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1993年に華々しく開幕したJリーグに、ブラジルサッカー界のレジェンドでありながら鹿島の現役選手として参加したジーコ氏(64)は、重要な“創業者”のひとりといえる。そして今年25年目を迎えたJリーグは、7月に総額30億円を以上をかけて超大物、元ドイツ代表FWポドルスキ(32)=神戸=を迎えた。ここ3試合ノーゴールで“戦犯”になりつつあるJ史上最強助っ人とJリーグへ、ジーコ氏が熱いエールを送った。(聞き手・久保武司)
--Jリーグ神戸にポドルスキがやってきた
「間違いなく世界トップクラスのFWだ。まだ32歳でしょ? これからだよ、これから。ブラジルではいま、40歳を超えてもバリバリ戦力としてプレーしている選手がたくさんいる。32歳なんて、まだ少年だよ。私だって、38歳で日本に来たんだから。彼を見ていると、人間的にもかなりいい奴だという雰囲気が体中からあふれている。きっと成功するよ。ネルシーニョも素晴らしい監督だし」
--ジーコ氏が38歳で鹿島に来たときは…
「初めて鹿島に来たときのことは、いまでも覚えている。本当に何もなかった。まずプロのサッカー選手とはなんぞや、ということを植え付けるために、先頭に立ってやるしかないと思った」
--あの頃はとにかく忙しかった
「日本のプロサッカーリーグなんだから、まずは日本のスターを作らないといけない。そして何より日本サッカーのクオリティーをあげなきゃいけない。鹿島にいたときはこの一念だった。よくいる外国人選手のように、数年間だけプレーして高い年俸をもらって日本を去ることだけはしたくなかったからね。仕事はピッチの中だけではなかった。私は、選手たちには記者さんたちとの付き合い方も教えたし、フロントの人たちにはプロのサッカークラブになるためにマーケティングの重要性をレクチャーした。あの頃、東京から鹿島まで電車とバスを乗り継いで通った。夜遅くなってしまって選手寮によく泊まったなあ…」