大相撲 貴景勝が現役引退 年寄「湊川」を襲名

大相撲で4回の優勝を果たし大関を30場所務めた貴景勝が現役を引退し、年寄・湊川を襲名しました。

貴景勝は以前から痛めていた首のけがなどのため、ことし5月の夏場所を途中休場し、角番で迎えた7月の名古屋場所では5勝10敗と負け越し、通算で30場所務めた大関から関脇に陥落しました。

今場所は10勝以上をあげての大関復帰を目指していましたが、持ち味の突き押しに力強さがなく初日は大関経験者の御嶽海、2日目は平幕の王鵬に敗れて連敗し、首のけがを理由に3日目から休場していました。

日本相撲協会は20日、理事会で貴景勝の引退と年寄の「湊川」の襲名を承認したことを発表しました。

今後は、湊川親方として後進の指導にあたることになります。

貴景勝は21日、引退の記者会見を行う予定です。

◇貴景勝(たかけいしょう)4回優勝 大関30場所

貴景勝は兵庫県芦屋市出身の28歳。身長1メートル75センチ、体重165キロと力士としては小柄な体ながら強烈な突き押しが持ち味で、勝っても負けても表情を変えず淡々と土俵に向かう精神力が強みです。

小学生で相撲を始め、中学時代には全国大会の決勝で、三役経験者の阿武咲を破り、中学生横綱となりました。高校は多くの関取を輩出している埼玉栄に進み、卒業後に貴乃花部屋に入門して平成26年の秋場所で初土俵を踏みました。

平成30年の秋場所の後には、貴乃花親方が日本相撲協会を退職して貴乃花部屋がなくなったため千賀ノ浦部屋、今の常盤山部屋に移籍しました。

大関昇進の伝達(2019年3月)

その直後、小結で迎えた九州場所で13勝2敗の好成績で初優勝し、ここから3場所連続で2桁勝利を挙げて5年前の春場所の後に大関に昇進しました。

ところが、新大関の場所で右ひざを痛めここから2場所連続で休場して関脇に陥落。その後も左胸や、突き押し相撲の生命線でもある首などけがとの戦いが続きました。

3回目の優勝(2023年 初場所)

それでも4年前、令和2年の11月場所では看板力士が次々休場する中、ただ1人の大関として土俵を締め続け、2年ぶりに優勝し、さらに去年の初場所では3回目の優勝を果たしました。横綱昇進が注目された続く春場所は取組中に左ひざの半月板を損傷して途中休場し、その後は再び右ひざも痛めました。

去年の秋場所で11勝4敗で並んだ優勝決定戦を制して4回目の優勝を果たしたあと、ことしに入ってからは以前から痛めていた首の調子が思わしくなく、初場所から3場所連続で途中休場しました。

9回目の角番で臨んだ名古屋場所で5勝10敗と負け越して令和元年の九州場所から守ってきた大関の地位から陥落していました。

【解説】突き押しにかけた相撲人生

照ノ富士との優勝決定戦制し2回目の優勝(2020年 九州場所)

力士としては小柄ながら4回の優勝を果たした貴景勝。子どものころから磨いた突き押しにかけた相撲人生でした。

貴景勝が相撲を始めたのは9歳のころ。父親から「やるからには横綱を目指す」という条件で道場に通うことを許してもらいました。

同世代と比べても体が小さく、最初に磨いていたのは立ち合い、頭で当たってからもろ差しとなって、まわしをつかみにいく相撲でした。

しかし、相撲を始めて1年後に出場した全国大会が転機となりました。自分の体重の倍近くあるおよそ100キロの相手に初戦で敗れたのです。

小柄な体では、まわしを取り合うと体格差で押し切られることを痛感し、相手にまわしを取らせないように始めたのが突き押し相撲でした。相撲を始める前に空手をしていたこともあって突きはなじんだと言います。

立ち合い、頭で強く当たり、徹底的に鍛えた下半身から跳ね上げるような突き押し相撲を磨いて角界入りし入門から2年余りで新入幕を果たしました。

ただ、力士としては小柄であることや、過去に昇進した横綱も四つ相撲を軸にした相撲が主流の中、「大関や横綱は無理だろう」という声も聞こえていたと言います。

それでも貴景勝は「期待されずにずっと来たので、それに対する反骨心でやってきたところがある。少数派で横綱になったらおもしろいと言ってくれる人もいる。その気持ちはうれしいし、応えたい」と突き押し相撲を貫いてきました。

そして、ほかの突き押し相撲の力士よりも歩幅を大きくした足の運びを取り入れたり、「体の使い方がうまい」と、昭和の力士たちの相撲を研究したりして独自のスタイルを築き上げ大関昇進を果たしました。

その後は首やひざなどを相次いでけがするなど苦境も続きましたが、さまざまな治療を受けたり、相撲が取れない中で、下半身だけでも鍛えたりして、できうるかぎりの準備をして土俵に上がってきました。

そして、大関では3回の優勝を遂げ、特に去年の初場所では横綱 照ノ富士が休場して、この場所、番付最高位だった貴景勝がただ1人の大関として責任を果たしました。

日本相撲協会の八角理事長も以前「実質、横綱と同じくらいの成績を残している」と高く評価していて、夢の横綱昇進こそ果たせませんでしたが、突き押しにかけた相撲人生を全うし、角界に大きな足跡を残しました。

常盤山親方「よくやった」とねぎらい

師匠の常盤山親方は「11日目の夜に貴景勝が『話があります』と部屋に来て、『引退させていただきます』と話があった」と経緯を説明しました。

そして、引退を決断した貴景勝への思いを問われると「よくやった」とねぎらっていました。