11月3日はタワーレコード渋谷店地下のCUTUP STUDIOで面影ラッキーホールのライブ。
Only Love Hurtsにバンド名を改名して、2018年頃までは割とライブを開催していたのですが、2019年11月のライブを最後に、フロントマンaCKyの難聴とかバンドメンバーの急逝とかコロナとかいろいろあって、その後ぱったりと活動の話を聞かなくなり。
それがこの8月、インディーズ期の1stアルバム「メロ」のアナログ再発のニュースが入ってきて、それは、と思っていたんですが、9月11日の仕事中に友人からLINEからDMからSMSまで、ありとあらゆるツールでもって連絡が入りました。
「11月3日、『メロ』再現ライブ開催決定」。
5年ぶり、しかも「メロ」の再現。ドキドキしながら昼休みにチケット押さえたのですが、夕方には完売。ギリギリセーフ。ありがとう友。
「メロ」は特別なアルバムなんです。
思春期の頃は洋楽聴いたりインディーズ聴いたりするたびに「衝撃」的なものを受けまくり、それでもって音楽を聴き続けていたわけですが、さすがに20歳を過ぎる頃にはさほど衝撃を受ける音も少なくなってきて。
そんな中の1996年、雑誌のレビューか何かで見て気になって購入した「メロ」が、当時の自分にとって最大級の衝撃だったわけです。
ブラックミュージックの影響下にあることはわかるけれど、歌謡曲的な俗っぽさが必要以上に漂ってくる楽曲と、「文学的」と言うにはあまりにも下卑た、でも異様なリアリティをもって迫ってくる歌詞。
ライブ観たかったのですが、当時さほど頻繁にライブを行っているでもなく、そもそもネットもほとんどなくインディーズのライブ予定なんかは気合いでアンテナ張っていないと拾えない時代、結局行けずじまいのまま2000年頃から「ほぼ活動休止」期に突入。
やっと初めて観られた彼らのライブは2007年4月の青山CAY、ブレイク前のPerfumeとの対バン。
後に畑中葉子やリリーズと対バンを行う、その萌芽はここにあると思います。恐らく多分に「邪気」を含んだヤツ。
それ以降は行けるライブには行く、くらいの気持ちで結構な頻度で通っていましたが、そんなことで5年も間が空いてしまいました。
ライブ開始、テーマソング的な「こんなかっこいいバンドみたことない 」の後、アルバム曲順通りに「今夜、巣鴨で」の演奏開始。
何か違う。
今回のライブではバンドのメンバーも可能な限り1996年の「メロ」録音メンバーに寄せた結果というのもあるのでしょうが、微妙に鳴りの悪いPA、嘘しか言わないMC、「あんなに反対してたお義父さんにビールをつがれて」という、具体的にヤバいストーリーを持つ歌詞の中の「二十歳でみっつの子供がいる」の部分で、オーディエンスに手を左右に振らせているaCKyを見ながら気が付いた。
当時のライブの空気まで含めての完全再現。確かに自分が観ていたライブの初期にもあった「邪気」、もっと言ってしまえば全方位的な「悪意」がここにはある。
持ち曲が増加して、2009年に深夜ドラマの主題歌を担当して以降は、明らかにライブの客層がそれまでと違ってきて、ライブの空気感も徐々に変わっていったのですが、ここではそれ以前のもっと「悪い空気」まで再現しようとしている。
もう楽しいんだか楽しくないんだかさっぱりわからない。
ただ、ずっとドキドキはしている。
そしてアルバムの実質本編ラストの「ラヴ ボランティア」。
「メロ」というアルバムは、その後収録曲のほとんどがその後のアルバムで再演の形で収録されているのですが、「ラヴ ボランティア」だけは再収録はおろかその後割と観ていたライブでも、自分が観た中では一切演奏されることのなかった曲。2006年頃までは多少やっていたみたいですが。
理由はわかる。
具体的なストーリーで紡ぐ歌詞が多い彼らの歌詞ですが、「ラヴ ボランティア」はこのテーマで具体的なストーリーとして描いてしまうとあまりにもアウト過ぎるが故か、この曲だけは観念的なフレーズを繋ぐ形の歌詞になっていて、それでもギリギリすぎる表現なので。
それでも、そういう観念的な表現を多分に含んだこの曲が実質アルバムのラストに置かれていることで、そこまでのストーリー的な歌詞表現の本質をおよそ回収するような流れになっていて、その部分でもって「メロ」は名作たりえるわけで。
そんな「ラヴ ボランティア」は、ライブで音源以上のエモーションとダイナミズムでもって聴くと、これはもうハードコア。重く鋭い。真剣に聴いていたら圧し潰されそうになる。
だからこそ、曲が増え、それなりに「アゲ曲」も揃ってきた段階で、この曲はセットリストから外されていったというのも、何となく理解できるのです。
そんな「ラヴ ボランティア」で本編終了。
アンコールは「好きな男の名前腕にコンパスの針でかいた」の別Ver.と「メロ」にボーナストラック的に収録されている「東京(じゃ)ナイトクラブ(は)」、そして初期の最強アッパーナンバー「俺のせいで甲子園に行けなかった」まで持ち出して、きちんと通常のライブ的な盛り上がりにして終了。
「1980年代のインディーズ」的なあの感じを引きずりながら世に出てきたバンドが、約30年を経て、当時の匂いを少しだけですが発したライブだったような気がしました。
とはいえ、自分は1980年代のインディーズ、ライブはほんの少ししか齧ってないので、気のせいかもしれません。たぶん気のせい。