62人の殺害については、ブケレ大統領がギャングとの裏取り引きを反故にしたことに対する、ギャングの報復行為だったと地元メディアが報じている。ブケレ大統領はこれを否定しているが、この出来事はギャングに対する取り締まりを急加速させる節目となった。
取り締まりはどのように行われているのか。
私たちを含む海外メディア6社に「同行取材を認める」と連絡があったのは当日になってからだった。特定の警察署に集まるよう指示があったのは、指定時間のわずか2時間前だった。
警察署の会議室で担当者から作戦についての説明を受けた。地図を見ると、ちいさな川沿いに形成された密集した住宅街だ。
「なぜこの地域が作戦の場所に選ばれたのか」
私が質問すると、担当者は「サンサルバドルでいちばん危険な地域のひとつだからです。皆さんの安全は我々が確保します」と答えた。
川沿いのスラム街 掃討作戦の実態は
ピックアップトラックに警察の特殊部隊とともに乗り込み、到着したのは細い路地の両脇にびっしりと簡易な住宅がならぶ、いわゆるスラム街だった。
警察は2人1組で一軒一軒、ドアをノックし、住民にIDカードの提示を求めた。このカードを特別なアプリで照会していく。これとは別に、“お尋ね者”のギャングメンバー10人ほどの顔写真がリスト化された紙も携行していた。
警察官が住民を威圧する様子もなく、作戦は淡々と進められていった。重武装した特殊部隊の横を子どもたちがサッカーボールを追いかけて走って行く。
警察官が路地の脇にある扉を開けると、そこから奧へと曲がりくねった未舗装の細い下り坂が続いていて、斜面を下りきった川沿いに住宅の入口があった。それまでと同じように、警察官2人が住民のIDを調べ始めた。表情がみるみる硬くなっていく。照会した情報をみながら、ひとりはどこかとスマホで連絡を取り始めた。
私たちについていた広報担当の男性が耳打ちしてきた。「この人をこれから警察署に連行します」
未成年に対する性的虐待の容疑で、去年8月に逮捕状が出ていたという。
その後、男は斜面の上の路地まで連れて来られた。後から追ってきた幼い女の子が涙声で「パパを連れて行かないで」と訴える。警察官は「パパはすぐに帰ってくるからね。いい子にしててね」となだめていた。男性は手錠をかけられ、大通りに待機していたトラックの荷台に座らされた。
この日、拘束されたのはこの人物と、大麻を所持していた人物の2人。いずれもギャングとの明らかな関わりはないようだった。
一方で、改めて振り返ると、この同行取材を認めた政権の狙いは「むやみやたらに人を拘束しているわけではない」と海外メディアに見せることにあったのではないかと思う。
拘束された息子 近況わからぬまま
ブケレ大統領のもとでこれまでに拘束されたギャングのメンバーは約7万5000人。殺人件数は劇的に減った一方、“収監率”は世界一となった。中には冤罪を訴える人も少なくない。人権派の市民団体の記者会見で出会った、レイナルド・サントスさんもそんなひとりだ。
サントスさんが住んでいるのはサンサルバドル近郊の町のコロニーだった場所だ。2022年の12月、ギャングの掃討作戦にやってきた警察は、逮捕状や容疑を示すことなく、21歳の息子、ヨナタンさんを連行したという。
サントスさんによれば、ヨナタンさんは平日は繊維工場で働き、休日にはサッカーやゲームに没頭する青年だった。拘束時、麻薬は所持していなかったが、身体には1か所、ギャングとは関係のない漢字のタトゥーが入っていた。サントスさんは「違法なこととの関わりは何もないはずだ」と訴えたが、聞き入れられなかった。のちに、ギャングとの関わりを疑われたことが明らかになったという。
後日、気になって息子の持ち物やノートなどもすべて調べた。しかし、やはりギャングとの関係を示すものは何も見つからなかった。
サントスさん
「なぜ無実の人が拘束されなければならないのでしょうか」
サントスさんは目に涙を浮かべ、声を震わせながら訴えた。裁判所に面会を求める申請を行ったが今も実現していない。自宅の壁にはヨナタンさんが描いた絵や、サッカーの大会で表彰されたメダルが数多くかけられていた。
「とにかく生きていてほしいと願っています。彼が今どういう状態にあるのか、何ひとつ情報がないのです。この国にギャング問題を乗り越えてほしいと思っています。しかし人権侵害をしてまですることではありません」
政権はこれまでに約7000人を釈放している。市民団体は、依然として大勢の人がギャングと無関係なのにもかかわらず、収監されていると指摘している。
ブケレ氏は独裁を目指しているのか
問題は人権を侵害した治安対策にとどまらない。ブケレ大統領のこれまでの行動を見ていくと、過去の“独裁者”たちが通った道を歩んでいるようにも見える。
この大統領選挙への立候補もそのひとつだ。もともとエルサルバドルの憲法では大統領は1期5年の任期で、再選は認められていなかった。ブケレ大統領は自らが再選をめざすため、再選に反対の立場をとっていた最高裁判所の判事を罷免し、再選は可能だとする判断に変えさせた。
ブケレ政権の不祥事などを調査報道で暴いてきたネットメディア「エル・ファロ」のマルティネス編集長は、次のように指摘する。
マルティネス編集長
「どの政治家でもそうであるように、ブケレ大統領の人気も、いずれは落ちていくでしょう。しかしブケレ大統領はそれに備えてあらゆるシステムを整えました。法律を変え、国家の権力を集中させ、選挙区も変えてしまいました。国際社会がこのまま手をこまねいていれば、中米にまたひとつ本物の独裁政権が完成します」
ではブケレ氏本人はどう考えているのか。
投票日当日にブケレ氏が開いた記者会見。はじめにイギリスのメディアがギャングの大量拘束と冤罪について考えをただすと、こう答えた。
ブケレ大統領
「イギリスでは警察が逮捕する人は全員有罪になるのでしょうか。ミスは起きないのでしょうか。ギャングを捕まえるか、殺すかしか解決策はないのです。100人しか逮捕せず、数万人を野放しにしたままで治安が回復するとでも思っているのですか」
ブケレ氏は欧米メディアに対する敵意を前面に出して、大きな手ぶりを交えながら持論を展開していたが、物言いが好戦的すぎて真意がよくわからない。運良く、私に質問のマイクが回ってきたので、あえて聞き方を変えてみた。
筆者
「中米が歴史的に政情が不安定だったことを踏まえると、指導者にとって国家権力の集中は不可欠だと考えますか?」
ブケレ大統領の語り口はずいぶんマイルドになった。
ブケレ大統領
「他の国のことはわかりませんが、我々の国にとっては、長期的に見て安定した民主主義のほうが健全だと思います。
ただし問題を解決するためには例外的な措置が必要であり、そのためには問題解決に必要な期間を決めて、例外措置の定義を明確にしなければならないでしょう。
パンデミックで西側諸国の指導者たちが緊急の課題に対応するために権限を強化したのと同じことです」
必要な期間とはいつまでなのかを聞きたかったが、この質問を最後に記者会見は打ち切られた。
“ブケレ・モデル”ラテンアメリカに広がるか
冒頭の大統領選挙の勝利集会。ブケレ大統領はこの場でも撮影台に並んだ欧米メディアを指さして批判した。ブケレ大統領はこう訴えた。
ブケレ大統領
「エルサルバドルはあなたたち(欧米諸国)の召使いではない!あなたたちのパートナーになりたいのです!」
選挙後、アメリカ国務省は即座にブケレ大統領の勝利を祝福するコメントを発表した。選挙の公式結果は確定していなかったにもかかわらずだ。外交筋によれば、欧米各国も当初はブケレ大統領の強硬な治安対策を人権侵害だと批判していたものの、この1年ほどは鳴りを潜めているという。
治安の回復という明確な結果を出しているからだ。とりわけアメリカにとっては、中米の国の安定はメキシコ国境から流入する不法移民の抑制につながる。ブケレ大統領の出した成果は手放しで歓迎したいのが本音だろう。
そして、同じく治安問題が最大の懸案となっているほかの中南米の国々からはブケレ大統領を称賛し、「ブケレ・モデル」と称して同じように厳しい治安対策の導入を検討する動きもでている。ラテンアメリカの国々に住む人を対象に行われた世論調査では、半数以上が、課題を解決できるのであれば政府が民主的であることにこだわらないと回答している。
とはいえ、一度手放した民主主義を取り戻すことがいかに困難かは世界各地の先例が示すとおりだ。エルサルバドルはこれからどこに向かうのか。ブケレ大統領の2期目は、中南米の国々の将来を占う意味でも試金石となる。
(2月3日 ニュース7などで放送)