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まず配備ありきで、活用方法の検討は二の次というのなら、見切り発車と言わざるを得ない。
政府が2023年度までに、全国の小中学校で1人につき1台のパソコン(PC)などの情報端末を配備する方針を決めた。「3人に1台」の配備を目指していた文部科学省の計画を一気に加速させる。
1人当たり4万5000円を国が負担し、学校に超高速の通信環境を整える費用も半額補助する。総事業費は4000億円を超える巨額投資だ。経済対策の狙いも含まれているという。
デジタル社会の到来で、情報端末を扱う基本技能の習得は大切だ。20年度以降、コンピューターのプログラミング教育が必修化される。家庭の経済状況にかかわらず、子供たちがPCに親しむ機会を確保する意味はあるだろう。
問題は、配備されるPCを使ってどのような授業をするのかが、見えていないことである。1人に1台が本当に必要なのか。
子供の学力に応じて、それぞれのPCに難易度の異なる問題を出せば、個別に最適化された学習ができると、文科省は説明する。仮にそんな授業を行うのなら、教員にかなりの指導力が要る。
PCを授業で使いこなせる教員は7割にとどまるとの調査結果がある。文科省は、教員の役割や指導力の向上策を検討するとしているが、何とも心もとない。
2年半前、独自にPCを全ての児童生徒に配備した東京都渋谷区では、端末操作などを教える支援員を学校に派遣している。こうしたサポート態勢を全ての自治体が整えられるかは疑問が残る。
そもそも、PCの活用が、従来の学校教育を大きく変える可能性があることに注意が必要だ。
子供がPCに向き合う時間が増えるほど、先生との対話や、授業のポイントをノートに自分の手で書く時間は減る恐れがある。
早い時期から、PCでドリルの反復練習をしていると、長い文章をじっくり読んで意味を考えることがおろそかになりかねない。PC学習では読解力は身に付かないと指摘する専門家もいる。
PCの使い方次第では、かえって子供たちにマイナスの影響を与えることにならないか。配備されたPCを使うこと自体が目的化すれば、本末転倒である。
学校現場が目的意識をきちんと持って、適切にPCを活用しない限り、巨額の投資は無駄になる。そのことを文科省も教育委員会も肝に銘じてもらいたい。