第14回:標識一つにも、心を込めよう
2010.10.11 ニッポン自動車生態系第14回:標識一つにも、心を込めよう
最悪の道路案内標識
私は40年にわたって、日本の道路案内標識について苦言を呈してきた。特にドライバーにとって、あまりにも不親切なのである。
まずこの写真を見ていただきたい(左写真1枚目)。これは地方から東名高速で東京(用賀)に来て、首都高速に乗らず、最初の幹道、環八から都内に入る手前、世田谷区瀬田の交差点にある標識である。つまり地方から来た人が、都心に向かうにはどうすればいいのか、あるいは都内を回避するにはどう行けばいいのか、真っ先に判断する場所にある標識である。
それがどうだろう? 直進:田園調布、等々力、左折:上馬、右折:溝の口の文字。後は246号線玉川通りと311号線の案内だけである。
初めて東京に来て、首都高が渋滞で降りて環八に入り、さて銀座方面に行こうとか、東京を抜けて千葉方面を目指そうとしたドライバーは、これで何が分かるのだろうか? ともかく、信じられないぐらい不親切な案内標識である。初めて地方から来る人の何割が等々力という名前と場所を知っているだろうか? 上馬が都心に向かっていることを知っている人は、何人いるのだろうか? 右の溝の口というのは何なのか判断できるだろうか? いや都内に住んでいても、環八は知っていても、311号線なんて聞いたことない人が大半のはずだ。
どうしてこんな標識が作られたのか理解できない。百歩譲って、この表現を残しても、これに各方面を、もっと大きな文字で加えられないのか。直進:横浜方面、右:神奈川県県境方面、左:都心方面、それを書けばいい。いやそうしなければいけないのだ。
標識は誰のためにあるのだろうか。交通行政の役人のためにあるのではなくて、それを使い、それに頼る、使用者のためにあるのだ。
世界中、大抵の町に行けば、必ず町の中心を示す文字が標識に入っている。Center, Centrum, Centro, Stadmitteなどなど、中央を示す文字は必ずある。場所によっては多重円のようなマークも一緒について、文字が読めなくても見当がつくようになっている。大半の旅行者は、だいたい町の中に用があるのだから、それを頼りにしていけば、見当がつく。
ともかく日本の道路案内表式は不親切なのである。それを見る人に対する思いやりというものが一切無いのだ。昔から担当のお役人は何人も何度も海外視察と称して、こういうものを見に行ったのに、一体全体なにをしていたのだろうか?
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2400km、一度たりとも迷わなかったわけ
話は変わる。2回の四国遍路、約2400kmを歩く間、私たちは一度として道を間違ったり、迷ったりしなかった。ちょっとだけ行きすぎて数m戻ったり、地図を見ながら、しばらく頭をひねったりしたことはある。予約した宿泊施設が見つかりにくかったこともある。でも基本の遍路道に関しては、一度たりとも大きな間違いをすることなしに、無事に二度とも歩き通せた。
実は歩き遍路の道は、ものすごく複雑である。1000年以上の歴史を経ているから、変化したところも消えたところもあるし、近年になって自動車道路も加えられた結果、数kmの間に4つも5つも選択ルートがあるところもあるし、特に歩き専用路は、田んぼのあぜ道や、一般家屋の間に残った、猫道のような狭いところを通る場所も多い。また峠道や山道が多いから、一歩間違えたら危険でもある。
そんな複雑なルートで合計2400kmの間、基本的に大きな間違いや迷い道をしないで済んだ理由、それは素晴らしい専門の地図と、素晴らしい案内標識があったからだ。それなしには、私たちも、他の遍路も、この地をきちんと歩けなかったろう。
しかもその地図も標識もお役人が考えて作ったものではない。遍路道の歴史を大事にし、今でもそこを歩く人たちの便宜や安全を祈って、NPOというか、ほとんどボランティアで活動する人々や団体が用意してくれているものなのである。
そういう人たちに支えられているというところに、四国遍路の大きな価値と意味がある。
へんろみち保存協会の地図はバイブル
「へんろみち保存協会」という団体がある。これは、愛媛県松山市の宮崎建樹さんというかたが主宰している一種のNPOである。ご自身歩き遍路を経験した宮崎さんは、ともかく一番大切なのは、歩く人のためにきちんとした案内書と地図を作るということと考え、1990年に「四国遍路ひとり歩き同行二人」という2冊セットの本を作り出した。一つは「地図編」であり、もう一つは歩く人のための懇切丁寧なガイドブックたる「解説編」である。
これは、今や歩き遍路のバイブルとなっており、歩く人の必需品である。特に地図編は、宮崎さんとそのお仲間が、100m単位に至るまで正確な歩行距離を測定し、また古い記録や地元に残っている資料をもとに、昔の遍路道まで克明に記述し、札所から札所まで、ともかく無事に歩けるように徹底的に編集されている。
そこに出ている情報は道だけではない。遍路を受け入れる専用宿、宿坊、民宿、旅館、ホテル、公共の宿など、すべての宿泊施設とそこまでの距離が出ている。もちろん住所も電話番号も併記されている。あるいは途中の食事のできるところや休憩場所、トイレ、コンビニなど、必要な情報がすべて網羅されている。しかも年々変化する状況に合わせて改訂版を重ね、現在では9版が発行されるに至っている。
解説編をよく読んで、遍路の知識や旅支度を知った後、この地図を携えて歩き出すなら、きちんと使いこなしさえすれば、誰もが大きな間違いをすることなく、無事に歩き通すことができるのだ。
四国を歩く遍路は、皆、この黄色い表紙の地図本を大事にかかえて移動している。
優しさや愛情が遍路を導く
保存協会の素晴らしいのは、この地図を発行しているだけではなく、遍路道各所に、歩き遍路が間違わないように案内表式や案内札、表示、看板、ステッカー、ペイントなどを数多く、道中に用意していてくれているところである。
一体その数はいくつになるか見当もつかないが、ともかく道のあちこちに、曲がり角や、田んぼのあぜ道、林道や山の中に、無数に立てられ、吊り下げられ、貼られている。
道を間違えているのではないかと不安になっているとき、雨風にたたられて一刻も先を急ぎたいのに、皆目方向の検討がつかないとき、やぶの中や電信柱にその案内札を発見したときの安心と喜びは、本当に表現できないほどありがたい。本当につらいとき、心底で不安を抱えて歩いているときには、その独特の案内マークが見つかると、思わず涙が出ることさえあるのだ。
うれしいのは、この運動に賛同して、この協会以外の個人や団体が協力して、どんどん案内板や標識を増やしてくださっていることである。また厳しい山道や峠道には、不安を抱えて歩く遍路を励ます言葉が書かれた札や布があちこちに用意されている。そういう人たちの愛情と支援に支えられて、私たちは歩かせてもらっているのである。
標識や案内というのは、迷っている人を導くためにあるものである。だからこそ、その表現一つにも、裏にはそれに頼るであろう人たちに対する優しさや愛情が何よりも必要なのだ。
官製の道路標識にも、もう少しぐらい、人間に対する思いやりがあってもいいはずなのだ。
(文と写真=大川悠)
大川 悠
1944年生まれ。自動車専門誌『CAR GRAPHIC』編集部に在籍後、自動車専門誌『NAVI』を編集長として創刊。『webCG』の立ち上げにも関わった。現在は隠居生活の傍ら、クルマや建築、都市、デザインなどの雑文書きを楽しんでいる。
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