世界を動かしたクリスマスソング 再び

世界を動かしたクリスマスソング 再び
エリック・クラプトン、デビッド・ボウイ、ミック・ジャガー、そして“伝説”となったパフォーマンスで知られるクイーン。

1985年、世界のスターが集結し、アフリカ支援を呼びかけた。
「ライブ・エイド」だ。

このライブが開催されるきっかけとなった、クリスマスソングがある。
発表から40年を経て、先日、新たな形でリリースされた。

作曲したのは、ボブ・ゲルドフ。
「この曲が再び、人々をつなぐかけ橋となる」
そう語るゲルドフが、今を生きる私たちに伝えたいこととは。

“怒り”が原点に

「Do They Know It’s Christmas?(ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス?)」

ライブ・エイドの前年、1984年にイギリスなどのスター歌手が集まって作った曲だ。

その後も、2004年、2014年など、それぞれの時代を代表するミュージシャンたちが集結。

定番のクリスマスソングとして世代を超えて親しまれてきた。

そして、曲の誕生から40年のことし、収益をアフリカ支援にあてる目的で新たなバージョンがリリースされた。
曲にこめられた思いとは、そして、なぜいまリリースし直したのか。

11月、曲の生みの親、ボブ・ゲルドフがロンドンでNHKのインタビューに応じた。
ボブ・ゲルドフは、インタビュー現場にパーカーにジーンズ姿で現れた。

70歳を超えているが足取りは軽い。

真っ白な無造作ヘアとひげ面が、彼が今もロックシンガーであることを印象づける。

曲の作詞・作曲を手がけたゲルドフ。

原点にあるのは“怒り”なのだという。
ボブ・ゲルドフさん
「とにかく怒りが私を駆り立てる。怒りは、あらゆるものに対する原動力だ。ロックンロールがそうであるように、この曲も変化の起爆剤だった」
インタビューは、ゲルドフがこの曲が生まれた当時を振り返るところから始まった。

“募金箱に1ポンドを入れる以上のことを”

アイルランド出身のゲルドフは、ロックバンド、ザ・ブームタウン・ラッツのボーカルとしてイギリスで活躍。
バンドは1970年代、「I Don’t Like Mondays(哀愁のマンデイ)」がイギリスでナンバーワンとなるなど人気を集めた。

しかし1980年代に入ると、一時の勢いを失いつつあった。
「デュラン・デュラン、スパンダー・バレエ、ボーイ・ジョージ、新しい世代がなぜ登場してきたのかが分かった。彼らはこれまでとは違ったメッセージを発していた。それを頭では理解できていたけど、自分が生み出すとなると少し難しかった。だからここまでの10年間が自分の人生の最盛期だったのかもしれないと感じていた」
仕事の予定が入っていなかったゲルドフは夕方、家に帰った。

1984年の10月だったという。

彼が午後6時のニュースで目にしたのは、驚くべき内容だった。
テレビの画面に映っていたのは食べるものがなく、死にゆく子どもを抱きかかえた夫婦だった。

アフリカ東部のエチオピアの食糧危機だ。

当時、深刻な干ばつが起き、多くの命が失われていた。
「家族といる快適な自宅で見た映像はすごくショックなものだった。食べ物が有り余るこの世界で、彼らは食べるものがないため死んでいく。そんなことは、ばかげている。募金箱に1ポンドを入れる以上のことをやらなきゃいけないと思った」

Feed The World/世界に食糧を

ゲルドフは、クリスマスソングを作って発表し、その収益でエチオピアを支援することを思い立った。

クリスマスまでの時間は限られていたので、未発表の曲に新たな歌詞を乗せることにしたという。

同郷、アイルランド出身のボノや、同い年でかねてから交流があったスティングなど、ミュージシャンの仲間たちに加わるよう呼びかけた。

誰が参加してくれるのかは、当日まで分からなかったというが、2人以外にもジョージ・マイケル、フィル・コリンズなど、ゲルドフの思いに応じたスターたちがスタジオに集い、収録が始まった。
It’s Christmas time
And there’s no need to be afraid
(クリスマスの季節 何も恐れることはない)

At Christmas time
We let in light and we banish shade
(クリスマスには 私たちが光をあて影を追いやる)
曲は語りかけるように始まるが、次第に勢いを得ていく。
Feed the world
Let them know it’s Christmas again
(世界に食糧を クリスマスがやってくると伝えるために)
このように終盤、繰り返し合唱する。

ゲルドフは自分の思いを、そのまま歌詞にしたという。
「ジョン・レノンみたいにメッセージ性のある曲がいいなと思った。“ハッピー・クリスマス(戦争は終わった)” “パワー・トゥー・ザ・ピープル” “愛こそはすべて”のように直接的なもの。だからただ Feed The World(世界に食糧を)と歌って、それが歌になった」
こうして、クリスマス前の1984年12月3日にリリースされたのが「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス?」だった。

親しみやすいメロディーとシンプルなメッセージ。

広く共感を得たこの曲は、発売からわずか1週間で100万枚以上を売り上げ、当時としては記録的なヒットとなった。
収益でエチオピアへの支援が実現。

スターたちによるチャリティーソングの先駆けとしても、記念碑的な作品になった。

世界がロックで語り合った日

この曲の成功は、その後、思わぬ展開を見せることになる。

曲の発表からしばらくして、1本の電話がかかってきたという。
「数百万枚売れて社会現象になっていた。すると、マイケル・ジャクソンが電話をかけてきた。『やあ、ボブ。アメリカで同じことをやりたいんだ』。彼にOKだと言った」
そして、マイケル・ジャクソンなどが中心となり、歌手たちに声をかけた。

スティーヴィー・ワンダー、シンディ・ローパー、ビリー・ジョエル…。

アメリカでも、イギリスと同じように多くのスターたちがスタジオに集った。

そして歌われたのが、「We Are The World(ウィ・アー・ザ・ワールド)」だった。

収録現場のスタジオにはゲルドフも足を運んだという。

そしてここでゲルドフは大きく動いた。

イギリスとアメリカでの盛り上がりを世界に広げようと、チャリティーコンサートの開催を呼びかけたのだった。
それぞれのチャリティーソングに参加したミュージシャンを中心に、世界のスターが参加するコンサートをイギリスとアメリカで同時開催。

さらにその様子を衛星中継で世界中に配信することで、アフリカ支援の寄付を募ろうというのだ。

前代未聞のコンサート「ライブ・エイド」は1985年7月13日に開催された。
10時間以上続いたライブ、イギリスのフィナーレで歌われたのが「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス?」だった。

20世紀最大のチャリティーコンサートは15億人が視聴したとも言われる。
「私たちは英語ではなく、ロックンロールで世界と語り合った。ロックンロールという世界共通のことばで、お互いをわかり合うことができた」

“やっぱり僕らは音楽にかけたい”

ゲルドフが示した音楽の力。

日本にも、その可能性を信じて音楽による支援に取り組んできたミュージシャンがいる。
西川貴教さん。イギリスとアメリカが盛り上がりを見せていた当時、西川さんは滋賀県の中学生だった。

スターが集い支援を呼びかける姿が強く印象に残っていると言う。
西川貴教さん
「アーティストが一堂に会して、意志を持って社会に、世の中に何か貢献しようとしているということ自体がすごく衝撃的だった印象でした。音楽でもそういったことを届けることが可能なんだと具体的に見せてもらえたのはすごく大きいなと思います」
西川さんは2009年からふるさとの滋賀県を音楽で盛り上げようと、ロックフェスを開催してきた。
その収益の一部は、びわ湖の環境保全のために寄付している。

また、東日本大震災の発生直後には、チャリティーのプロジェクトを立ち上げ、被災地への支援金を募る活動を続けている。
音楽が果たす役割は時代とともに変わっていると感じるという。

それでも、ミュージシャンとしてできることはなんなのか。

西川さんは音楽には特別な力があると信じ、その可能性を開拓し続けたいという。
「皆さんが1つになれたり、なにかそれが音楽の力のような気がします。災害などが起きたときに、人々の気持ちを集める『目印』にわれわれがなれればというのはありますね。やっぱり僕らは音楽にかけたいし、音楽でしかできないことを伝えたい。音楽の力を信じているという感じです」

不条理な現実は今も

ライブ・エイド以降も、ゲルドフはアフリカ支援のために行動し続けた。

アフリカの抱える問題に関心を向けるよう、大規模なコンサートを再び開催したり、G8サミットの会場に乗り込んで先進国のリーダーに直接働きかけたりしてきたのだ。

その中で、「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス?」は、節目ごとに時代を彩るミュージシャンたちによって再収録されてきた。



しかし、この曲をめぐっては、「アフリカは貧しい」というステレオタイプを植え付けているといった批判を以前から受けてきた。

それでもゲルドフは今回、新たに曲をリリースした。

それは、目を背けてはいけない現実が、いまもあるからなのだという。
ボブ・ゲルドフさん
「政治家や私たちに、この問題を意識させるために、いまだにポップソングを作る必要があるなんて、ばかげていると思う。アフリカでは戦争の犠牲者が出続けているのに、私たちにできることはほとんどない。それでも、この曲を買うことで飢えた子どもたちに食糧を届けることにつながる。そして40年たった今もこんなやり方しか無いのはばかげているが、その不条理が現実だ」

この曲はかけ橋に

「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス?」から始まった40年の物語を聞かせてくれたゲルドフ。

今、世界に求められているのは、共感を生み出す力だという。
「今は世界中で恐ろしいことが起きていて思いを寄せることはとても難しい。ウクライナの恐怖にどう向き合うのか。パレスチナの恐怖にどう向き合うのか。私たち人間の特徴は『共感すること』だ。私たちは誰かが傷ついていたら手を差し伸べる。共感とは、つらい思いをしている人たちの立場に立つことだ。この曲があることで、人は誰かの人生や世界を変える力を持つ。今一度、クリスマスに、人々をつなぐかけ橋となるはずだ」
音楽に何ができるだろう。

その問いがあるかぎり、音楽は力を発揮し続けるのかもしれない。

(おはよう日本で12月18日に放送予定)
科学・文化部記者
三野啓介
2012年入局
徳島・津・名古屋の放送局で勤務し去年夏に現部署に
音楽の取材などを担当
ロンドン支局リサーチャー
ハリー・スキナー
イギリスと北欧の政治・文化・社会問題などを取材。
音楽は80年代ロック、ケルト、ジャズなど幅広く網羅。