鳥山明さんは愛知県出身で、1978年に「週刊少年ジャンプ」の読切作品「ワンダー・アイランド」で漫画家としてデビューしました。
その後、1980年に連載を始めた「Dr.スランプ」がアニメ化され、少女型アンドロイド、アラレちゃんの「んちゃ」や「バイちゃ」などのセリフが流行語になるなど、大きな人気を集めました。
【追悼の声】漫画家 鳥山明さん死去 68歳 「DRAGON BALL」など
「DRAGON BALL」や「Dr.スランプ」など、魅力的なキャラクターが登場する世界的な人気作品を次々に生み出した漫画家の鳥山明さんが今月1日、急性硬膜下血腫のため亡くなりました。68歳でした。
鳥山さんのこれまでの経歴や追悼の声、海外メディアの反応などをまとめています。
漫画家 鳥山明さんのこれまで【動画】
鳥山さんは、1982年に放送された漫画を特集したNHKの番組でインタビューに答えていました。この中で、連載開始から2年で大ヒットを続けていた「Dr.スランプ」について、当時27歳の鳥山さんはこう話していました。
「あまりブームにはならなかった方がよかったと思っています。騒がれるのはいやですから。地道に漫画だけ描いていたかったです。それなりにうれしいですけど。たまたま発明ものを描いて、これがいけるんじゃないかということで決まっただけで、特にこれを描きたいとかはなかったです。10週続けばいいほうだと思っていました。『Drスランプ』の人気はもう終わってもいい頃だと思っています。僕もまた違ったものも描きたいですし、それだけに決めつけられてしまうのもいやですから。一生懸命描いていますけど、違ったものも描きたいという感じです」
1984年に連載を始めた「DRAGON BALL」は、主人公の孫悟空が「かめはめ波」などの必殺技を駆使してさまざまな敵と戦い成長していく物語を描き、累計発行部数は2億6000万部を超える大ヒット作となりました。
連載開始の2年後にはテレビアニメ化され、これまでに世界80以上の国と地域で放送されてきたということです。アニメやゲームのほか、ハリウッドで実写版が映画化されるなど世界的に多くのファンを獲得しました。
ことし秋には新作アニメシリーズの世界展開も予定されています。
「ドラゴンクエスト」シリーズで
鳥山明さんは人気ゲーム「ドラゴンクエスト」のシリーズ1作目からキャラクターやモンスターのデザインを担当しました。
「ドラゴンクエスト」シリーズを提供するゲーム会社「スクウェア・エニックス」によりますと、シリーズの累計出荷本数は去年3月末の時点でダウンロード販売を含めて世界で8800万本にのぼり、鳥山さんが描く魅力的なキャラクターは世界中のゲームプレーヤーから愛され続けています。
「スクウェア・エニックス」は公式ホームページでコメントを発表し「鳥山明先生が生み出すキャラクターはゲームの作り手と遊び手の想像力をかき立て、心のなかに広大な冒険の世界を描き出してくださいました。スライムをはじめとする魔物でありながらもどこか愛らしいモンスターたちは、『ドラゴンクエスト』の世界に温かみを与えてくださいました。鳥山明先生が生み出したキャラクターや世界観は、今後の『ドラゴンクエスト』でも息づいてまいります」と追悼しています。
マンガ批評家「時代の中心的な存在」
亡くなった鳥山明さんについて、マンガ批評家の夏目房之介さんは、漫画の売り上げがピークへ向かう時代の中心的な存在で、世界で日本の漫画が支持を得る力になったと功績を振り返りました。
マンガ批評家 夏目房之介さん
「90年代の半ばにかけてが戦後の紙出版の漫画の最盛期でしたが、80年代にそれを作り上げたのが『週刊少年ジャンプ』で、中心で支え、駆動させたのが鳥山さんだったと言えると思います。中でも『DRAGON BALL』はアニメなどさまざまな商品にも展開され、日本の漫画の特徴であるメディアミックスで大きな収益をあげていく形の典型的な作品でした。海外にも広がり、世界的に日本の漫画が一定の支持を得るようになった大きな力にもなったと思います」
その上で夏目さんは「鳥山さんは描き方も独特で、『DRAGON BALL』の終わりのころは鋭角的なフォルムになってきますが、最初のころは丸っこくてとても優しい絵でした。結果的に王道にはなりましたが、本来の『ジャンプ』の荒々しい男っぽい世界とは違う特異な存在だったと思います」と振り返りました。
鳥山さんに影響を受けたという人気漫画家が多く誕生したことについては「『週刊ジャンプ』の発行部数は一時期600万部を超え、大きな浸透力がありました。読者の中から“あのような漫画を描きたい”という気持ちを引き出し、結果的に後進が出てきたのだと思います」と功績を語りました。
<親交が深かった人たち 追悼のコメント>
◆孫悟空役 声優 野沢雅子さん
アニメの「ドラゴンボール」で主人公の孫悟空役などを演じてきた声優の野沢雅子さんは所属事務所を通じてコメントを発表しました。
野沢さんのコメントは次のとおりです。
「信じたくない。考えたくないという気持ちで頭の中が空っぽです。それでも、お会いするたびに鳥山先生がおっしゃってくださった『悟空をお願いしますね』というおことばを思い出すと、『私の命が尽きるまで悟空のそばにいよう』と気持ちを保つことができます。先生、空から私たちを見守っていてください。どうか安らかな旅立ちでありますように」
◆則巻アラレ役 声優 小山茉美さん
鳥山明さん原作のアニメ「Dr.スランプアラレちゃん」で則巻アラレ役を演じるなど、親交のあった声優の小山茉美さんは、所属事務所を通じて、追悼のコメントを出しました。
「Dr.スランプアラレちゃんからのお付き合いでした。決してマスコミにお顔を出さない鳥山先生が、私のラジオ番組やライブコンサートには必ずゲストとして出演し、いつも応援して下さいました。私にとってはもう一人の“則巻せんべい博士”でした」
「世の中に『愛』と『夢』と『力』を与え続けて下さった先生の偉大な功績は、例えようのないほど大きなものだったと思います。心から感謝し、心よりお悔やみ申し上げ、ご冥福をお祈りしております」
◆タレント 中川翔子さん
アニメ「ドラゴンボール」の映画や「ドラゴンクエスト」シリーズのゲームでキャラクターの声を担当したこともあるタレントの中川翔子さんは8日午後、自身の公式Xを更新し、思いをつづりました。
「突然すぎて信じられない ドラゴンボールとドラゴンクエストと成長してきた人生でした 鳥山明先生の描く線から生まれる世界の、キャラクターたちの、ワクワクドキドキは唯一無二、世界的な宝が失われてしまうなんて信じたくないです 漫画やアニメの歴史に偉大な革命を築きあげた功績は人類の宝です 鳥山明先生の作品は地球がある限り人類史に未来永劫語り継がれていくと思います」
集英社が発刊する「週刊少年ジャンプ」の公式サイトには、鳥山明さんと親交が深かった漫画家や関係者が追悼のコメントを寄せています。
◆ドラゴンクエストゲームデザイナー 堀井雄二さん
このうち、鳥山明さんがキャラクターデザインを手がけたゲーム「ドラゴンクエスト」シリーズのゲームデザイナー、堀井雄二さんは次のようにコメントしました。
「本当に、あまりに突然な鳥山さんの訃報で、まだ信じられない気持ちでいっぱいです。鳥山さんとは、ボクが少年ジャンプのライターをやっていた頃からの知り合いで、担当編集者の鳥嶋さんの勧めもあり、ドラゴンクエストを立ち上げる時に、彼にゲームの絵を頼むことにしました。
あれから37年余り、登場人物のキャラクターデザイン、モンスターデザイン、とても数えきれないほどの魅力的なキャラを描いていただきました。ドラゴンクエストの歴史は、鳥山さんのキャラデザインとともにありました。
鳥山さん、故すぎやま先生は、ドラゴンクエストを長きに渡って作ってきた仲間でした。亡くなってしまうなんて‥‥。これ以上、なんて言えばいいのか言葉になりません。本当に、本当に、残念です。」
◆「ウイングマン」作者 桂正和さん
鳥山明さんと同じ時期に「週刊少年ジャンプ」で「ウイングマン」などの作品を連載し、親交が深かった漫画家の桂正和さんのコメントです。
「力がぬけて気力が出ません。こんな事のコメントはしたくないですね。けど、何か書きます。書き出したら、言いたい事だらけなんで、めちゃくちゃ長文になりそうだけど、できるだけ、コンパクトにまとめます。ただ、気持ちがまとまらないので、乱文お許しを。
思い返しても。大袈裟でなく、お宅に遊びに行った時、うちに泊まりに来てもらった時、遊びに出掛けた時、全部が楽しい思い出しかなくて、電話をする度に、疲れるほど笑ってました。面白い人だった。すけべで、可愛くて、毒舌で、謙虚で。本職の漫画では、合作とかもしたけど、あれも楽しかった。
でも、99%漫画の話をした事はない付き合いでしたね。漫画家として、見てる風景、作家のレベルも違いすぎて、偉大さを意識した事が無かったです。わかってはいます。けど、本人と接する時は微塵もそれは感じなかった。人柄ですね。だから偉大な漫画家というより、今も友人としてとしか考えられない。
去年の夏、私が手術をする前に、どこかで聞いたらしく、メールくれました。本当ーーに、メールなんて珍しく、心配そうに私の体を気遣う内容。40年来の付き合いだけど、鳥山さんから、あんなに優しくされたのは初めてだったかも。雪が降るかと思いましたよ。いつもは冗談か、くだらない話しかしないっすからね。なんすか、人の心配してる場合じゃないじゃん、全く。
そのちょっと前だったか電話した時、その頃、色々具合が悪かった私は『多分先に逝くんで、お別れ会とかやってくださいね、鳥山さん仕切りで!あと、箔がつくからスピーチして下さいね!』と約束したのに、守ってもらえなかった。メールをくれた後、なんで電話しなかったのか、それが、すごく後悔です。
もうくだらない話で長電話ができない事が、残念でしかたないです。話したい事が沢山溜まってます。いろんな話があるんです。興味のない話は、いつものように、うわの空に聞いてもらってもいいんで、もう一度話したいです。私の、また連絡くださいとのメールの返事に、軽くOKって書いてあったのが最後なんて、ダメです。心底辛いです」
◆「ONE PIECE」作者 尾田栄一郎さん
世界的な人気漫画「ONE PIECE」の作者、尾田栄一郎さんのコメントです。
「あまりに早すぎます。空いた穴があまりに大きすぎます。もう二度と会えないと思うと、悲しみが押し寄せてきます。
子供の頃から憧れすぎていて初めて名前呼んで貰えた日の事も覚えています。我々に「友達」という言葉を使ってくれた日の帰り道岸本さんと盛大にはしゃいだ日も懐かしいです。最後に交わした会話も覚えています。
漫画なんて読むとバカになるという時代からバトンを受け取り大人も子供も漫画を読んで楽しむという時代を作った一人でもあり漫画ってこんな事もできるんだ世界に行けるんだ、という夢を見せてくれました。突き進むヒーローを見ているようでした。
漫画家に限らずあらゆる業界で活躍するクリエイター達の少年時代にドラゴンボール連載当時の興奮と感動が根付いているでしょう。その存在は、大樹です。同じ舞台に立った僕ら世代の漫画家にとって鳥山作品は近づく程により大きな存在と気づかされました。怖いくらいに。でもまた、飄々としたご本人に会えるとただ嬉しい。僕らは血液レベルで鳥山先生が大好きだから。
鳥山先生の残された創造性豊かな世界に敬意と感謝を込めて、心よりご冥福をお祈りいたします。天国が先生の想い描いた通りの愉快な世界でありますように」
◆「NARUTO-ナルト-」作者 岸本斉史さん
世界的な人気漫画「NARUTO-ナルト-」の作者の岸本斉史さんは、次のようにコメントしています。
「突然のことで何をどう書けばよいのか正直わかりません。ただ今は鳥山先生にいつか聞いて欲しかった事、想いをお伝えさせて頂きたく思います。
小学生低学年でDr.スランプ、高学年でドラゴンボールとずっと先生の漫画と一緒に育ち、生活の一部で先生の漫画が隣にあるのが当たり前でした。嫌なことがあっても毎週のドラゴンボールがそれを忘れさせてくれました。何もなかった田舎少年の僕にとってそれは救いでした。本当にドラゴンボールが楽しすぎたからです!
大学生のときです。突然、僕の生活に長年当たり前にあったそのドラゴンボールが終わりました。とてつもない喪失感に襲われ何を楽しみにすればいいのか分からなくなりました。でもそれは同時にドラゴンボールを生み出してくれた先生の偉大さを心から知る事ができるきっかけでもありました。
僕も先生のような作品を作りたい!先生のようになりたい!と、先生の後を追いかけるように漫画家を目指すうちにその喪失感もなくなっていきました。漫画作りが楽しかったからです。先生を追いかける事で新しい楽しみを見つける事が出来ました。
先生はいつも僕の指針でした。憧れでした。先生にはご迷惑かもしれませんが勝手に感謝しています。僕にとってはまさに救いの神であり、漫画の神様でした。初めてお会いした時、緊張し過ぎて一言も喋れませんでした。ですが手塚賞の審査会で何度もお会いするうち話せるようになりました。
ドラゴンボールチルドレンとして尾田さんと2人して子供に戻りまるで競争するかのようにいかにドラゴンボールが面白かったのかをはしゃいで話した時、まんざらでもない様子で少し恥ずかしそうな笑顔をされていたのが忘れられません。
今、先生のご訃報を受けたばかりです。ドラゴンボールが終わった時以上のとてつもない喪失感に襲われ...まだこの心の穴にどう対処すればよいのか分かりません。今は大好きなドラゴンボールも読めません。
先生へお伝えしたいこの文章もまともに書けている気がしません。世界中の皆んながまだまだ先生の作品を楽しみにしていました。もし本当にドラゴンボールの願いが1つ叶うなら...すみません...それはわがままな事なのかもしれませんが、悲しいです先生。
鳥山明先生、45年もの間たくさんの楽しい作品をありがとうございました。そして本当にお疲れ様でした。残された家族のみなさまにおかれましては今はまだ深くご傷心のことと思われます。ご自愛くださいませ。鳥山明先生の安らかな眠りをお祈り申し上げます」
<出版社・アニメ制作会社など>
少年ジャンプ編集部「一同大きな悲しみ」
週刊少年ジャンプなどの編集部がコメントを出しました。
「ジャンプ誌上でたくさんの作品を発表された鳥山明先生が逝去されました。
突然の訃報に、集英社・編集部一同大きな悲しみに包まれております。
『Dr.スランプ』『DRAGON BALL』『SAND LAND』...先生が描かれた漫画は、国境を越え世界中で読まれ、愛されてきました。
また、先生が生み出された魅力あふれるキャラクターたちと、その圧倒的なデザインセンスは、数多くの漫画家・クリエイターに大きな影響を与えてきました。
先生の偉大なご功績を讃え、感謝の意を表するとともに、謹んでご冥福をお祈り申し上げます」
鳥山さんが所属する「バード・スタジオ」は
また、鳥山さんが所属する「バード・スタジオ」などは以下のコメントを掲載しました。
「ファン、関係者の皆さまへ突然のご報告になりますが、漫画家・鳥山明は2024年3月1日、急性硬膜下血腫により永眠しました。68歳でした。熱心に取り掛かっていた仕事もたくさんあり、まだまだ成し遂げたいこともあったはずで、残念でなりません。ただ、故人は漫画家としていくつもの作品を世に残して参りました。多くの世界中の方々に支持していただき、45年以上にわたる創作活動を続けることができました。これからも鳥山明唯一無二の作品世界が、末長く皆様に愛され続けることを切に願います。生前のご厚誼に深く感謝し、ここに謹んでお知らせいたします」
2代目アシスタント まつやまたかしさん「お手伝いできて光栄」
鳥山明さんの2代目のアシスタントを務めたイラストレーターのまつやまたかしさんは、コメントを発表しました。
「二代目アシスタントをさせていただいたのは40年も前の話なのですが、偉大な漫画家さんのお手伝いをさせていただき光栄でした。クルマ、バイク、映画、模型制作が共通の趣味で気に入っていただき楽しい時間を過ごした事を思いだします。とにかく絵が上手くてリスペクトしていましたし、側で描かれるのを見れた事も貴重な体験です。先生は、あれほどの大ブレイクのせいで人生を楽しめてるのかなと思う事もありました。もっといろんな事を一緒に楽しみたいとこの3月に約束もしていましたが、まさかの急なお別れとなりました。どうか、安らかにおやすみください」
※コメントは原文ママ
東映アニメーション「誠に残念」
『ドラゴンボール』などのアニメを手がけている東映アニメーションは、公式ホームページに「鳥山先生のご逝去に際して」とするコメントを掲載しました。
「誠に残念でなりません。謹んでお悔やみ申し上げます。弊社には『Dr.スランプ アラレちゃん』や『ドラゴンボール』シリーズなどの名作に携わった、鳥山先生を尊敬するスタッフがたくさんおり、製作に関してもご指導いただき、誠に感謝しております。
世界中に愛される先生の作品をアニメ化することができ、大変光栄でございました。ご冥福をお祈り申し上げます」
SNSで追悼 感謝の投稿 相次ぐ
SNSでは国内外のファンから追悼や感謝を示すメッセージの投稿が相次いでいます。
国内からは「子どもの頃から今までたくさん読ませて頂きました…とても残念でなりません」「ドラゴンボールだけじゃなく、ドラクエなどのいろいろな作品で個性豊かなキャラクターを生み出して、ワクワクさせてくれて、ありがとうございました!」などといった投稿のほか、
鳥山さんの作品のストーリーにちなんで、「ドラゴンボール7つ集めて鳥山明先生復活させたい。。。『それは無理な願いだ』って言われちゃうのつらい。ありがとうございました。ご冥福をお祈りします」といった投稿も見られています。
また、海外からも「今年最悪のニュース。彼はみんなのヒーローだった。ありがとう」(アメリカ)「信じられない、胸が張り裂けそうだ。僕の子ども時代を素晴らしいものにしてくれてありがとう。あなたとあなたの作品は、さまざまな形で多くの人々にインスピレーションを与えてくれました」(インド)などと、世界各地のファンから鳥山さんが亡くなったことを悼み感謝を述べるメッセージが寄せられています。
<国内> 悟空像前・アキバ・地元でも…
渋谷の街 「ドラゴンボール世代」「『かめはめ波』やった」
東京・渋谷では漫画家の鳥山明さんが亡くなったことを悼む声が聞かれました。
40代の男性は「僕はドラゴンボールで育った世代なので、ただただ、びっくりしていて、ことばもありません」と話していました。
テレビアニメでドラゴンボールを見ていたという20代の男性は「歴史を作った人だと思うのでニュースを見てびっくりしました。小学生のときはみんなで『かめはめ波』をやりましたし、同世代の共通言語でした。ドラゴンボールという作品を作ってくれたことに感謝しています」と話していました。
また、40代の女性は「『Dr.スランプアラレちゃん』をテレビでよく見ていました。びっくりしていますが、一区切りが終わったなというか悲しいなという思いです」と話していました。
孫悟空像の前では
都内の大手おもちゃメーカーの会社前に設置された「DRAGON BALL」の主人公・孫悟空の等身大フィギュアの前には、鳥山さんの死を悼む人たちが次々と訪れていました。
鳥山さんの漫画などの影響で格闘技を始めたという50代の男性は「子どものころから少年ジャンプを読んで育ちましたので、かなり影響を受けました。鳥山先生が亡くなったことはショックで言葉になりません」と話していました。
都内に住む40代の女性は「鳥山先生の作品は全部好きで当たり前のようにあるものだったので、親が亡くなったのと同じぐらいのショックです。仲間と協力して一緒に戦うところとか命の大切さとか多くのことを学びました。外国の人からも人気がある世界レベルの人だったのでそういった意味でも亡くなったことの衝撃は大きいと思います」と話していました。
イギリスから兄弟で訪れたという20代の男性は「とても悲しいです。世界中のドラゴンボールファンが悲しんでいます。できれば鳥山さんがいなくても誰かが引き継いで人気のアニメとして長く続いてほしいです」と話していました。
秋葉原でも 「『キーン』と走るまねしてた」
世界各地から漫画やアニメのファンが訪れる東京・秋葉原では、さまざまな国の人から鳥山明さんを悼む声が聞かれました。
メキシコから訪れていた32歳の男性は、「作品がとても大好きだったので、残念で悲しいです。メキシコでもドラゴンボールはみんなが知っています」と話していました。
ポーランドから訪れていた26歳の男性は、「『まさか』という思いです。私が日本やアニメを好きになったきっかけも5歳のときにドラゴンボールを見たことでした。アニメや漫画にこれまで注いでくれた情熱や意欲に本当に感謝しています」と話していました。
香港から訪れていた30歳の男性は、「とてもショックです。世界の中でも偉大な漫画家のひとりだと思いますし、香港の人や香港の漫画家もとても悲しむと思います。安らかにお眠り下さい」と話していました。
さいたま市から訪れていた62歳の男性は、「大好きな漫画家さんで、小さいころはアラレちゃんが『キーン』と言って走るまねをしていました。作品は、ハチャメチャな中にも、友だちへの愛や仲間を大事にすることへの思いが感じられて、ハッピーなだけでなくジーンとするところがあるのも好きでした。日本のアニメ文化を支えてきたひとりだと思うので、まだまだ活躍してほしかったです」と話していました。
大阪府から訪れていて、鳥山さんの訃報を知ってドラゴンボールのバッジを買ったという23歳の男子大学生は、「小学生の時にアニメでドラゴンボールを見て、漫画も読みました。ありがとうと伝えたいです」と話していました。
地元・愛知県清須市では
地元の愛知県清須市では、関係者から悲しみの声が聞かれました。鳥山明さんは出身地・清須市の依頼を受けて、来年迎える市制20周年記念のロゴマークを書き下ろし、ことし1月にそのデザインがお披露目されたばかりでした。
ロゴマークは、清洲城ゆかりの織田信長を思わせる武将が鳥山さんらしいポップな画風で描かれていて、市では今後の周年事業のポスターなどで活用することにしています。
清須市の永田純夫市長は「なんとかデザインをお願いできないかと打診したところ、快く引き受けていただきました。先生の思いこもったロゴを大切に使いたいです。世代を超えて、全世界で愛された先生で、地元で活動を続けていたことにも敬意を表します。ご冥福をお祈りします」と話していました。
また、鳥山さんはメディアに登場することが少ないことで知られていましたが、6年前には清須市立図書館が発行する「図書館だより」のインタビューに応じ、話題となりました。
インタビューの中ではおなじみのマスク姿のイラストで登場し「清須市は『Dr.スランプ』に登場するペンギン村のモデルなのでは?」という質問に、「残念ながらモデルなんて存在しません。あんな変な村、あるわけないですもんね」と答え、「今でも楽しんでくれる子供達がいるというのは本当に幸せです。ありがとう!」とメッセージを語っていました。
清須市立図書館の竹内麻衣さんは「発行したあとの反響によって、先生の偉大さを痛感しました。清須市ゆかりの作家さんとしてこれからも作品を管理して、みなさんに長く愛していただけるようにしたいです」と話していました。
<世界>韓国・中国・台湾・タイ・米・英・仏…
韓国紙「漫画界の大スターが逝去した」
韓国メディアは、漫画家の鳥山明さんが亡くなったことを、功績とともに速報で伝えています。
このうち、有力紙の「中央日報」は「漫画界の大スターが逝去した」という見出しで、訃報を伝えているほか、通信社の「連合ニュース」は、代表作の「DRAGON BALL」がアニメ化・ゲーム化されるなど世界中で注目を浴びたと報じています。
さらに、大手紙の「朝鮮日報」も「DRAGON BALL」が誕生した経緯などに触れながら、「世界で最も商業的に成功したアーティストの1人だ」と功績をたたえています。
中国メディアも速報 「ウェイボー」のトレンドにも
漫画家の鳥山明さんが死去したことについて、中国メディアも速報で伝えました。
このうち、国営の中国中央テレビはニュースサイト上で日本のメディアを引用する形で「『DRAGON BALL』や『Dr.スランプ』などの名作を生み出した鳥山明氏が病気で亡くなった」と伝えました。
また、ネットメディアの「澎湃」は「鳥山明氏は世界中で絶大な人気を誇る名作漫画の作者だ。幅広い年齢層の読者に愛され、その後の多くの漫画家などに影響を与えた」などと伝えています。
中国のSNS「ウェイボー」上では、速報が伝えられたあとの現地時間の午前11時半ごろ、鳥山氏の死去がトレンドのランキングのトップとなり、その死を悼む投稿が相次いでいます。
この中には「『DRAGON BALL』は私が日本や日本語に興味を持つきっかけとなりました。小学生の時、42巻すべてをそろえて背表紙を並べた感動の瞬間は一生忘れられません。さようなら。安らかに」といった投稿や「『DRAGON BALL』や『Dr.スランプ』は不朽の名作で決して人に貸すことができない私の本棚の宝物です」といった投稿もみられました。
中国ファン「漫画界にとって大きな損失」
漫画やアニメのグッズを扱う店が集まる中国・上海のショッピングセンターでは鳥山明さんの作品「DRAGON BALL」のキャラクターのフィギュアが多くの店で販売されていて、中国での人気の高さがうかがえます。
30代の男性は「とても残念です。漫画はあまり読みませんが『DRAGON BALL』はすべて読みました。彼の作品は、小さい時にはほかの子どもと仲よくなるいいきっかけにもなりました。漫画界にとっては間違いなく大きな損失だと思います」と話していました。
鳥山さんの作品のファンだという30代の男性は「DRAGON BALL」について、「必死に頑張ったり、未来に向かって努力を続けたりするよう読者を鼓舞する作品でした」と振り返った上で、「鳥山さんが亡くなったことは漫画に関わる人たちにとって大きな衝撃で悲しいことだと思いますが、きっと新しい漫画家たちが鳥山さんのあとを継ぎ、より良い作品を読者に届けてくれると信じています」と話していました。
中国外務省 報道官「中国でも大人気」
中国外務省の毛寧報道官は8日の記者会見で、哀悼の意を表したうえで「鳥山さんの作品は中国でもとても人気があり、多くのネットユーザーが死を悼んでいる」と述べました。
また毛報道官は「中日両国の文化交流と友好事業に積極的に貢献する有識者が、日本でさらに増えることを期待し、信じている」とも述べました。
台湾 驚きや悲しみの声
日本のアニメのファンが多い台湾では驚きや悲しみの声が聞かれました。
日本のキャラクターグッズを扱う店が並ぶ台北の地下街を訪れていた20代の女性は「すばらしい漫画家が亡くなってとても驚いたと友だちと話していたところです。天国でも漫画を書き続けてほしいです」と話していました。
「DRAGON BALL」のキャラクターグッズなどを扱っている店の30代の男性店長は「台湾にはドラゴンボールのファンがとても多くいます。亡くなったことを知ってショックでした。あまりにも突然で、とてもつらいです」と話していました。
タイでも「ドラゴンボールは生きる力」
東南アジアのタイでも悼む声が相次いでいます。
このうち、タイの首都バンコクで日本食レストランを経営するナムプング・ベックさん(47)は、子どものころから鳥山さんの代表作ドラゴンボールが好きだったということで、店内にはキャラクターの人形やポスターが飾られています。
ナムプング・ベックさんは、主人公のキャラクターのタトゥーを腕に入れるほどのファンで「鳥山さんが亡くなりとても残念です。ドラゴンボールは私に生きる力を与えてくれた。これからもずっと愛し続けていきたい」と話していました。
また、日本の漫画をタイ語に翻訳しているポンサコーン・シリカムナードさん(33)は5歳のころからドラゴンボールに親しんでいるということで、直接日本語で楽しみたいと、日本語を独学で学んだということです。
また9年前にはSNSにドラゴンボールのファンクラブのページを立ち上げいまでは16万人のフォロワーがいるといいます。
ポンサコーン・シリカムナードさんは「ドラゴンボールはタイでも国民的な漫画で、ストーリーとキャラクターはオンリーワンです。私は人生をドラゴンボールとともに歩んできたので悲しいですが、鳥山さんの作品は心の中にずっと残り、これからも続いていくと信じたい」と話していました。
欧米メディア「日本を代表する漫画家の1人だった」
アメリカやイギリスなど欧米メディアも相次いで伝えています。
このうちアメリカの有力紙ニューヨーク・タイムズは鳥山さんについて「日本を代表する漫画家の1人だった」としたうえで、「鳥山氏の作品は日本の国境を大きく越え、何世代もの漫画家に影響を与えた」と伝え、漫画やゲームなどを通じて世界中のファンを魅了してきた鳥山さんの功績をたたえました。
また、イギリスの公共放送BBCはインターネット上に配信した記事で「孫悟空が訓練を重ねてヒーローへと成長していく旅路に、多くのファンは、もがきながら成長する自分自身の姿を重ね合わせることができた」として、鳥山さんが描いたキャラクターは多くのファンにとって青春の一部になっていたと伝えています。
ニューヨークでも悲しみの声
世界中から多くの観光客が集まるアメリカ・ニューヨークのタイムズスクエアでも悲しむ声が聞かれました。
フィリピンから訪れていた40歳の男性は「鳥山さんが亡くなったと聞いて本当に驚き、悲しいです。小学生の時からいまも『DRAGON BALL』を見ています。主人公の悟空は、90年代に子どもだった私たちの世代にとって、伝説であり、ヒーローです」と懐かしんでいました。
コロラド州から訪れていた29歳の男性は「ベジータも好きでしたが悟空が一番好きですね。悟空のいつも陽気で、おっちょこちょいで面白いところが好きで、『DRAGON BALL』シリーズのすべてが好きでした。鳥山さんには安らかにお眠りくださいと言いたいです」と話していました。
また子ども時代をフランスで過ごしたという男性は「小さいとき『DRAGON BALL』の漫画をたくさん読んで、悟空みたいになりたいと思っていました。鳥山さんが亡くなったことをニュースで知りましたが、まだ気持ちに整理がつきません。もう一度、彼の漫画を読み返すと思います」と話していました。
仏マクロン大統領 鳥山さんサイン入り色紙を投稿
フランスのマクロン大統領は8日、「マクロン大統領へ」と書かれた鳥山さんから贈られたサイン入り色紙の写真をSNSに投稿しました。
また、日本語とフランス語で「鳥山明と何百万もの彼の愛好家へ」というメッセージも添えられています。
フランスのアタル首相も、世界中に散らばる玉を7つ集めると、願いを叶える竜が登場するという『ドラゴンボール』の物語に合わせ、「玉や竜の力でも彼を連れ戻すことはできないだろう。彼は間違いなく、フランスにマンガと日本文化をもたらした」とSNSに書き込み、鳥山さんの功績をたたえました。
在日フランス大使館「漫画の最高峰に到達した人物」
在日フランス大使館がSNSに追悼のコメントを掲載しました。
このなかで鳥山さんについて「漫画の最高峰に到達した人物であり、鳥山氏の創造性にあふれた作風、物語の展開の妙、そして比類なきデザインの芸術により、フランスにおける『漫画』芸術の普及に大きく貢献した」と強調しました。
鳥山さんは、2013年にフランスで開かれるヨーロッパ最大規模の国際漫画祭「アングレーム国際コミックフェスティバル」で特別賞を受賞したほか、2019年にはフランス政府から芸術文化勲章の「シュバリエ」を授与されるなど高く評価されてきました。
フランス大使館は鳥山さんのこれまでの受賞歴に触れたうえで「ご家族、近親者のかたがた、フランス、そして鳥山先生の作品を愛する世界のすべてのファンの皆さんと、悲しみを分かち合います」と述べ、哀悼の意を表しました。
フランスでも悼む声
日本のアニメやマンガが人気を集めるフランスでも、漫画家の鳥山明さんを悼む声が聞かれました。
このうち、パリ市内にある日本のマンガや関連商品などを取り扱う店では、店頭のショーウィンドーに「ドラゴンボール」の主人公の大きな人形が置かれていて、関連の商品が人気だということです。
8歳のころから「ドラゴンボール」に親しんできたという19歳の男子大学生は「鳥山さんが亡くなったと聞いてとても悲しいです。アニメの中ではドラゴンボールの主人公が冒険を経験しますが、人生を冒険と考えることを教えてくれ、とても影響を与えました。日本のアニメが今のように愛されているのは、この作品のおかげだと思います」と話していました。
8歳の息子を連れて来店した40代の母親は「私たちにとっては『ドラゴンボール』が最初に見た日本のアニメです。シリーズものなので、話の展開や新しいキャラクターの登場にいつもわくわくしていました。日本とフランスの文化には共通点が多いので、ここまで人気が出たのではないでしょうか」と話していました。
ブラジル副大統領「本当にありがとう」
南米・ブラジルでは、アルキミン副大統領がみずからのSNS上に「仲間との友情や誠実さの価値を多くの世代に示しました。鳥山明さん、本当にありがとうございました」と投稿し、追悼していました。
アルキミン副大統領は、これまでにもみずからのSNS上に、ドラゴンボールのキャラクターを登場させて、ブラジル政府の政策をアピールしたり、日本企業によるブラジルへの巨額投資に感謝の意を表明したりして、ブラジル国内で話題を集めていました。
「アニメ功労部門」受賞 本人のコメントの最後は
東京・池袋で8日から始まった「東京アニメアワードフェスティバル2024」ではアニメ業界に大きく貢献した「アニメ功労部門」のことしの受賞者の1人に鳥山明さんが選ばれました。
会場には鳥山さんのコミックやイラストの展示スペースが設けられ、功績を記したパネルには「唯一無二の魅力を誇るキャラクタードラマに世界が熱狂」「歴史的作品を生み出してきた原作漫画家」などと紹介されています。
受賞にあたって鳥山さんが寄せたコメントも公開されていて、ことし世界展開が予定されているドラゴンボールの新作アニメについて「全体のストーリーだけでなく、世界観、キャラデザインやメカなどもいろいろ描いています。激しいアクションだけじゃなく盛りだくさんな内容になっていると思いますので、楽しんで観ていただければ幸いです」としています。
鳥山さんのコメントの最後はこう結ばれていました。
「若い頃の生活のせいか健康にいまいち自信のない僕があとどれだけできるかはわかりませんが、より面白い作品作りを頑張って目指してみますので、これからもどうぞよろしくお願いします!」