無罪が言い渡されたのは袴田巌さん(88)です。
58年前の1966年に、今の静岡市清水区でみそ製造会社の専務一家4人が殺害された事件で死刑が確定した袴田さんの再審は去年10月から開かれ、あわせて15回の審理が行われました。
袴田巌さん 再審で無罪判決 裁判長“時間かかり申し訳ない”
58年前、静岡県で一家4人が殺害された事件で死刑が確定した袴田巌さんの再審=やり直しの裁判で、静岡地方裁判所は捜査機関によって証拠がねつ造されたと指摘し、袴田さんに無罪を言い渡しました。判決の後、裁判長は袴田さんの姉のひで子さんに「ものすごく時間がかかっていて、裁判所として本当に申し訳なく思っています」と謝罪しました。
最大の争点は、事件の発生から1年2か月後に現場近くのみそタンクから見つかり、有罪の決め手とされた「5点の衣類」に付いていた血痕に赤みが残っていたことが、不自然かどうかでした。
裁判長「袴田さんを犯人とは認められない」 無罪言い渡し
26日の判決で國井恒志裁判長は「1年以上みそに漬けられた場合に血痕に赤みが残るとは認められず、『5点の衣類』は事件から相当な期間がたった後、捜査機関によって血痕を付けるなど加工され、タンクの中に隠されたものだ」と指摘しました。
そして「袴田さんの自白は非人道的な取り調べで得られたため任意性に疑いがあり、当時の裁判で無罪の可能性が否定できない状況にあった。衣類を犯行時の着衣としてねつ造した者としては、捜査機関以外に事実上想定できない」と述べました。
その上で「5点の衣類」と警察が袴田さんの実家を捜索した際に見つかったとされる「5点の衣類」のズボンの切れ端、それに過去の裁判で自白の任意性を認めていた1通の調書のあわせて3つの証拠を捜査機関がねつ造したと判断し、「袴田さんを犯人とは認められない」として無罪を言い渡しました。
判決を言い渡したあと、國井裁判長は袴田さんの姉のひで子さんに対し「ものすごく時間がかかっていて、裁判所として本当に申し訳なく思っています」とことばをつまらせながら謝罪しました。
そして「確定するにはもうしばらくお待ちいただきたい。真の自由までもう少し時間がかかりますが、ひで子さんも末永く心身ともに健康であることを願います」と述べました。
ひで子さんは閉廷したあとにハンカチで涙をぬぐっていました。
袴田さんは1980年に死刑が確定したあとも無実を訴え続け、10年前の2014年には再審を認める決定が出されました。しかし、検察の不服申し立てを受けて決定が取り消されるなど司法の判断に翻弄され続け、去年3月にようやく再審開始が決まりました。
そして事件の発生から60年近くがたった26日、長く求め続けた無罪判決が言い渡されました。
死刑が確定した事件の再審で無罪判決が言い渡されたのは35年ぶりで、戦後5件目となります。
廷内の様子
袴田さんの姉のひで子さんは、落ち着いた様子で弁護士の隣に座りました。
開廷するとまず、裁判長が短期間での判決の言い渡しとなったことについて、弁護側と検察の双方に対し「心から敬意を表するとともに改めてお礼申し上げます」と述べました。
このあと裁判長はひで子さんに対して「主文だけでも証言台でお聞きください」と促し、ひで子さんは証言台の前に座りました。
そして裁判長がはっきりとした声で「主文、被告人は無罪」と伝えると、傍聴席に座る人たちからは拍手が沸き起こりました。
裁判長が傍聴席に静かにするよう促し、再び「主文、被告人は無罪」と伝えると、背筋を伸ばしたまま座っていたひで子さんは、裁判長に向かって深くお辞儀をしました。
そして、ひで子さんは自分の席に戻る際、弁護士と握手し、涙を浮かべていました。
【判決のポイントを詳しく】
袴田さんの無罪判決では、あわせて3つの証拠を捜査機関がねつ造したと指摘しました。判決のポイントをまとめました。
【ねつ造(1) 唯一の自白調書】
判決で1つ目に挙げたのは、過去の裁判で唯一、自白の任意性を認めていた検察官の調書です。
判決では、警察による取り調べについて逮捕されてから19日間、深夜までに及ぶ1日平均12時間もの長時間の取り調べが連日続いたと認めました。
そして
▽自白しなければ長期間勾留すると告げて心理的に追い詰めたり
▽取調室に便器を持ち込んで用を足すよう促したりするなど
屈辱的で非人道的な対応をしたと指摘しました。
検察官の取り調べについても「袴田さんが自白するまで警察署で警察官と交代しながら証拠の客観的状況に反する虚偽の事実を交えて犯人と決めつける取り調べを行っていた」と述べました。
こうした状況から検察官の調書について「警察官との連携により肉体的・精神的な苦痛を与えて供述を強制する非人道的な取り調べによって作成された」として実質的に捜査機関がねつ造したと判断し、証拠から排除しました。
【ねつ造(2) 5点の衣類】
2つ目は、血の付いた「5点の衣類」です。
事件発生から1年2か月後に現場近くのみそタンクから見つかり、過去の裁判で有罪の決め手とされた証拠で、再審でも血痕の赤みが残っていたことが不自然かどうかが最大の争点となりました。
判決では、検察側と弁護側がそれぞれ行った実験の結果や専門家の見解などをもとに「1年以上みそに漬けられた場合、血痕の赤みが残るとは認められない。『5点の衣類』は、事件から相当な期間がたった後、袴田さん以外の者によってみそタンクに入れられた」と指摘しました。
そして、当時の裁判で袴田さんが無罪になる可能性が否定できない状況だったことから、捜査機関が有罪を決定づけるためにねつ造に及んだことが現実的に想定できると判断しました。
この「5点の衣類」は、再審を開始するかどうか決める審理でも、2度にわたりねつ造の疑いがあると裁判所から指摘されていました。
【ねつ造(3) ズボンの切れ端】
3つ目は警察が実家を捜索した際に見つかったとされる「5点の衣類」のズボンの切れ端です。
この証拠は「5点の衣類」が袴田さんのものだという根拠の一つとされてきました。
判決では「捜査機関によって持ち込まれるなどした事実が推認され、捜査機関によってねつ造されたものだ」と判断しました。
理由として
▽みそなどでぬれて固くなったズボンと実家にあった切れ端が同じ生地、同じ色だと判断するのが難しいのに、警察官がその場で同じだと判断したこと
▽警察官が捜索の前に実家を訪れていたことなどをあげ
「警察官として不自然さを通り越した不合理な捜査活動だ」批判としました。
【袴田さんを犯人と認定できない】
判決では「5点の衣類」とズボンの切れ端についても、証拠から排除しました。
その上で「5点の衣類を除いた証拠によって認められる事実は、限定的な証明力があるにすぎず袴田さん以外による犯行の可能性を十分に残すものだ。長い年月にわたり、各裁判所の異なる結論や意見が示されてきたが、刑事裁判の原則に従えば、袴田さんを犯人だと認定することはできない」と結論づけ、無罪を言い渡しました
裁判長 ことばつまらせ「本当に申し訳ない」
國井恒志裁判長は2時間近くかけて判決を読み上げた後、袴田さんの姉のひで子さんに証言台の前に座るように促しました。
ひで子さんは声が聞こえづらいとして、さらに近くの書記官の前に座りました。
裁判長は判決の概要を改めて説明したあと「再審の初公判でひで子さんは巌さんに『真の自由を与えてほしい』と願われました。無罪判決が言い渡されましたが検察は控訴する余地があり、審理は続く可能性があります。無罪が確定しないと意味がありません。巌さんに自由の扉は開けましたが、まだ、閉まる可能性はあります」と述べました。
また、國井裁判長は「ものすごく時間がかかっていて、裁判所として本当に申し訳なく思っています」とことばをつまらせながら話しました。
そして「有罪か否かを決めるのは検察でもなく裁判です。確定するにはもうしばらくお待ちいただきたい。真の自由までもう少し時間がかかりますが、ひで子さんも末永く心身ともに健康であることを願います」と述べました。
ひで子さんは時折、相づちを打ちながら裁判長のことばを聞いていました。
判決後 多くの支援者が拍手で迎える
判決が言い渡されたあと、袴田さんの姉のひで子さんと弁護団が午後4時すぎに裁判所から出てくると、集まった多くの支援者が拍手で迎えました。
そして弁護団が「袴田巌さんに無罪判決」や「証拠ねつ造を認める」と書かれた紙を掲げると、ひで子さんは隣で笑顔を見せていました。
静岡地検「こちらの主張・立証を評価してもらえなかった」
判決後、静岡地方検察庁の小長光健史次席検事が報道陣の取材に応じ「判決内容を精査した上で、適切に対処したい」と述べました。
無罪判決への受け止めを問われると「判決内容を見た上でないと具体的には申し上げられない。裁判所がどのような判断をしたのか判決文をもとに確認したい」と述べました。
また、裁判所が「5点の衣類」は捜査機関がねつ造したものだと認定したことについては「検察としては必要な立証を行ってきたが、裁判所にこちらの主張・立証を評価していただけなかった」と述べました。
その上で、控訴するかどうかについては「法と証拠に基づき、判決内容を精査してから、上級庁と協議した上で判断したい」と述べるにとどまりました。
法務・検察の幹部「判決文を精査して議論し 控訴するか判断」
捜査機関による証拠のねつ造を指摘し、無罪を言い渡した判決について法務・検察の幹部からは「厳しい判決だ」といった声が聞かれました。
ある幹部は「検察は裁判で証拠はねつ造ではないと立証してきたが、新たに証拠がねつ造と認定されるなど厳しい判決となった」と話しました。
別の幹部は「判決が法と証拠に基づいて書かれているのかどうかにつきる。裁判所が認定した事実がどのような証拠に基づいて認定されているのか、判決文を精査して議論したうえで、控訴するかしないかを判断することになる」と話していました。
静岡県警「コメントは差し控える」
静岡県警察本部は「今後、検察当局において判決内容を精査し、対応を検討するものと承知しておりますので、コメントは差し控えさせていただきます」としています。
弁護団 検察に控訴を断念するよう申し入れ
判決を受け、袴田さんの弁護団は静岡地方検察庁に控訴を断念するよう申し入れました。
弁護団は判決の後に静岡地方検察庁を訪れ、集まった支援者たちから「がんばれ」と声をかけられながら検察庁に入っていきました。
弁護団の事務局長の小川秀世弁護士は「長い審理に終止符を打てるのは検察官だけなので、控訴を断念する英断をしてほしいと強くお願いしました。検察官からは、きょうは特に反応はありませんでした」と話していました。
【記者解説】今後の注目点は
袴田さん ふだんと変わりない様子
袴田さんの姉のひで子さんによりますと、袴田さんは26日午前中に起きて朝食をとったということです。
静岡県浜松市の自宅でくつろいでいる様子で、ひで子さんが「静岡に行ってくる、晩に帰ってくるよ」と声をかけると、「はい」とこたえたということです。
支援者によりますと、ひで子さんが家を出た後は、テレビの前で寝たり、昼食をとったりして過ごし、ふだんと変わりない様子だったということです。
そして無罪の判決が言い渡された直後、支援者から「いいことがあったそうです」と伝えられると、袴田さんはいすから立ち上がって飼っている猫を触ったということです。
午後2時15分ごろ、自宅を出て支援者の車に乗り込み、日課のドライブに出かけました。階段を下りる際、一部、自動で昇降するリフトを使っていました。
袴田さんは午後3時半ごろに浜松市天竜区の寺を訪れ、さい銭を投げ入れて手を合わせていました。午後6時半前、ドライブを終えて自宅に戻りました。
付き添った支援者の1人、白井恵さんは「いつもはドライブの準備に時間がかかっていますが、無罪判決が出たあと袴田さんに『いいことがあったそうですよ』と伝えると、『行かにゃ』と言ってすぐに立ち上がりました。その時だけふだんとは違った様子で、なんとなく何かを察していたのではないかと感じました」と話していました。
【支援した人たちは】
およそ30年にわたって袴田さんの支援活動を続けている山崎俊樹さんは、静岡地方裁判所の前で判決を待ちました。そして、袴田さんに無罪が言い渡されたと聞くとほかの支援者らとともに万歳をしました。取材に対して「素直に嬉しいです。58年かかってようやく願いが叶いました。袴田さんには『やっと袴田さんの願いを裁判所が認めたよ』と伝えたいです。検察官には控訴しないでほしいです」と述べました。
袴田さんと家族ぐるみでの親交があった静岡市清水区の渡邉昭子さん(90)は、裁判所の前で無罪の一報を聞き、拍手をして喜びながら目に涙を浮かべていました。渡邉さんは「無罪と聞いてうれしく、胸がいっぱいです。袴田さんは遊園地や海に一緒に行ったときに子どもを優しくかわいがってくれていました。袴田さんに会ったら『よかったね』『がんばったね』と伝えたいです」と話していました。
袴田さんを長年、支援してきた日本国民救援会中央本部の瑞慶覧淳副会長は「判決が出るまでは少し不安があったので、無罪判決は本当にうれしいです。一方で喜びと同時に、何でこんなに時間がかかったのかという思いもあります。袴田さんには『お疲れ様』という気持ちと時間がかかって申し訳ないという気持ちがあります。検察官には控訴を断念してほしいです」と話していました。
10年前に静岡地方裁判所の裁判長として袴田さんの再審と釈放を認める決定を出した元裁判官の村山浩昭さんは、静岡地裁の前で支援者らと「ありがとうございました」と声をかけ合いながら喜びをわかちあいました。村山さんは「私は再審開始を決めたので、無罪になってほしいと、強く願っていました。それが10年半たってようやく叶ってほっとしています。巌さんには『無罪になって自由になったんですよ』とお伝えしたいです。今までの精神症状が緩和されて、あの事件は終わったんだと伝えられたら、最高だなと思います」と述べました。
その上で「検察は絶対に控訴してはいけない。今後、必ず再審に関する法律を変えていくと改めて決意しました。巌さんとひで子さんのご年齢を考えると、これ以上、解決を長引かすことは絶対にあってはならない」と話していました。
1995年に大阪・東住吉区の住宅が全焼し女の子が死亡した火事で放火や殺人などの罪に問われ、無期懲役の刑で服役したものの、再審で無罪が確定した青木惠子さん(60)は、静岡地裁前で支援者らとともに喜びを分かち合いました。青木さんは「えん罪として闘ってきた仲間として、喜び合おうと思って来ました。無罪が出るのは当たり前ですが、本当によかったです。検察は控訴せず、袴田さんに対して申し訳なかったと謝ってもらいたいです。警察や裁判所にも謝ってもらいたいと思います。えん罪被害者はその一言で救われると思います」と話していました。
元プロボクサーの袴田さんを支援してきた日本プロボクシング協会のメンバーで、元東洋太平洋バンタム級チャンピオンの新田渉世さんは「最高の結果で、みんなで声を大にして無罪を獲得したことを伝えたい。検察の控訴をなんとしても止めないといけないので、試合は完全に終わったわけではなく、それまでは闘い続けたい。巌さんには畏敬の念しかないし、ゆっくり穏やかな日を過ごしてもらって、少しずつ回復してもらいたい」と話していました。
また、スーパーフライ級元世界チャンピオンの飯田覚士さんは「やっと袴田さんが自由になれるんだという思いがこみ上げてきてうれしかったです。これを機に再審法の見直しが始まればうれしいです」と話していました。
群馬県に住む高橋國明さんの両親は、かつて沼津市内で刃物店を営んでいました。この店で販売していたものと同じ種類の「くり小刀」の刃の部分が事件の現場で見つかり、両親はかつての裁判で検察側の証人として出廷していました。
高橋さんは判決を受け「本当によかった。天国の両親の肩の荷も軽くなるんじゃないかと思います。私としても10代のころからの長い関わりで、いろいろな思いの中でようやく得ることができた無罪判決です」と話していました。そして、袴田さんに対して「真の自由を獲得されたので人間らしく余生を過ごしてほしいです」と話していました。
元刑事裁判官の弁護士「ねつ造を認め驚いた」
静岡地裁が証拠のねつ造を認定したことについて、元刑事裁判官の木谷明弁護士は「検察が控訴するのを嫌がって、判決では『可能性がある』といった表現にとどめると思っていたが、はっきりとねつ造を認めたことには驚いた。これだけ大がかりなねつ造は例がない。裁判所は、捜査機関を信用しすぎないよう肝に銘じるべきだ」と話しました。
また「再審法を改正するのは袴田さんの無罪判決が出た今が絶好の機会だ。今、手をこまねいていたら後世の人間にどう思われるか分からない。改正には世論の力が必要で、市民の皆さんもひとごとと思わず、身近な問題として本気になって考えてほしい」と話していました。
袴田巌さん再審 きょう午後判決 事件発生から60年近く
【判決後の記者会見】
姉 ひで子さん「涙が止まらなかった」
判決のあと、袴田さんの姉のひで子さんが弁護団とともに会見場に到着すると、集まった多くの支援者から拍手が送られ「ひで子さんおめでとう」と歓声があがりました。
記者会見の冒頭でひで子さんは「長い裁判でありがとうございました。無罪を勝ち取りました。裁判長が述べた『被告人は無罪』ということばが神々しく聞こえました。感激するやら嬉しいやらで涙が止まらなかった」と述べました。
そして「再審開始になったときは昔の苦労を忘れましたが、今回はそれにも増して無罪という判決をもらって、58年間がすっとんだ気がする。嬉しく思っています」と話しました。
また、無罪が言い渡されたことを袴田さんにいつ伝えるのかについては、「起きていればきょう話すつもりだが、巌の顔色を見てきょうかあすに無罪になったよと言いたい」と話しました。
ひで子さんの隣には30年あまりにわたって弁護活動を続け、ことし1月に亡くなった、弁護団長の西嶋勝彦さんの遺影が飾られました。
事務局長の小川弁護士「ねつ造を認定したのは画期的」
会見の冒頭で弁護団の事務局長の小川秀世弁護士が「本当にたくさんの人に一緒に喜んでいただきありがとうございます」と感謝すると、会場に集まった支援者から大きな拍手が送られました。
小川弁護士は「無罪判決は当然で、58年は長すぎたと思いますが、無罪という声を聞いて率直に喜ぶことができました。裁判所が3つのねつ造を認定したのは画期的で、警察官と検察官のねつ造を強く、はっきりと認定したのは今までの再審開始決定にはなかった重要な点だと思います」と話していました。
田中薫弁護士「無罪とねつ造認めたことは大変心強い」
判決後の会見で、弁護団の田中薫弁護士は「無罪と3つのねつ造を認めたことは大変心強い。ねつ造の原因は警察官の取り調べだとして、取り調べの経過を厳しく批判しているのはよかった」と判決を評価しました。
その上で、「これからは1人1人が警察や検察のあり方に対して鋭い目をもって、袴田さんと同じような人を二度と出さないような方法を考えないといけない」と話していました。
日弁連 “再審法改正や死刑制度の廃止求める”
袴田さんの無罪判決を受けて、日弁連=日本弁護士連合会は静岡市内で会見を開きました。
日弁連の渕上玲子会長は「ようやく正しい判決が出されたが、袴田さんは長年、身体拘束をうけ、死刑執行の恐怖にさらされる生活を送った影響で拘禁反応によって心身の不調をきたし、残念ながら現在も回復していない。このことが刑事司法制度によってもたらされたことは容認できない」と述べました。
そのうえで、検察官に控訴しないよう求めるとともに、政府や国会に対して再審法の速やかな改正や死刑制度の廃止を求めました。
再審法改正実現本部の本部長代行を務める鴨志田祐美弁護士は、「きょうの無罪判決を一番聞きたかったのは袴田巌さん本人だと思うが、審理に時間がかかりすぎたためにそれは叶わなかった。司法、立法に関わる人だけでなく、一般の人もきょうの判決を重く受け止めて欲しい。我々も再審法改正の実現に向けて取り組んでいきたい」と話していました。
浜松では号外も
浜松市の中心部では午後3時半ごろから、袴田さんの無罪判決を報じる新聞の号外が配られました。
浜松市の50代の男性は「長い間頑張って結果を勝ち取ったことは素晴らしいと思います。本当に頑張られたと思うし、お姉さんも凄いと思います」と話していました。
高校1年生の男子生徒は「同じ静岡県民としては悲しい出来事でしたが、58年という長い年月をかけて無罪を勝ち取ったことはすごいと思います。捜査機関が証拠がないことを恐れてねつ造に手を出したのなら、しっかりしてほしい」と話していました。
海外メディアも報じる
海外メディアも、袴田巌さんが無罪判決を言い渡されたことを相次いで報じています。
このうちAP通信は「袴田さんを世界最長の死刑囚にした判決を覆した」と伝えたほか、「G7=主要7か国の中で死刑制度を維持しているのは日本とアメリカだけだ」と報じました。
またイギリスの公共放送BBCは「長期にわたる拘留所での生活で袴田さんは精神的にも苦痛を受けた。裁判長はきょう長い時間がかかったことを姉のひで子さんに謝罪した」などと伝えました。
国際的な人権団体 “日本は死刑制度の廃止を”
国際的な人権団体、アムネスティ・インターナショナルは声明を出し、「死刑囚として45年間を過ごした男性の無罪判決は正義にとって重要な瞬間だ」としています。
その上で「死刑制度を完全に廃止することによってのみ、このような重大な過ちが二度と繰り返されず、人々が取り返しのつかない形で恣意的に命を奪われることがなくなる」として日本は死刑制度を廃止するよう訴えました。
姉 ひで子さん 袴田さんに「あんたが勝った 安心しな」
支援者によりますと、袴田巌さんの姉のひで子さんは浜松市の自宅に帰宅したあと、26日夜10時ごろ、無罪判決が言い渡されたことを袴田さんに伝えたということです。
ひで子さんは「無罪の判決が出た。あんたが勝った。あんたの言うとおりになった。安心しな」と袴田さんに語りかけていました。袴田さんは、うちわをあおぎながらひで子さんの言葉に耳を傾けていました。
【判決前のようす】
支援者「無罪判決を信じる」
およそ30年にわたって袴田巌さんの支援活動を続けている山崎俊樹さんは、多くの支援者とともに静岡地方裁判所の前で集会を開きました。
山崎さんは「長いようで短かった気もします。裁判所が捜査関係者の証拠のねつ造を認めて、無罪判決を言い渡すことを信じています」と述べました。
また「多くの人が集まっているのは、これだけ問題になっている事件だということを表している。えん罪について考えるためにも、この事件に関心を持ってもらいたい」と話しました。
山崎さんは、血痕の付いた衣類をみそに漬ける実験を重ねてきていて「われわれの実験は20年以上も重ねていて、検察側よりもはるかに精密に実験をしていると思う」と自信をのぞかせていました。
傍聴券の倍率は12.55倍
静岡地方裁判所には開廷の5時間前の午前9時ごろから傍聴を希望する人が列を作りました。裁判所によりますと、傍聴席40席に対して傍聴を希望した人は502人で、倍率はおよそ12.6倍でした。
弁護士を目指しているという20代の大学院生は「きょうは一国民として、えん罪が晴れる瞬間に立ち会いたいと思い、傍聴を希望しました。ぜひ司法が誤りを認めて、これから司法が正しい方向に向かって行くことを願っています」と話していました。
初公判から合わせて6回、傍聴のために訪れているという大学教授の男性は「これまで1回も当たっておらず最後の公判なので、検察側の謝罪なども含めて最終的にどういう形になるのか聞きたいと思ってきました。無罪になれば戦後5例目で歴史的なものになると思います」と話していました。
ハワイから傍聴に訪れた、日本の司法や検察の研究を行っているハワイ大学のデヴィッド・ジョンソン教授は「袴田さんが無罪になることを望んでいます。また、裁判所の判決がこの事件の問題点についてしっかりと言及することを望んでいます。この事件にある問題点は袴田さんだけでなく、多くの司法事件に存在するものだと思います」と話していました。
プロボクシング協会のメンバーも傍聴を希望
元プロボクサーの袴田さんを支援してきた日本プロボクシング協会のメンバーも、裁判を傍聴しようと静岡地方裁判所を訪れました。
このうち元東洋太平洋バンタム級チャンピオンの新田渉世さんは「巌さん、ひで子さんの倒れても立ち上がるボクサースピリットを見習って頑張ってきました。無罪しか信じていないが、控訴があるとまだ続いてしまうので、控訴しないよう訴えていきたいです」と話していました。
また、スーパーフライ級元世界チャンピオンの飯田覚士さんは「この支援活動に加ったのはボクサーへの偏見を払しょくすることが目的です。巌さんがボクサーだからこそこれだけ長い間耐えられたと思うし、ボクサーだけでなく、いろいろな人に勇気を与えてもらいたい。無罪を勝ち取りたいし、再審法の改正に向けても動き出しているので、このようなえん罪が2度と起きてはならないという思いで今後も頑張っていきたい」と話していました。
日弁連が再審に関する法改正を訴え
再審に関する法律の改正を目指す日弁連=日本弁護士連合会も、判決を前に、静岡地方裁判所の前で街頭活動を行いました。
2014年に静岡地裁の裁判長として袴田さんの再審と釈放を認める決定を出した元裁判官の村山浩昭弁護士も参加し、通りかかった人たちにパンフレットなどを配りながら、審理が長期化しないよう法律を改正する必要があると訴えました。
村山さんが10年前に袴田さんの再審を認めた決定は、検察の不服申し立てを受けて取り消され、袴田さんが裁判のやり直しを求めてから去年、再審開始が確定するまでに40年以上かかりました。
26日、判決が言い渡されることについて村山さんは「気が遠くなるような時間がかかりましたが、裁判所には審理した内容にふさわしい判決を出してほしい」と述べました。
その上で「この10年間は、非常に無駄な期間だった。再審開始決定に対する検察官の不服申し立ては許されず、今の法制度は間違っていると思う」と法改正の必要があるという考えを示しました。
前例ない死刑囚の釈放 認めた元裁判長が語る「再審」
死刑が確定した事件で再審無罪は今回が5件目
死刑が確定した事件のやり直しの裁判で無罪が言い渡されるのは、35年前の1989年1月以来、5件目です。
死刑が確定した事件で初めて再審で無罪となったのは、1948年に熊本県で夫婦2人が殺害された「免田事件」で、1983年の再審で無罪を言い渡されました。
その後、1950年に香川県で男性が殺害され現金が奪われた強盗殺人事件の「財田川事件」や1955年に宮城県で住宅が全焼し一家4人が遺体で見つかった「松山事件」、1954年に静岡県で当時6歳の女の子が連れ去られ殺害された「島田事件」の再審で、いずれも1980年代に無罪が言い渡されました。
これらの4つの裁判ではいずれも検察が控訴せず、1審で無罪が確定しています。