BEAUTY / EXPERT

アンドレア・ぺジック、世界一美しい元祖トランスジェンダースーパーモデルの美の変遷と偉大なる軌跡

2011年、“アンドロジナスモデル”として世界にセンセーションを巻き起こし、2013年に“トランス女性モデル”へと華麗なる変身を遂げた元祖トランスジェンダースーパーモデルのアンドレア・ぺジック。2015年にはトランス女性として初めてメジャービューティーブランドの“顔”に抜擢されるという偉業を成し遂げた。トランスジェンダーモデル・俳優のパイオニアである彼女が築き上げた偉大なる軌跡を、プライドマンスに振り返る。
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Actress and model Andreja Pejic poses during the red carpet of the movie "The Girl in the Spider's Web", at the 13th edition of the Rome Film Fest, Wednesday, Oct. 24, 2018. (Photo by Massimo Valicchia/NurPhoto via Getty Images)NurPhoto/Getty Images

「私がビューティーの仕事で得た最高のメイクの秘策は、とにかく“輪郭をはっきりとりすぎないこと”。あまり輪郭がくっきりしてしまうと、フレッシュさが欠けてしまいます。そして、私がレッドカーペットなどここぞ、というときに持ち歩いているのが、メイクアップフォーエバー(MAKE UP FOR EVER)の『ウルトラHDリップブースター』。憧れの俳優とばったり会った時に困らないようにね(笑)。みずみずしくデューイーなリップメイクに欠かせないアイテムであり、私のお守りでもあります」

2020年、アメリカのオンラインメディア「Byrdie」のインタビューで、自身のビューティーの切り札についてこう明かしたアンドレア・ぺジック。「世界一美しいトランスジェンダーモデル」「世界で最も認知されているトランスジェンダー」と謳われる彼女は、1991年、セルビア人の父ヴラドと母ヤドランカの間にボスニア・ヘルツェゴヴィナのトゥズラに生まれ育った。しかし、彼女の出生直後に両親は離婚、さらにその直後のボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争が勃発したことから、母と兄イゴールともに難民キャンプに逃れ、その後2000年にオーストラリア・メルボルンへと移住した。そんな彼女の人生は、16歳の時にメルボルンのマクドナルドでレジ打ちのアルバイトをしていたときに名門モデルエージェンシーから声がかかったことで一変した。

時代の寵児、アンドロジナスモデル

「マクドナルドにとある人が入ってきて、レジにいた私に名刺を差し出し『モデルにならないか』と言ってきたのです。半信半疑だった私は、帰宅してからそのエージェンシーを調べました。すると、合法的な会社だったことが分かってほっとしたのを覚えています(笑)。その後ニューヨークに引っ越してから『VOGUE』などのさまざまなメディアにモデル出演するようになり、私の人生は180度変わりました。そして、この仕事をこなせばこなすほど気づいたことがあります。モデル業とは単なるキャリアではなく、私の影響力で社会に変化をもたらすカルチャームーブメントを起こせると実感したのです」

ジャンポール・ゴルチエ 2011年春夏オートクチュールコレクションより。Photo: Yannis Vlamos / GoRunway.com

ジャンポール・ゴルチエ 2011-12年秋冬メンズコレクションより。Photo: Yannis Vlamos / GoRunway.com

Photo: Luca Cannonieri / GoRunway.com

アメリカのオンラインメディア「Into The Gloss」で駆け出しの頃のことをこう振り返ったアンドレア。スカウトされた当時は、出生名の“アンドレイ”という男性名を名乗っていた。そしてデビュー後、2011年1月のパリ・コレクションのジャンポール・ゴルチエ(JEAN-PAUL GAULTIER)のメンズとレディースの両方のランウェイに、マーク バイ マーク・ジェイコブス(MARC BY MARC JACOBS)の広告にはメンズモデルとして登場。史上初の両性ファッションをこなすアンドロジナスモデルとして鮮烈なデビューを果たし、ジェンダーの新たな視点を目の当たりにした世界から一気に注目を集めた彼女は、一躍時代の寵児となった。

性別適合手術を経てアンドレイから、アンドレアへ

しかし一方で、“アンドロジナス”的な扱いには辟易していた、とも語る彼女は、自身が10代に対峙した性自認と周囲とのギャップについて、こんな風に明かしている。

「ティーンの頃の私は、プラットフォームブーツに、バンドTシャツ、そしてメイクは濃いアイライナー、ブラックのネイル、そしてピンクの髪という“ネオパンク”スタイルが定番。モデルを始めるずっと前からメイクとファッションには敏感で、私はそれが普通だと思っていました。ですが、周囲から『女の子みたい』とか『女の子のように見える男の子』と言われるとひどく混乱したことを覚えています。私の性自認が周囲と違うから、何か異質なものとして扱われているのではないかとひどく居心地の悪さを感じていました」

そんな彼女は、身体と心の性を一致させるため、2013年末に性別適合手術に踏み切った。続く2014年9月には、クラウドファンディングプラットフォームKickstarterで、自らの性別適合手術と女性としての人生についての映画を制作する計画を発表し、資金を募った。目標額を40,000ドルでスタートしたところ、最終的にはこの金額をはるかに上回る資金が集まったことから、エリック・ミクレット監督を迎えて映画『Andrej(a): The Documentary』を制作。幼少期から手術後までの一部始終を追ったこのドキュメンタリー映画は、公開と同時に大きな話題となった。

2016-17年秋冬コレクションのフロントロウで。アンドレアの輝かしいキャリアを語るに欠かせない、ジャン=ポール・ゴルチエの存在。

Foc Kan

「幼い頃から、自分が女性的なものを好む傾向にありましたが、その理由はわかりませんでした。でも成長するにつれ、私にはゲイかストレートかの二択しかないことを知り、“普通”になろうと努力したことも。ですが、その後インターネットでトランスジェンダーのコミュニティがあることを知った時、私の人生は変わったのです」と、US版『VOGUE』のインタビューの中で明かしている。

史上最も成功したトランスジェンダーモデル

2022年トロント国際映画祭でのアンドレア。

Sonia Recchia/Getty Images

トランス女性モデル“アンドレア”の誕生後の快進撃には、枚挙にいとまがない。US版『VOGUE』2015年5月号に同誌で初めてトランスジェンダーのセレブリティーとしてインタビューに登場し、翌2016年にポルトガル版『GQ』で「最優秀国際女性モデル」を受賞。続く2017年に同誌のカバーを飾り、トランス女性として初めて大手モデルエージェンシー「FORD」と契約等々。さらに2018年には、スリラー映画『The Girl in The Spider’s Web』で映画俳優としてもデビューを果たし、2022年には『The Other Me』に出演するなど、トランスジェンダーになってから目覚ましい躍進を遂げている。

「今では、ジェンダーやセクシュアリティが複雑であることがようやく世間に理解されるようになりました。ですが、私が性転換手術を受ける前は『そんなことをしたらあなたは終わり』とか、『あなたより可愛い女の子はいくらでもいる』と警告を受けたり、エージェンシーからは『売れるためにはトランスよりアンドロジナスの方が有利』などと何度言われたことか。でもそんな声は全て無視。トランスジェンダーは、ファッショントレンドではありません。私は、本当の私を取り戻すために手術に踏み切ったのです」

ビューティー業界初のトランス女性スポークスパーソン

2015年、NYで開催されたamfAR(米国エイズ研究財団)のガラにて。

Theo Wargo

「この世界の半分は男性であり、あらゆる分野で顧客層の大部分を占めています。しかも、彼らには爆発的な購買力もあるのだから、男の子がメイクアップの広告に登場しない理由なんてないでしょう? 同時に、ブランドがLGBTQコミュニティとどのように関わるか、どんなモデルを選ぶかについては、責任を持つ必要があると思います」

2015年にトランス女性モデルとして初めてビューティーブランド、メイクアップフォーエバーのスポークスパーソン就任した彼女の快挙を皮切りに、ビューティー業界にはジェンダーフリーブランドが続々と生まれ、多様なモデルたちにチャンスが訪れるようになった。そして現在では化粧品の広告に男性モデルが起用されることも珍しくなくなったが、一方で未だトランス女性の起用はほとんどないのが現状だ。そんな業界に対し、アンドレアはこんな見解を明かしている。

「化粧品ブランドのスポークスパーソンになるためには、従来のような“ただ綺麗なだけの白人モデル”というだけでは十分ではないと思います。つまり、ブランドの顔を務めるだけの頭脳を持っているか、メディアでポジティブなメッセージを発信する能力があるか、常に正直で真実を語っているか、さらに社会問題に対し進歩的な取り組みができるかどうかが問われると思うのです。

銀行員にも、薬剤師にもなれた私が、たまたまモデルという仕事を選び、トランス女性としてメジャーな化粧品ブランド初の“顔”になれたことは言葉にできないほど嬉しく、信じられないこと。これは私にとって、美は多様であることや、一人ひとり違う美しさを表現することこそが真のビューティーであることを世界に伝える絶好の機会です。私はトランスジェンダーですが、みなさんと同じ一人の人間です。勇気を出して私にこの機会を与えてくれたブランドに、尊敬と感謝の意を評します」

Editors: Masami Yokoyama Rieko Kosai