トップアスリートの知られざる困難 当事者研究から考える、2020東京五輪 熱狂への警鐘
オリンピック・パラリンピック競技大会 − この日のためにすべてをかける憧れの舞台。
トップアスリートたちの熾烈な闘い。メディアに溢れる感動秘話。
世界中が奇跡の瞬間に胸を躍らせ、涙し、勇気をもらう。
華やかなスポーツの祭典の、もう一つの顔。それが、「能力主義が先鋭化する舞台」だ。
2018年7月30日、東京大学先端科学技術研究センター(東大先端研)でシンポジウム『日常への帰還 アスリートと宇宙飛行士の当事者研究』が開催された。
国家的ミッションや巨大な資本を背負いつつ、極限的な状況に身を置くことになったトップアスリートは、どのような困難を抱えるのか。
自らの経験を分かち合う「当事者研究」の視点で考察すると、今、私たちが向き合うべき課題が浮かび上がった。
『日常への帰還 アスリートと宇宙飛行士の当事者研究』
企画: 熊谷 晋一郎 准教授(東大先端研 当事者研究分野)主催: 東京大学先端科学技術研究センター
後援: 公益財団法人日本オリンピック委員会
公益財団法人日本障がい者スポーツ協会日本パラリンピック委員会
登壇者:小磯 典子 氏(元バスケットボール オリンピック選手)
花岡 伸和 氏(元車椅子マラソン パラリンピック選手)
野口 聡一 氏(JAXA宇宙飛行士)
上岡 陽江 氏(依存症回復支援施設 ダルク女性ハウス代表)
障害者が抱く、オリパラへの複雑な思い
「国を挙げて盛り上げているのに、水を差すなと言われるかもしれない」
シンポジウムの趣旨説明で、先端研・熊谷晋一郎准教授はそんな言葉を口にした。
「2020年東京オリンピック・パラリンピックについて、多くの障害者が、2つに大きく引き裂かれる複雑な思いを抱いています。1つは、目から鱗のハイパフォーマンスを目にして“障害者でもこんなに能力を発揮できるんだ”と、障害者に対する差別や偏見が減ったり、この機会にバリアフリー化が進んだりする、良い変化への期待です」
実際に、パラスポーツを目にした人々が、障害に対する差別や偏見を減らしたというイギリスの研究もあるという。
「しかし一方で、がんばる障害者がいるのに、私はなんて能力がないのだろうと、自分を責めてしまう一般の障害者がいるのも事実です」
熊谷准教授自身も「スポーツが得意どころかコンプレックスを持ってきた、比較的多数の障害者」だそうだ。多くの障害者はスポーツに馴染みがなく、自分たちが排除されるイメージを持っている。
「2年前の7月26日、神奈川県相模原市で起きた障害者施設殺傷事件。犯人は、能力のある人には生きる価値があるが、ない人には生きる価値がない。そんなことを言いました。それに対して私たちは異議を唱え、能力主義を否定したわけです」
ところが、障害者福祉の現場でも、似たようなロジックが使われる。適切な合理的配慮さえあれば能力を発揮できる。つまり、能力がより発揮できる状態が良い状態であるという、ある種の能力主義に基づいた支援の組み立て方だ。
これは自己実現や能力を発揮する自由な社会の条件であり、この考え方自体に反論はできないと、熊谷准教授は話す。
しかし、この「能力がより発揮できる状態が良い状態」という考え=能力主義が、一般の障害者だけでなく、オリンピックやパラリンピックに出場する当事者、トップアスリートも苦しめていることが、当事者研究を進める上でわかってきた。
トップアスリートを消耗させる「能力主義」と「レッテル」
元バスケットボール選手の小磯典子さんは、恵まれた身体能力のおかげで、ほぼケガのない現役生活を送った。しかし、ケガをしないとまとまった休みはない。その歪みは、強烈な生理痛に現れた。
「大事な試合に限って、生理になる。もう、のたうちまわるほど痛かった。私はなんてダメなんだと、毎月、自分を責めました。練習を休んでレギュラーから落ちるのが怖くて、常に定量以上の痛み止めを飲んでいました」
その後、知人に「がんばらないこと。子宮の近くで拳を握るのをやめてごらん」と言われ、拳を開くと痛みが和らいだり、行きたくなかったバスケ関係の行事に欠席を告げた途端、痛みが消える経験をしたという。
「頭ではこうするべきだと考えていても、本当はやりたくない。生理痛はそれを教えていたのだと思います」
常に他の選手と自分を比較し、能力がないからもっとがんばらなければいけない。がんばれない、選ばれない自分には価値がない。その重圧と緊張は引退後数年経っても軽減されず、コーチに怒られる恐怖感や、失敗した試合のフラッシュバックに襲われたという。
車椅子マラソン元パラリンピック選手の花岡伸和さんは、会場に問いかける。
「弱者の強すぎる主張は、非常に嫌がられますよね」
パラリンピック選手は、「障害者」と「アスリート」の2つの区分に属する。障害者に対する「できないことがある弱者」「清い人」というイメージと、アスリートの「身体機能を高めた強者」「清い人」という一見相反するイメージの中に「清い人」という共通項があり、「聖人君子であるべき」というレッテルを貼られる。
移動の困難や情報アクセスなどの物理的な害より、マジョリティから勝手に貼られる「よくわからないから、こうしておこう」といったレッテルの枠に収められることに、障害者は生きづらさを感じる。この「社会からの枠に自分を合わせる葛藤」は、トップアスリートも同じだと花岡さんは言う。
「そこで権利を主張すると、たちまち“プロ弱者”という新たなレッテルが貼られ、いくら正しいことを言っても、影響力が低下します。こんなに気を使わないと物が言えない。この時点で、かなりの生きづらさがあります」
花岡さんの言葉を借りれば、超人は、超がんばっている凡人。「スポーツで自己を肯定し、自分を保つためにがんばっているだけで、何をされても大丈夫なわけではない」。
宇宙飛行士による当事者研究の最前線
先端研の当事者研究分野には、宇宙飛行士である野口聡一さんも研究メンバーとして参加している。宇宙飛行士は、非常にタフなトレーニングを経て、国家的な威信を背負い、まさに命をかけて大きなミッションに身を投じる。極限的な環境に身を置くという点でトップアスリートたちと似た経験の持ち主だ。
野口さん自身の二度の宇宙飛行経験から、宇宙飛行士が宇宙から帰還した後に直面する、日常生活における心理的・身体的な困りごとは多岐にわたり、その中にはアスリートが日常に復帰する際に直面する困難とも相通じる部分があると指摘している。
「重力は、自分がそこに存在すること、立っていることを認識するための、第一判断基準です。でも、宇宙へ出た途端に重力から解放され、第一判断基準がなくなる。重いモノに対する認識が変わり、身体能力の拡張を感じます。ところが、地球に帰還すると、骨や筋力、視力の低下といった障害が出ます」
野口さんは、この拠って立つ認識が反転する現象によって、マイナスは本当にマイナスなのか/プラスは本当にプラスなのか、というノーマルからの逸脱を体験した。宇宙空間でのさまざまな経験は、今でもフラッシュバックするという。
「ハッチを出た時に、地球が見えた。その不思議なインパクト。フラッシュバックがポジティブかネガティブかは、パーソナリティの違いが関係するのかもしれませんが、私の場合はポジティブです。ただ、“かつての私”と“宇宙から帰還した私”は同じ存在なのか。宇宙空間での経験が自分に何をもたらしたか。まだ、整理しきれていません」
宇宙飛行にせよオリンピックにせよ、極限的な経験が個人の内面にもたらす劇的な変化を当事者が客観的に解析する研究は世界的にもまだ例が少ない。熊谷准教授と野口さんは、発言記録やダイヤログを丹念に解析することで、当事者研究の新しい展開を試みているという。
依存症当事者とトップアスリートの共通項とは
当日は依存症の支援施設代表も登壇したが、依存症とアスリートとどんな関係があるのだろうか。
ダルク女性ハウス代表の上岡陽江さんは、「私はネガティブなフラッシュバックなので、仲間と一緒にその記憶の現場を訪れて、思いっきり楽しく過ごすことで思い出を書き換えます。なぜ、自分でフラッシュバックの種類を選べないんでしょうかね?」と笑い、「全く違う三人の話が、私には一つの話に聞こえます」と切り出した。
依存症で苦しむ当事者の経験とトップアスリートが苦しむ困難には、驚くほど共通の構造がある。それは、他人を頼って生きるのではなく、自分の能力を常に向上させて生き延びなければならないと追い込まれる、能力主義の特徴だ。
「アスリートは、医療麻薬から依存症になる例が多い。いい選手であろうとすればするほど、痛み止めに依存するからです。これはアスリートだけの問題ではなく、社会構造の問題。アスリートのドーピングも、適用範囲を厳格にするだけでは解決しません」
薬物やアルコール依存症、摂食障害を経験した上岡さん。治れば苦しさから解放されると思っていたが、完治してからの日常生活のほうが辛かった。
オリンピックに出ればプレッシャーから解放されると思っていた小磯さんも、実際にはオリンピック後のほうが苦痛が大きかった。上岡さんによると、アスリートが上り調子の時に感じる自己陶酔感・自己肯定感と、負けた時やスランプ時の落ち込みは、依存症の世界に似ているという。
2020年への熱狂の中だからこそ、弱さを見つめる
「アスリートが弱音を吐くと、いろいろなところからバッシングされます。でも、2020年を前にした熱狂に中にあるからこそ、私たちはその弱さに触れる必要があるのではないか」
当事者研究では、弱さを情報公開してくれた相手に対して、決して揶揄することなく敬意を払う。今回のシンポジウムは、オリンピック・パラリンピックやトップアスリートを否定するものではない。2回のオリンピックを経験した小磯さんも、世界に通用するアスリートが出てくることを楽しみに待っていると話す。
「ただし、アスリートが健康であること。自分と誰かとの比較がもたらす怖さ、特に、それが子どもに向かう恐ろしさを、立ち止まって考えてほしい」
小磯さんは、怒られ続けた子どもの身体は固くなり、試合や練習以外ではゾンビのようだという。
さらに、引退後の再就職に苦労した経験から、スポーツから離れた後の自分のアイデンティティを、現役時代から探しておかなければならないと訴える。成績向上やメダル獲得といった短期的な視野だけでなく、長期的かつ全人的なアスリートのサポートを考える必要がある。
「指導者は、自分がその子の人生の1ページを担っているのだと、肝に命じてほしい。この1試合、このワンシーズンだけという短期的な指導と、選手の一生を考えた指導では、その後がまったく違う。親も、勝つためだけの生活がどれだけ辛いか、理解する必要があります。がんばるだけではなく、楽しむという夢の追い方を教えるのは、大人の役目です」
オリンピック・パラリンピックは、世界トップレベルの競技が見られる。小磯さんは、「スポーツは、競い合うことで自分を磨くもの。相手がいて、相手が強いから、面白い。試合には必ず、勝者と敗者がいる。勝者への賞賛が社会に溢れ、敗者は影の世界に追いやられる。でも、試合後や引退後の人生の方が長いんです」と話す。
「もっと、敗者のストーリーが語られてもいいのではないか。美談が報道される裏側の現実、行き過ぎた能力主義がもたらす弊害を知ることで、オリンピック・パラリンピックに挑戦する身近なアスリートにかける言葉が変わってくるかもしれない」
熊谷准教授が言うように、2020年東京五輪への熱が高まる今だからこそ、私たちは歩みを止め、注意深く、冷静に、能力主義と向き合う必要がある。
これまでと同じではなく、通ってきてよかったと思える新たな道を拓くために。
(取材・文/広報・情報室 山田 東子)