26日、公開された外交文書には、1993年、貿易自由化を議論するGATT・ウルグアイラウンドで国内農家の反発がある中、農業分野が実質妥結に至るまでの日米交渉の内容などが記録されています。
この年の4月、当時、アメリカで行われた宮沢総理大臣とクリントン大統領との首脳会談でもコメの市場開放をめぐって意見が交わされています。
約30年前のコメ輸入めぐる 日米交渉の内幕 外交文書で明らかに
およそ30年前、日本が初めてコメの部分的な輸入を受け入れた日米交渉の内幕が、公開された外交文書で明らかになりました。当時の宮沢総理大臣が日米首脳会談で、過去にも牛肉などの輸入を自由化したことで「選挙で大敗した」と反対姿勢を示すなど、交渉終盤にかけて厳しいやりとりが続いていた様子がうかがえます。
宮沢総理大臣は、この4年前の1989年に参議院で自民党が過半数割れしたことに触れ「受け入れには法改正を要するが参議院で少数与党なので実現できない。牛肉・かんきつの自由化を行い、選挙で大敗したからだ」と、反対姿勢を示しています。
これに対し、アメリカ側は、日本だけを例外扱いできないと、強くコメの市場開放を迫り、交渉終盤にかけて厳しいやりとりが続いていた様子がうかがえます。
これに先立つ2月には、当時の渡辺外務大臣とクリストファー国務長官による会談が、同様にアメリカで行われ、この際も、渡辺大臣は「コメは極めて感情的な問題で、国民はみな反対だ。手をつけると選挙で勝てない」と伝えています。
また現地から外務省に報告された首脳会談の記録には「コメについては取り上げなかったことになっている」と記され、国内世論の動向に神経をつかっていたことがわかります。
交渉が動いたのは、38年続いた自民党政権に代わって発足した非自民8党派による細川政権のもとで、12月、日本のコメについては、ほかの農産物のような全面的な市場開放はしない一方、一定量の輸入を「ミニマムアクセス」として義務づける「調整案」がGATT側から示され、実質的に妥結しました。
この直前、日本側は、農業を守る姿勢を示すため、将来、再び交渉を行う際、貿易面だけでなく、食糧事情なども考慮する「非貿易的関心事項」という文言を、合意文書に盛り込むよう求め、各国も容認しました。
この際、ジュネーブで最終交渉にあたっていた羽田外務大臣から細川総理大臣への報告内容も公開され、羽田大臣は「ギリギリまで最大限の努力を行った。ウルグアイラウンドの成功のため日本としても大局的見地から判断を下さなければならない」と伝えています。
各国の貿易自由化の流れを前に、日本が国内の反発はやまない中でも譲歩を迫られた実情が見て取れます。
「ウルグアイラウンド」とは
「ウルグアイラウンド」は、第2次世界大戦後に自由貿易の拡大を目指してつくられたGATT=「関税および貿易に関する一般協定」のもとで、1986年から1994年にかけて行われた一連の交渉の総称です。
交渉の開始が宣言された場所が南米、ウルグアイでした。
交渉には100を超える国や地域が参加し、特許権や著作権といった「知的所有権」の扱いや、金融や情報通信のような物品を伴わないサービスの貿易も含め、幅広い分野に関する国際的なルールが議論されました。
焦点となったのが、農産物の「例外なき関税化」で、特に「聖域」とも呼ばれた日本のコメの市場開放が大きな議論となりました。
結果として日本は、コメについては、ほかの農産物のように全面的な市場開放はしない一方、一定量の輸入が「ミニマムアクセス」として義務づけられ、コメの部分的な輸入が解禁されることになりました。
当時の細川総理大臣は国民に対し「貿易立国として、世界経済の拡大と繁栄なくしてわが国経済の繁栄もないという強い信念のもとに交渉に臨んだ。将来にわたる国益を考えて厳しい決断を行い、農業合意案を受け入れた」とする談話を発表しました。
ウルグアイラウンドは、1993年12月に実質的に妥結、翌1994年に正式に合意されました。
今回公開された外交文書とは
外務省は作成から30年以上が経過した公文書のうち、歴史上、特に意義があり、公開しても外交などに支障がなく国民の関心が高いと判断した文書を、毎年1回公開しています。
今回公開されたのは、主に1993年に作成された文書で、合わせて4421ページあり、項目ごとに11のファイルに収められています。
この中には、1993年1月にアメリカのクリントン政権が発足した直後、当時の渡辺外務大臣や宮沢総理大臣がアメリカを訪問しクリントン大統領ら、新政権の要人と会談した際の記録が含まれています。
また、農産物の例外なき関税化が焦点となった「GATT・ウルグアイラウンド」の農業交渉で、日本がコメの全面的な市場開放を避ける代わりに、一定量を義務的に受け入れることで実質的な妥結に至るまでの経緯が記された資料もあります。
文書には「極秘扱い」とされていた公電も含まれていますが、公開した場合に外交交渉への影響があると考えられる部分などは、一部黒塗りとなっているものもあります。
公開された文書は、外務省のホームページに26日から掲載されるほか、東京 港区にある外交史料館で原本を閲覧することもできます。