Japanese Skater
日本スケートボード界の第一人者だ。
スケートボードが五輪の正式競技に採用された東京大会から2大会連続で男子ストリートの金メダルに輝いた。SLSには2017年から参戦し、翌18年に日本人として初優勝するなど数多くで表彰台に立っている。
スケートボードの映像作品「ビデオパート」にも力を入れる。国内外の街中で滑るストリート・スケート動画などを投稿。インスタグラムのフォロワーは215万人を超える。カルチャーの文脈でも評価を受ける、トップスケーターだ。
デッキのシグネチャーモデルはもちろん、NIKE SBから堀米モデルのスニーカーも発売されている。「HORIGOME」の名が冠されたこのシューズは、入手困難な一足になっていて、市場では「プレミアム価格」で売買されることもある。
東京都江東区出身。スケーターだった父の影響で6歳からスケートボードを始めた。
ストリート出身らしく、独創的なトリックが魅力。ランよりも一発勝負の「ベストトリック」が得意で、代表的なトリックは、昨年のSLS TOKYOで決めた「ユウトルネード」と呼ばれる「ノーリーバックサイド270ノーズスライド270アウト」や、パリ五輪で金メダルを獲得した「ノーリーバックサイド270テールブラントスライド」など。
どんなに苦境に立たされても、最後の「一発逆転」で幾度となく逆転勝利をつかんできた。
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五輪には東京、パリと2大会連続で出場。東京では予選で敗退したが、パリでは4位とメダルまであと一歩に迫った。
2021年のスケートボード・ストリート世界選手権で3位、23年に優勝。22年にはXゲームズ千葉大会で3位になるなど、国際大会で何度も上位に入っている。
神奈川県相模原市出身。親の影響で5歳からスケートボードを始めた。
派手な髪色や奔放な発言など、“軽い”イメージを持たれがちだが、地元愛が強く、後輩からも慕われている。地元近くの神奈川県寒川町の「THE PARK SAMUKAWA」では、自らが設計したスケートボードの練習施設があり、多くのスケーターが腕を磨いている。
幼いころから通ったショップ「ACT SB STORE」(相模原市)や相模原市中央区にある「小山公園スケートパーク」で練習を重ねていた。パリ五輪女子ストリートの金メダリスト、吉沢恋やSLS APEX2の優勝者、藤澤虹々可とも交流が深い。
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長髪を結ったヘアスタイルが特徴的な14歳。
2023年2月の世界選手権で3位に入り、同年のXゲームズ千葉大会では白井空良やナイジャ・ヒューストン(アメリカ)らを抑えて優勝した。
「スケートボード・ストリート世界選手権の最年少メダリスト」「Xゲームズスケートボード・ストリート最年少金メダリスト」という二つのギネス世界記録を保持している。
初出場となったパリ五輪では、熱中症のような症状に見舞われたこともあり、予選で敗退した。
小さな体で、大技を次々と決めるトリックが魅力。成功率が高く、「スケボー大国」日本でも、抜群の安定感を誇る。
スケーターとしては「Ginwoo」を名乗る。海外でも多くのファンに知られ、アメリカのラッパーLil Wayne&Rich The Kidの楽曲「Trust Fund」のミュージックビデオに出演したこともある。
インスタグラムのフォロワーは40万人超で、その中には世界的なポップスター、ジャスティン・ビーバーも名を連ねる。
名前の吟雲は「龍吟ずれば雲起こる」という言葉が由来。「龍がひとたび吟ずれば自然をも動かすように、悟りの開けた人になれ」という意味が込められているという。
将来の夢は「宇宙に行ってスケボーをすること」だ。
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パリ五輪女子ストリートで金メダルを獲得した15歳。
パリ五輪予選シリーズ(OQS)の第1戦で3位、第2戦で優勝し、強豪ひしめく日本代表の座をつかむと、一気に頂点まで駆け上がった「シンデレラガール」だ。
東京五輪で西矢椛の滑りを見て、自分ができる技と同じだったため、大会に出場し始めた。
ホームパークは、白井空良らが練習を重ねた相模原市中央区の「小山スケートパーク」で、白井の後輩にあたる。
五輪での活躍で、国内では一気にその名を知られることになったが、スケートボードのカルチャー面での経験は浅い。Xゲームズも今年9月の千葉大会が初出場。「自身のデッキブランドを持ちたい」と語る彼女にとっては、絶好のアピールの場となる舞台だ。
一度完成したトリックでも、何度も何度も反復練習をすることで生み出される安定感が最大の武器だ。さらに、大技「ビッグスピン・フリップボードスライド」でパリ五輪女子ストリートでの最高得点となる96.49点をマークするなど、勝負強さも兼ね備える。
一度ボードに乗れば、機械のような安定感で技を繰り出すが、素顔は「学校が大好き」と公言する普通の中学3年生だ。
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パリ五輪の女子ストリート銀メダリスト。宮城県仙台市出身の「女子高生スケーター」だ。
東京五輪直後の2021年日本選手権で初優勝。23年には世界選手権でも上位に入り、同年のXゲームズ・カリフォルニア大会で2位と「東京後の世代」をけん引してきた。
体とボードを180度回転させてレールに乗り、後方の車輪で滑って着地する「バーレーグラインド」を武器に戦っていた。だが、パリ五輪では、吉沢恋がトップにいたこともあり、ベストトリックでは果敢にバーレーグラインドよりもさらに難度の高い大技「フロントサイド・フィーブルグラインド・180アウト」で攻めた。結果的には、これを3本連続で失敗したが、それでも銀メダルを獲得するところに赤間のすごみがある。
両親の影響を受け、小学2年生でスケートボードを始めた。練習拠点の宮城県大崎市「ビーナッツスケートボードパーク」は、赤間の父が設計したものだ。
SLSではAPEX1でアメリカのポー・ピンソンらを破って初代女王に。毛先をブリーチした長髪が特徴的なガールズスケーターだ。
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スケートボードが正式競技に初めて採用された東京五輪女子ストリートの優勝者。大阪府松原市出身。兄の影響でスケートボードを始めた。
パリ五輪の出場こそ逃したものの、国内のコンテストシーンをけん引してきたのが西矢であることは間違いない。2019年のXゲームズ・ミネアポリス大会で銀メダルを獲得すると、21年の世界選手権でも銀に輝いた。22年にはデューツアーで初優勝し、Xゲームズ米国大会も優勝。SLSのスーパークラウン(年間王者決定戦)では21~23年と3年連続で表彰台に上がっている。
アディダスのキャンペーンでグローバルアンバサダーにも抜擢され、ビデオパートを精力的に撮影するなど、カルチャー色を強めており、“選手”から“スケーター”へと自身のスタイルを変えようと試みる。
代名詞の一つとなっている「Kグラインド・ノーリーヒールフリップアウト」は板の前輪の車軸を斜めにレールなどに掛けて滑り、デッキを裏表に一回転させて着地するトリック。女子ではできる選手が少ない高難度のトリックを先んじてものにするなど、高い技術とアイデアでけん引する。
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SLS APEX3の優勝者。ヒールフリップ系のトリックを武器に戦う、トップスケーターだ。静岡県出身で、東京五輪日本代表の青木勇貴斗と親交が深い。
7歳ごろからスケートボードを始め、2019年に若手スケーター登竜門の国際大会「タンパ・アマ」を制すなど頭角を現す。その後しばらくは雌伏の時が続いたが、コースへの対応力を上げたり、技の引き出しを増やしたりするなど地道な努力を続けて、成績も上向いた。23年に東京で行われた世界選手権ではかかとで板をはじいて跳び上がり、空中で裏表に一回転させる「ヒールフリップ」を駆使し、ランをトップで通過。優勝こそ白井空良に譲ったものの、堀米雄斗を抑えて2位に入った。
東京、パリと2大会連続で五輪出場を逃しているため、一般的な知名度は高いとは言えない。パリ五輪は、選考の基準となった世界ランキングの1~3位を日本勢が独占していたという事情もあり出場を逃した。だが、銅メダルを獲得したナイジャ・ヒューストン(アメリカ)が世界ランキング6位だったのに対し、根附は5位と実力は本物だ。
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2023年の世界女王。東京、パリと五輪は2大会連続で出場を逃したものの、金メダル候補として名前が上がり続けたガールズスケーターだ。今年2月に行われたSLSパリ大会は3位だった。
シグネチャートリックは板を裏表に回転させてレールに飛び乗り、後輪の車軸で滑り降りる「キックフリップ・フロントサイド・フィーブルグラインド」。2022年のSLSジャクソンビル大会でこの技を決め、女子としては大会史上最高得点の「9.4」をマーク。トップスケーターの仲間入りを果たした。
パリ五輪予選シリーズ(OQS)では第2戦では2位に入ったものの、第1戦での予選敗退が響いて、五輪出場を逃した。それでも、パリ五輪直後に開かれたSLS APEX3で優勝するなど、地力を示した。
多くの実績を挙げながら、世界選手権の他には主要タイトルを獲得していない。新たな歩みの第一歩がSLS TOKYO優勝であれば、これ以上ない再出発となる。
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パリ五輪の選考レースでは、上位争いに加われなかったため一般的な認知度は高くないが、実績、伸びしろとも十分。18歳の有望株だ。
2019年には13歳でXゲームズ・ミネアポリス大会のジュニア部門で優勝。22年にはスケボー界の登竜門「タンパ・アマ」を制し、同年のXゲームズ千葉大会では15歳で2位に入った。堀米雄斗も「これからドンドン上がってくる」と一目置く。
実際、昨年のSLS TOKYOでは、レジェンドのナイジャ・ヒューストン(アメリカ)を抑えて2位となった。今年9月のXゲームズ千葉大会では5位に終わったものの、予選では、これまでの大会では決められなかった「スイッチフロントフリップ」を成功させるなど、進化の一端を見せている。
今年のXゲームズ千葉大会では、最も好きだというスケーター、イショッド・ウェア(アメリカ)に憧れて、髪を編み込む「コーンロウ」姿を初めて披露したが、自己評価は「かゆいし、風が(地肌に)当たって寒い」と、辛めだった。滑りでも、ファッションでも、自己ベストを試行錯誤しながら求めている。
Japanese Skater
2021年東京五輪の銅メダリスト、今年のパリ五輪は7位。
代名詞は、前方のトラックを斜めにかけてレールを滑る「フロントサイドKグラインド(フロントK)」だ。
パリ五輪ではメダル圏内の3位でランを終え、ベストトリックでは5本連続でフロントKに挑戦。1本も決められずにメダルを逃した。ただ、難易度の高い自身のキラートリックにこだわり抜いた姿は、多くのスケボーファンの心を揺さぶった。
10月のSLSシドニー大会では3位に入り、五輪メダリストの意地と実力を見せた。
アメリカを代表するスケートボード専門誌「THRASHER」の表紙を飾ったこともある。これは、堀米雄斗に続いて日本人2人目、女子では初の快挙だ。
強気な滑りが観客を魅了するが、内心は「とても緊張している」そう。試合では、お気に入りの声優ラジオを聴き、リラックスしているという。
早稲田大学スポーツ科学部に今年から通い始めた「女子大生」でもある。
入学式では報道陣に対して「緊張と不安がある。スケボーの先輩で大学に行っている人を知らないので……」。ティーンエージャーらしい初々しさも見せていた。
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世界最高のスケーターと言われる。SLSはスーパークラウン(年間王者を決める最終戦)を含め、幾度となく頂点に立ち、2011年のSLSシアトル大会で「バックサイド270・ノーズブラント」を決め、大会史上最高得点の「9.9」という得点をたたき出した。
1994年、アメリカ・カリフォルニア州生まれ。父親の影響で兄弟と共にスケートボードを始めた。幼くして「天才」と呼ばれ、7歳でスケートボードブランド「エレメント・スケートボード」とスポンサー契約。2005年には若手の登竜門とされる国際大会「タンパ・アマ」で優勝した。2010年から始まったSLSでも優勝し、Xゲームズでは23個のメダルを獲得するなど、トップスケーターとして君臨している。
10代のころは細身にドレッドヘアがトレードマークだったが、近年は筋骨隆々とした体躯に短髪、全身に入ったタトゥーで知られている。
インスタグラムのフォロワーは530万人超。祖母が日本人で、親日家としても知られる。
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オーストラリアのプロスケーター。
SLS、世界選手権、タンパプロ、Xゲームズと4大スケートボード大会を制したスケーターとして知られる。ボードコントロールに優れ、並み居るスケーターの中でも図抜けたテクニックを持つと評価を受けている。2013年のSLSポートランド大会では、ナイジャ・ヒューストンが2011年大会でマークした9.9点と並ぶ大会史上最高得点をマークした。
オーストラリアはスケートボードの盛んな国として知られる。パリオリンピックでは男子パークでキーガン・パーマーが、女子パークはアリサ・トルーが優勝。女子ストリートでは、クロエ・コベルがメダルの有力候補として挙げられていた。そんなオーストラリアのスケートボードシーンをリードしてきたのが、オニールだ。2020年には、オーストラリア人として初めてシグネチャーシューズを発売した。
現役選手でありながら、他選手の才能を見抜く審美眼に優れる。自身が立ち上げたスケートボードブランド「エイプリル」のチームに、堀米雄斗やライッサ・レアウをスカウトした。経営者としてもすぐれた手腕を発揮している。
Japanese Skater
16歳のブラジル人スケーター。オリンピックには女子ストリートで東京、パリ大会とも出場し、東京は銀、パリは銅メダルを獲得した。
2個のメダルを持つのは、この種目ではレアウだけだ。
デジタルネイティブ世代らしく、彼女を一躍有名にしたのは、7歳の時に投稿されたインスタグラムの一本の動画だった。3段の階段を「キックフリップ」で飛び降りる姿があっという間に世界中に拡散した。この時に着用していた衣装が、妖精を模したものだったため、「妖精」という異名を取るようになった。
2019年、SLSロサンゼルス大会で優勝して注目を集めると、21年の東京五輪で銀メダルを獲得して大ブレイク。22年にスケートブランド「エイプリル」と契約してプロとなると、この年と23年のSLSのスーパークラウン(年間王者を決める最終戦)に。選手の盛衰が激しいストリート女子にあって、高レベルのパフォーマンスを発揮し続けている。
競技者としてのレベルの高さはもちろんのこと、ファッション性や愛らしい表情も高い人気を集める。インスタグラムのフォロワーは930万人超。女子では珍しく、NIKEからシグネチャーシューズも発売されるなど、スケートボードの枠を超えたスターだ。
Japanese Skater
高難度のトリックを正確に決める14歳。「東京五輪後」に台頭してきた世代の筆頭株だ。パリオリンピックでは、本来の力とはほど遠いパフォーマンスで8位にとどまったが、優勝候補には常に名前が挙がっていた。
スケートボードを始めたのは6歳のころ。テレビでXゲームズに出場したナイジャ・ヒューストンの姿を見たのがきっかけだった。
2022年のXゲームズ千葉大会で3位、23年に世界選手権で2位、Xゲームズ・ベンチュラ大会で優勝、SLSシドニー大会優勝と破竹の勢いがあった。
「東京オリンピックは学校を早退してテレビで見た」と振り返る陽気な性格で、いつも笑顔を絶やさない。日本人選手には覚えたての日本語を使って笑顔で話しかけまくるという逸話もあり、彼女の周りにはいつも人がいる。
コベルは華奢だが、父・ルークさんはオーストラリアのプロラグビーリーグ「NRL」の元選手。計153試合に出場した実力者だ。クロエの海外渡航の大半には付き添っているという。