山あいの一軒家で覚醒剤密造~日本に忍び寄る闇

山あいの一軒家で覚醒剤密造~日本に忍び寄る闇
「あなたの家で覚醒剤が作られていました」

松山市の一軒家を所有する男性に警察からかかってきた電話。

この家で鼻炎薬から覚醒剤を製造したとして密造グループが検挙された。

密造人とされたのは台湾から来たひとりの男。

国内で流通する覚醒剤は海外からの密輸がほとんどとされる中、愛媛で起きた「密造」事件。

背景に潜む闇を取材した。

(松山放送局 記者 川原の乃・ディレクター 御巫清英 高橋英佑)

覚醒剤密造事件の衝撃

取材のきっかけは令和5年の夏。ある噂が記者の耳に入った。

愛媛県警が珍しい事件に着手している――。

「薬物の事件らしい」「台湾が絡んでいる」

関係者から聞こえてきた断片的な情報を並べてみてもピンとこない。取材を進めても全容がつかめない中、その答えは、検察の起訴状にあった。

松山市で覚醒剤100グラムあまりを製造していたとして、男女5人を起訴。

密造場所は山あいの一軒家。こんなところでなぜ?背景を探ろうと本格的な取材を始めた。

“あなたの家で覚醒剤が”

松山市の中心部から車で数十分。うっそうとした林道を進んだ先に、その一軒家はあった。中は静まりかえっていて、人が住んでいる様子はなかった。周辺には店舗や住宅もなく、人の気配はない。

取材を進めるうちに、この一軒家を所有する男性に話を聞くことができた。
男性によると、この家はかつて農作業の資材置き場として使われていた。

ことの発端は令和4年12月。職場に見知らぬ男が突然訪ねてきて「通勤用に家を貸してほしい」と頼みこんできたという。後に今回の事件で起訴された人物だった。捜査関係者によると、かつて松山市の暴力団に所属し、有名な覚醒剤の売人だったという。

不審に思った男性は追い返したが、男は毎日のように訪ねてきたという。男性は最終的に根負けして、1年契約でしぶしぶ貸すことにした。

それから半年がたった令和5年5月末。男性のもとに警察から突然、あの電話がかかってきたのだ。

「あなたの家で覚醒剤が作られていました」

一軒家に残された密造の痕跡

令和5年11月、事件後初めて室内に入るという所有者と一緒に内部に入った。すでに事件の証拠品は警察に押収された後だったが、潜伏生活の痕跡はあちこちに残されていた。

捜査関係者によると、メンバーの一部がこの家に住み込み、玄関脇の机がある部屋からキッチン周辺で密造が行われていたとみられている。玄関に放置されていたのは、割り箸やペットボトルのふたなどが入ったゴミ袋。

玄関脇の部屋の机の上には白い粉のようなものがこびりついたアルミホイル。和室の押し入れには薬品が入っていたとみられる段ボールが残されていた。
人目を避けて生活していたとみられる様子もうかがえた。窓のカーテンは閉めきられ、カーテンレールのない窓にはくぎを打ち付けて布を張る徹底ぶり。玄関先には、新たに防犯カメラが取り付けられていた。

ここで覚醒剤を密造していた人物の顔写真を見つけた。室内に放置されたスーツケースの中に台湾の運転免許証が入っていたのだ。

名前は「呉明修」。今回の事件で起訴されたメンバーの1人。私たちがこの人物をこの目で見ることになるのは、4か月後、場所は法廷だ。

裁判で見えてきた台湾側の指示役

ことし3月18日、呉被告は、松山地方裁判所で開かれた初公判にスエット姿で現れた。検察官が起訴状を読み上げると、通訳を介して「間違いありません」と罪を認めた。

法廷では検察官から耳慣れない人名が出てきた。

その名前は「ジロー」。

被告はこの人物に派遣されて、愛媛にやってきたのだという。

被告の証言によると、かつてドバイでカラオケボックスを経営していたとき、店の客から「日本に行ってくれる人を探している人物がいる」として「ジロー」を紹介されたという。

そして令和4年の秋、渡航を指示された。提示された報酬は2万台湾ドル(=日本円で約9万円)。当時無職だった被告は、これを引き受けることにしたという。向かったのは愛媛だった。

覚醒剤の密造という目的を知らされずに来日したと主張する呉被告。台湾にいるジローから、こう告げられたという。
ジロー
「そこでは覚醒剤を作っている」
「君の周りにいるのは裏社会の人間だ。帰らせるわけにはいかない」
こうして、半ば脅される形で密造に関わることになったと話した呉被告。十分な知識はなく、製造に必要な情報はインターネットで入手したと証言した。

今回の事件で原料として使われたのは、アレルギー性鼻炎の処方薬およそ20万錠だったことが裁判資料から分かっている。

検察は被告が錠剤にわずかに含まれる覚醒剤の原料成分を抽出するなどして製造したと主張した。
初公判から1週間後のことし3月25日、呉被告に判決が言い渡された。

懲役10年の求刑に対して、懲役7年の実刑判決。「台湾のマフィアと日本人グループが結託して密造した」とする検察の主張がおおむね認められた形だ。一方で裁判長は「なし崩し的に引き込まれ、脅されやむを得なかった面もあった」と情状も考慮した。

密造人としての呉被告と、台湾側から指示を出したとされる「ジロー」。事件と台湾とのつながりを探ろうと取材班は台湾に飛んだ。

台湾でも及ぶ捜査の手

愛媛で警察が強制捜査に乗り出したころ、台湾でも現地当局による捜査が水面下で進められていた。

私たちは当時のことを聞こうと、ことし6月、台湾刑事警察局を訪ねた。

台湾側は松山の密造事件を「愛媛事件」と呼び、日本側と情報共有しながら捜査したという。最大の関心は呉受刑者に指示を出していた人物の存在だった。
経歴や交友関係を捜査しても割り出せなかった。
そうした中、台湾側はついに、日本の捜査で浮上していた台湾の人物「ジロー」にたどりつくことになる。

内偵捜査の結果、「ジロー」とみられる人物が密造に必要な薬品を日本に送付する姿を映像で捉えた。決定的な証拠だ。
台北市の近くにある住宅街。令和5年6月、下町の古びたアパートの1室に警察が踏み込み、愛媛の密造事件に関わった疑いで「ジロー」こと、蔵天宝容疑者を逮捕。その後起訴された。

室内からは複数のスマートフォンやタブレット端末が押収された。この部屋にこもって松山にいる呉受刑者に密造の指示を送っていたとみられている。

台湾の密造“ビジネス”

捜査に当たった台湾刑事警察局の捜査員は「台湾の指示役が日本に密造の指導をするという事件は初めてだ」と振り返る。
ただ、覚醒剤が密造されたこと自体には驚いた様子を見せなかった。覚醒剤密造は台湾ではごくありふれた事件だという。令和5年には8か所の密造拠点が摘発され、大量の覚醒剤が押収されている。いわば台湾は覚醒剤の“一大産地”なのだ。

なぜ、台湾では密造が横行しているのか?
台湾の裏社会に詳しく、かつてみずからも覚醒剤の密造に関わったことがあるという人物を取材すると、台湾特有の事情があることが分かった。

その人物が教えてくれたことばがこちら。
(どくしふ)

毒(違法薬物)の師匠という意味で、覚醒剤の密造技術に長けた人のことを指すという。

40年ほど前に現れたひとりの密造者の技術を受け継ぎ、質の高い覚醒剤を作る人物がこう呼ばれるのだという。

彼らは台湾の裏社会から依頼され、原料や場所の提供を受けながら、わずかな人数で覚醒剤を密造する。そのノウハウは多大な利益を生み出すものになっていると話す。
台湾で取材する中で、密造の舞台として日本が狙われたことは偶然ではないと話す人がいた。薬物問題に詳しい台湾メディアのジャーナリストたちだ。

指摘したのは、日本の末端の密売価格。高値で取り引きされる日本に覚醒剤を持ち込むことができれば、より大きな利益を得ることができるため、世界中の犯罪グループが日本市場を狙っているという。

覚醒剤の脅威はすぐそばに

台湾から密造人を呼び寄せ、愛媛の人里離れた一軒家で覚醒剤の密造を試みたとされる今回の事件。

薬物事件に詳しい専門家は密造の背景に日本の厳しい水際対策があるのではないかと指摘する。
元麻薬取締官 瀬戸晴海さん
「台湾にとって日本は大きなマーケットですが、密輸対策を年々強化しています。ですから日本の組織と台湾の組織が結託して、試験的に技術を日本に持って行って密造すればリスクも少なく、大きな利益が上げられると考えたのではないでしょうか」
そのうえで愛媛に限らず人口減少が進む地方では、空き家などが新たな犯罪インフラとして悪用されるケースが増えるのではないかと話した。
元麻薬取締官 瀬戸晴海さん
「覚醒剤の密造は悪臭や毒ガスが発生したり、火災が起きたりして、危険なうえ周辺にも影響が及びます。ですから今回の事件のように密造者は人目のつかない中山間地域に拠点を求めます。過疎化が進む日本では各地で空き家が増えていて、こうした事件が全国各地で起きてもおかしくありません」
(7月17日「おはよう日本」で放送)
松山放送局記者
川原の乃
2022年入局 兵庫県出身
警察・司法担当として愛媛県内の事件や事故を取材
松山放送局ディレクター
御巫清英
2010年入局
2022年から松山局
調査報道番組「シコクディグ」を立ち上げて地域おこし協力隊や鳴門わかめの産地偽装などを取材
松山放送局ディレクター
高橋英佑
2020年入局 千葉県出身
主に「四国らしんばん」などの番組を担当し、愛媛を中心に四国4県を取材