微弱な無線通信用電波からの環境発電をスピントロニクスで実現
微弱な無線通信用電波からの環境発電をスピントロニクスで実現
発表のポイント
- Wi-FiやBluetoothなどで用いられる微弱な通信用電波から電力を生み出す環境発電(注1)技術をスピントロニクス(注2)の原理を用いて実現しました。
- -27 dBmの強度の電波で発電して市販の温度センサーを駆動することに成功しました。
- IoT社会の進展を促進する電池や電源を必要としないエッジ端末(注3)への応用が期待されます。
概要
私たちの身の回りにはWi-FiやBluetoothなど通信用電波が飛び交っています。これらの電波が運ぶエネルギーから効率的に発電できれば、電池や電源が無くても永続的に動く電子機器を実現でき、IoT(モノのインターネット)技術の普及範囲を飛躍的に拡大するものと期待されます。しかし一般に通信用電波の強度は-20 dBm以下と極めて弱く、現時点でそのような電波強度で電子機器を駆動するのに十分な電力を生み出す技術は存在しません。
今回、東北大学電気通信研究所の深見俊輔教授と先端スピントロニクス研究開発センターの大野英男教授らは、シンガポール国立大学のヤン・ヒョンス(Hyunsoo Yang)教授らと共同で、スピントロニクス技術に基づくナノスケールの「スピン整流器」を開発し、微弱な通信用電波で高効率に電力を生み出す原理実証実験に成功しました。具体的には、10個のスピン整流器を直列接続し、-50 dBm程度の極めて微弱な高周波入力信号からの34,500 mV/mWの効率での直流電圧への変換を達成し、また-27 dBmの強度の電波からの発電による市販の温度センサーの駆動に成功しました。同チームは2021年に0 dBmの強度の電波で発光ダイオード(LED)を点灯させることに成功しましたが、今回はこの時と比較して必要な電波の強度が約3桁低減しています。
今後、単体の素子での変換効率の更なる向上と、素子の大規模な集積化に取り組むことで、社会実装に向けた視界が開けていくものと期待されます。
本研究成果は、2024年7月24日に科学誌Nature Electronicsに掲載されました。
詳細な説明
研究の背景
IoT(モノのインターネット)社会では、身の回りに無数のセンサーやプロセッサーなどのエッジ端末が配置され、これらを通して社会活動・インフラ(交通、生産、物流、災害対策など)が効率化されていくことが期待されます。ここで障壁となるのが、端末への電源の供給や電池の寿命・交換です。「環境発電」技術が進展すればこうした電源や電池の問題は解消され、IoT技術の普及範囲を飛躍的に拡大できるものと期待されます。
Wi-FiやBluetoothなどの我々が普段利用している無線通信技術は、データの送受信に高周波(RF)の電波を利用しています。この電波は常時放出されており、スマートフォンなどの電子機器によって利用されていない時は、そのエネルギーは捨てられ続けています。従って、この電波から発電してエッジ端末を駆動する環境発電技術が実現できれば、上述のIoT技術の進展を促進する重要なカードの一つとなり得ます(図1)。
しかし一般に無線通信で用いられている電波の強度は極めて小さく(-20 dBm = 10 µW以下)、このような微弱な電波から大きな電力を取り出すのは容易ではありません。RF電波から直流(DC)電力を生み出す代表的な技術としてショットキーダイオードが挙げられます。この技術は-10 dBm(= 100 µW)以上の強い電波では1,000~10,000 mV/mW程度の電力・電圧変換効率を示しますが、微弱な領域では熱暴走という物理現象により効率が著しく低下し、利用が困難です。また、電波の受信専用の大型アンテナを設ければ原理的には大きな電力を取り出すことができますが、これはコストやサイズの観点からエッジでの利用には不向きです。
今回の取り組み
今回、東北大学電気通信研究所の深見俊輔教授と先端スピントロニクス研究開発センターの大野英男教授、及びシンガポール国立大学のヤン・ヒョンス(Hyunsoo Yang)教授、イタリア・メッシーナ大学のフィノッキオ・ジョバンニ(Giovanni Finocchio)教授らからなる共同研究チームは、微弱なRF電波から効率的にDC電圧を取り出すことのできるナノスケールの「スピン整流器」を開発しました。
開発したスピン整流器の模式図と実際に作製した素子の電子顕微鏡写真が図2 (a)に示されています。スピン整流器は現在商用化されている磁気抵抗ランダムアクセスメモリ(MRAM)(注4)で用いられるCoFeB(コバルト・鉄・ホウ素)とMgO(酸化マグネシウム)からなる磁気トンネル接合で構成されます。磁気トンネル接合の形状、磁気異方性、トンネル障壁の特性などを高いRF-DC変換効率が得られるように設計しました。そして作製した素子において、図2 (b)に示されるような以下の特性を達成しました。
- 単体のスピン整流素子にて、-62 dBm(630 pW)から-20 dBm(10 µW)のRF入力に対して、10,000 mV/mW程度の効率でのDC電圧生成
- 直列接続された10個のスピン整流素子にて、-50 dBm(10 nW)のRF入力に対して、34,500 mV/mWの効率でのDC電圧生成
そして、これらの開発技術に基づき、10個の直列接続されたスピン整流素子を用いて、-27 dBm(2.0 µW)の強度の電波からの発電により市販の温度センサーを駆動する環境発電の原理実証実験に成功しました(図2 (c))。
また研究チームは実験結果と数値計算の比較から、今回得られた優れた特性が、電圧によって磁気異方性が変化する現象(Voltage-controlled magnetic anisotropy)を介した自己パラメトリック励起(注5)に由来していることを明らかにしました。
なおこの東北大学とシンガポール国立大学の研究者からなる研究チームは、過去に同様な原理を用いて0 dBm(1 mW)の電波を用いて発光ダイオードを点灯させる原理実証実験にも成功していました(参考文献1)。今回の成果は、この時と比べて素子の特性や配線方法、および電圧による磁気異方性の変化を介した自己パラメトリック励起などを利用することでより微弱な電波で効率的にDC電圧が生成されるように工夫がなされています。これにより約3桁小さな強度の電波から電子機器の駆動に必要な電力を取り出すことに成功しました。
今後の展開
研究チームは今後、単体素子レベルでの更なるRF-DC変換効率の向上、オンチップアンテナとの集積化、及び素子の直列・並列接続の併用による大出力化に取り組むことを計画しています。これらを通して、当技術の社会実装に向けた視界がより一層具体的な形で開けていくものと期待されます。
図1. 無線通信用の高周波(RF)信号を用いた環境発電の模式図。RF信号は通常はPCやスマートフォンなどの無線通信機能付きの電子機器で利用されているが、それ以外の部分を用いて発電を行い、温度センサーや小型カメラなどのエッジ端末を駆動することで、IoT(モノのインターネット)社会のより一層の発展を促進できるものと期待される。
図2. (a) 作製したスピン整流器の模式図と走査型電子顕微鏡(SEM)写真。高周波(RF)電気信号に磁気トンネル接合を構成する磁性層の磁化が共鳴して歳差運動することで直流(DC)電圧が発生する現象を用いている。(b) 作製したスピン整流器の電力・電圧変換効率の入力電圧依存性。比較として市販のショットキーダイオードの値も示している。微弱な電波領域(破線で囲った領域)においてスピン整流器がショットキーダイオードの特性を上回っている。 (c) 環境発電の模擬実験の様子。スピン整流器が微弱な高周波RF電波から生成した直流(DC)電圧を用いて市販の温度センサーを駆動するよう設計されている。マルチメーターにてスピン整流器から24.1 mVの電圧出力が得られていること、温度計が実験実施時の室温の23.4℃を示していることが確認できる。
参考文献
- 東北大学2021年5月19日付プレスリリース『Wi-Fiの電波で発電するスピントロニクス技術を開発』
謝辞
本研究は日本学術振興会科学研究費助成事業(JP24H00039、JP24H02235)、文部科学省次世代X-NICS半導体創生拠点形成事業(JPJ011438)などの支援の下で行われました。
用語解説
- 注1. 環境発電
- 周囲に存在する自然エネルギーや不要エネルギーを収集し、電力として利用する技術のこと。例えば、太陽光、風力、振動、熱、高周波電気信号などのエネルギーを変換して電力を得ることができる。この技術は、電池の交換が困難な場所や、小型デバイスの長寿命化に役立ち、持続可能なエネルギー利用を推進する。
- 注2. スピントロニクス
- 物質中の電子が持つ、電気的な性質(電荷)と磁気的な性質(スピン)が協調することによって発現する現象を理解し、工学的な応用を目指す学問分野。特に、磁性体のスピンの向き(上・下)を情報(0,1)の担い手として制御する、磁気抵抗ランダムアクセスメモリ(MRAM)や磁気センサー等への応用が代表的。
- 注3. エッジ端末
- 情報の集中処理を行うクラウドに対して、情報ネットワークの実社会側の末端(エッジ)に配置されるセンサーやプロセッサー。実社会とのインターフェースの役割を担い、情報の収集や処理、分析を現場で行う。スマートスピーカー、セキュリティカメラ、温度や照度、機械の動作の状況などを検出するセンサーなどが含まれる。
- 注4. 磁気抵抗ランダムアクセスメモリ(MRAM)
- Magnetoresistive Random Access Memory。データを磁気トンネル接合の磁化方向で記録・保持する不揮発性メモリ。従来のDRAMやSRAMと異なり、電源を切ってもデータが消えない不揮発性を有し、DRAMやSRAMに匹敵する高速な読み書き特性や耐久性、低電圧動作特性などを有する。2006年頃から商用化が開始されている。2018年から製品投入された垂直磁化容易軸を有する磁気トンネル接合からなるMRAMの市場規模は年々拡大しており、現在スマートウォッチなどで利用されている。
- 注5. パラメトリック励起
- システムのパラメータ(例えば、振動子のばね定数や回路のインダクタンスなど)を時間的に変化させることで、システムの振動や応答を増幅する現象。本研究では、RF電波による磁化の振動と同期して、磁性層の磁気異方性が変化することで、磁化の振動が増幅されているものと考察されている。
論文情報
タイトル: | “Nanoscale spin rectifiers for harvesting ambient radiofrequency energy” (無線通信信号を用いた環境発電のためのナノスケールスピン整流器) |
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著者: | Raghav Sharma, Tung Ngo, Eleonora Raimondo, Anna Giordano, Junta Igarashi, Butsurin Jinnai, Shishun Zhao, Jiayu Lei, Yong-Xin Guo, Giovanni Finocchio, Shunsuke Fukami, Hideo Ohno and Hyunsoo Yang |
掲載誌: | Nature Electronics |
DOI: | 10.1038/s41928-024-01212-1 |
問い合わせ先
研究に関すること
東北大学電気通信研究所
(兼)東北大学先端スピントロニクス研究開発センター (CSIS)
(兼)東北大学国際集積エレクトロニクス研究開発センター (CIES)
(兼)東北大学材料科学高等研究所 (WPI-AIMR)
(兼)稲盛科学研究機構 (InaRIS)
教授 深見 俊輔(研究者プロフィール)
Tel: | 022-217-5555 |
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報道に関すること
東北大学電気通信研究所 総務係
Tel: | 022-217-5420 |
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