むつみ橋の歩道橋の建築時期は?
ジュンク堂で買ってきた那覇の地域情報雑誌「みーきゅるきゅる」のVol.4に むつみ橋陸橋の建設時期の話があった。この件は前々から気になっていたので、この機会に調べてみることにした。
歩道橋のあった頃、無くなった後(1970-1983)
(略)
注1)歩道橋の設置年月日については管理者の沖縄県南部土木事務所に問い合わせをしたが資料が無く確認がとれなかったため、1971年の住宅地図に歩道橋が書き込まれていることから推測。
1971年の写真
確かに1971年に撮影された写真に階段と水上店舗3階への通路部分が写っている。
分類名: 各地の風景
撮影日: 1971年
写真解説: 那覇 三越屋上から国際通りを望む
なお、「グダグダ(β) 現OPAの位置のなみさと」には「右はゼンリン地図69年版に推定した陸橋を描き入れたもの」とあり、ゼンリンの1969年の地図にはまだ陸橋は存在せず、このことから「みーきゅるきゅる」の筆者は1970年と推定したものと思われます。
(追記:ゼンリン住宅地図の最初の那覇版が1969年版、次がたぶん71年版のようです。沖縄県立図書館にて調査しました。住宅地図 | 調べ方案内 | 国立国会図書館でも那覇版は1969年版の次は1971年版のようです)
1966年より前は県内には横断歩道橋は無かったらしい
琉球新報の Okinawa Photo Histry に「県内初の道路横断橋」「1966年」の記載がある。1966年より前には県内には歩道橋はなかったようだ。
これどこだろう?道路横の空き地があったり高い建物がなく、どの場所なのかさっぱりわからない。
(もしかしてこれ? Color Slides – Southern Okinawa – Naha, http://www.rememberingokinawa.com/photo/CS_Naha_pg1/25 )
追記: コメント欄にて「今の日本生命那覇センタービルと明治安田生命ビルとの間」との推測を教えていただきました。私もそこだと思いますが、要調査ですね。
県内初の道路横断橋、那覇市久茂地一号線に完成、開通式
実際、1966年11月に撮影されたむつみ橋の写真(秋の火災予防運動 : 那覇市歴史博物館)には、歩道橋は写っていない。
「甲子園ベスト4進出興南高校野球部帰沖 パレード 那覇 国際通り沖縄県公文書館(1968年 8月31日)」にも陸橋は存在しない。
1968年12月撮影の写真にも写っていない。
影日時:1968年12月 / 所有者:沖縄県公文書館
歳末の那覇市街 なみさとスーパー(現在のOPA前)付近
配信元:那覇まちのたね通信
事業主体:NPO法人ちゅらしまフォトミュージアム・地域情報エージェント株式会社
1968年の写真に存在?
“Naha Okinawa 1968 | Flickr” に沖映通りから撮影された写真が掲載されている。さきほどの1968年12月の写真とは矛盾する。さすがに1ヶ月以内に歩道橋が作られたりはしないだろうから、どちらかの日付が間違っていそう。
(写っている人は軽装なので、夏場の写真だと思われる。撮影者のLawrence Crovoさんは、この写真のキャプションに1968とだけ書いており、それを信じるなら1968夏だが……)
(追記:Okinawa 1969-71 | Flickr – Photo Sharing!と比べても、Naha Okinawa 1968 | Flickrの方が後の撮影と思われる)
1969年4月の写真に歩道橋が写っている。撮影位置も歩道橋の上からと思われ、この頃には歩道橋は完成していたものと思われる。
写真解説: 祖国復帰要求大行進 那覇 国際通り〜政府前
撮影日: 1969年 4月
資料コード: 0000108822
写真番号: 031593
アルバム名: 琉球政府関係写真資料 112
“労働運動/第13回統一メーデー復帰デモ : 那覇市歴史博物館”(1964/05/01)にも歩道橋が写っている。1964年撮影とあるがこれは誤りで、ガーブ川の改修時期や第13回統一メーデー開催時期、ベトナム戦争反対の幕から考えると1969年撮影が正しいと思われる。
むつみ橋歩道橋建設時期は1969年前半か?
前述の沖縄公文書館の1968年12月撮影の写真や、それと同時期に撮影されたと思われる写真を見たが、「1968年12月には歩道橋は存在しないこと」を疑う情報は見つけきれなかった。1968年12月には歩道橋は存在しないと考えて良さそう。
以上のことから考えるとむつみ橋陸橋建築時期は1969年の4月以前だと思われる。
1968年12月に影も形もないので、4月か4月に近い時期ではなかろうか。
追記:矛盾?する写真
下記写真、陸橋の橋脚がギリギリ写っていても良さそうなんだけど。ギリギリ写ってないだけなのか、私の推測が間違ってるのか……
沖縄の女性にとって、初めての国政選挙=1970(昭和45)年10月撮影
参考:詳細年代不明の写真
垂れ幕や張り紙などがあれば年代比定の参考になるのですが、ちょっとわからない写真。参考のためリンク貼っておきます。後勘校者知之也。
- 国際通り : 那覇市歴史博物館(1960年代)
- 国際通りむつみ橋付近 : 那覇市歴史博物館(リウボウのタワー部分が建築中なので1971年前半だろうか)
- Okinawa 1969-71 | Flickr
- Okinawa 1969 thru 1971 – Tim McCarthy
- 沖縄タイムスフォトギャラリー No:C_154823 1970年撮影 国際通り
- Color Slides – Southern Okinawa – Naha( http://www.rememberingokinawa.com/photo/CS_Naha_pg1/23 , http://www.rememberingokinawa.com/photo/CS_Naha_pg1/24 )
- 「ちょっと昔の沖縄 むつみ橋の歩道橋」 ( 沖縄県 ) – オニャンコポンな絵葉書たち – Yahoo!ブログ
- 1975年の沖縄 その3 むつみ橋歩道橋 ( 沖縄県 ) – オニャンコポンな絵葉書たち – Yahoo!ブログ
その他
8:03〜 旧三越・那覇タワー・むつみばし歩道橋の動画。
ディスカッション
コメント一覧
追)「ゼンリン」の地図には不思議なことがあります。
69年度版にはむつみ橋が記載されていますが、71年度版には無いのです。
73年に行った時にはありましたのに。
小生は、1970年の学生の頃に東京→那覇→石垣島と一人旅行をしています。
この時はむつみ橋の陸橋はありましたが手入れが悪いせいか錆が浮いていました。
旅行の記念のカラー写真でも確認できます。1973年の8月の時点でも陸橋は映っています。
沖縄の、ジャズピアニスト故・屋良文雄さんとは亡くなるまでお付き合いさせていただきました、話題の中にガーブー川の由来も聞き案内をしてもらいました。
たび重なるガーブー川の氾濫対策で県と商工会で暗渠にし、その後の1960年頃に陸橋を建てたと。(1970年11月に大越百貨店が沖縄三越に変わっています。山形屋もありましたが、今はホテルに変わっていますね)
小生も15年ほど前に国際通りと沖映通りの交差点の経緯を趣味で調べるため「那覇市観光案内所」「那覇市市民文化部歴史資料室」「那覇市役所/中心活性化室」「沖縄県公文書館」などを訪問しましたが、さしたる資料は入手できませんでした。小倉の地図会社「ゼンリン」も訪問ねましたが個人情報の関係上閲覧も断れました。
しかし「ゼンリン」の住居人名が記載された地図は簡単に入手できました。国立国会図書館」です。見放題の上コピーもできました。コピー一枚20円でしたので数百枚のコピー代が大変だった記憶があります。写真については小生が一眼レフで撮影したものがベストと思っています。
サイト上に、「東大ワンゲルTWV沖縄 1964」があります、貴重な旅行記がアップされています。「ゼンリン」の地図はかなり散逸してしまいましたが、一部は電子データで残してありますが今は個人情報関係で問題なるかもしれません。
なお、本サイト、パソコンが最新のMacBook Proのためか写真が見られません。
イノウエさん、コメントありがとうございます。
特別なイベントでもない限りこのころの資料はあまり残っていなくて、写真などを手がかりに手探りで探しているような状態です。国際通りは写真が多いのでまだマシなほうですが、それでも大変です。
「TWV沖縄 1964」も拝見しました。貴重な写真ですね。那覇市内のは場所が特定できそうです。
ご指摘の通り、一部写真が引用元のサイトがなくなってしまってリンクが切れていました。差し替えたので現在は参照できると思います。
ご返事ありがとうございます。
「TWV沖縄 1964」には松尾の映画館などが映っていますね。
もし小生の写真がお役に立てるのであればメールで送付しますが、いかがでしょうか。
1970年以来、毎年のように沖縄行きました。故:屋良文雄さんが亡くなる前は3〜4回/年のペースで寓話詣でをしておりました。最近は4泊5日で年一回のペースですが、友達もでき那覇から出ず市街の散策で過ごしています。
若い頃は、最西端の島やグスク巡りを繰り返し、本部の喫茶店を回り尽くそうと思いましたが今たびに新しいお店ができており諦めました。
こちらでも推測しました。
久茂地歩道橋について
場所は、今の日本生命那覇センタービルと明治安田生命ビルとの間だと思います。
でも、那覇大綱挽を開催するために、わずか5年で姿消しているんですね。
戦後初の国政選挙に歩道橋が映ってない
人物の位置や、道幅から、歩道橋はもう少し右側ではないでしょうか。