本書『遺伝子社会学の試み』は、鹿児島大学の桜井芳生氏が研究代表者となって、3年間にわたって行われた科学研究費助成事業 (挑戦的研究 (開拓) 17H06193) の成果報告です。本書に収められた14本の論文は、社会科学、特に社会学に隠然とした影響力を有するバイオフォビア、すなわち生物学嫌いに抗して、さまざまな事象の背景に生物的・遺伝的要因が存在する可能性を認め、それを社会的要因と同様に重視する研究を試みています。
筆者が執筆を担当した第6章「高田少子化論の進化論的基盤」は、筆者が2017年に刊行した『これが答えだ!少子化問題』(筑摩書房) のなかで論じた、戦前の社会学者・高田保馬の少子化論を、現代の少子化を説明する有力な理論として再度紹介するとともに、その進化論的意味 (意義) について論じました。
高田の少子化論は、人々の豊かさ、すなわち生活水準 (これを高田は「福利」とも表現します) と、人々の豊かさに対する期待、すなわち生活期待水準 (これを高田は「生活標準」と表現します) を分けて考えたうえで、
(a) 社会の上級 (上層階級) では、生活水準がつねに生活標準を上回るので、出生制限は起きない (=金持ちの子だくさん)。
(b) 社会の下級 (下層階級) では、もともと生活標準が低いので、出生制限は起きない (=貧乏人の子だくさん)
(c) 社会の中級 (中間階級) では、福利の増進以上に生活標準が高まるので、出生制限が行われ、子どもの数が減る
という3つのメカニズムを想定します。そのうえで、自己の栄達や子どもの社会的地位を向上させるために子ども数が減らす傾向があるわけですが、社会の中間層では、実際の生活水準以上に、生活期待水準が不可避的・不可逆的に高まるため、少子化が生じやすいという議論を展開したのです。
このような高田の少子化論は、少子化が発生する階級・階層的な要因を重視するもので、社会学的な学説といえるものです。しかし他方で、生物学的な要因を無視しているわけではありません。特に「金持ちの子だくさん」という現象の普遍性に着目している点は重要です。
筆者の同僚でもある、社会心理学者の亀田達也氏によれば、進化心理学は、進化時間/歴史時間・文化時間/生活時間という、3層の時間軸を想定しています (亀田達也『モラルの起源:実験社会科学からの問い』岩波新書、2017年)。「進化時間」とは、生物が進化するのに必要な、かなり長い時間をかけて起こる「適応」に即した時間軸であり、「進化時間での適応のほとんどは、遺伝的なプログラムのかたちで、私たちのDNAに書き込まれて」いるものです。これに対して「歴史時間・文化時間」とは、「遺伝子には書き込まれていないものの、文化的な媒体・経路 (伝承、教育、宣伝など) を通じて、個体間で学習・模倣され、「人」の社会に定着」(亀田 ibid, p.7) する適応時間のことです。
この区別に従うならば、「金持ちの子だくさん」とは、生物としての人間の遺伝子レベルに書き込まれた「進化時間」における適応、「貧乏人の子だくさん」とは、産業革命以降に、文化的な媒体・経路を通じて個体間で学習された、「歴史時間・文化時間」における適応とみることができます。現代の少子化現象は、進化時間における「金持ちの子だくさん」を基盤としながら、産業革命以降の歴史文化時間における「貧乏人の子だくさん」(=社会の中間階級における少子化) が付け加わったものと理解することができるわけです。
このような考察以外にも、本書では、社会的な要因だけでは説明できない生物学的・遺伝的な要因の影響を、特定しようと試みています。桜井氏らによるツイッター遺伝子、セロトニントランスポーター遺伝子多型による「生きにくさ」や「スマホゲーム」頻度の違いなどの発見は、今後の社会科学にとっても挑戦的な議論を提供し続けることになると思われます。
(紹介文執筆者: 人文社会系研究科・文学部 教授 赤川 学 / 2021)
本の目次
1 ツイッター遺伝子の発見?――SNP(遺伝子一塩基多型)rs53576解析による遺伝子社会学の試み……桜井芳生・西谷 篤・赤川 学・尾上正人・安宅弘司・丸田直子
2 現代若者「生きにくさ」に対する、セロトニントランスポーター遺伝子多型5-HTTLPRの効果……桜井芳生・西谷 篤・尾上正人
3 (補論) セロトニントランスポーター遺伝子多型におけるヘテロ二本鎖解析の検討……西谷 篤・桜井芳生
4 日本若年層の「スマホゲーム」頻度に対する、遺伝子一塩基多型(SNP)rs4680の看過しがたい効果……桜井芳生・西谷 篤・尾上正人・赤川 学
第二部 社会学的生物学嫌バイオフォビアを超えて
5 「社会学の危機」から、「バイオダーウィニスト」の「理解」社会学へ……桜井芳生
6 高田少子化論の進化論的基盤 ……赤川 学
7 育ち(Nurture)の社会生物学に向けて――共進化とエピジェネティクスから見た社会構築主義……尾上正人
8 進化社会学的想像力――3つの進化社会学ハンドブックの検討と進化社会学的総合……三原武司
9 「女性特有の病気だから」という理由で沈黙せざるを得ない父親たち――ターナー症候群の娘を持つ父親たちの「生きづらさ」とは何か……高口僚太朗
10 バイオダーウィニズムによる〈文化〉理論――なんの腹の足しにもならないのに、、、……桜井芳生
11 「待ち時間」としてのヒトの長い長い子ども期――社会化説、アリエス、そして生活史不変則へ……尾上正人
12 ある種の両性生殖生物のオス(たとえばヒトの男)は、なぜ母子を扶養するのか――岸田秀を超えて……桜井芳生
13 高緯度化と農耕を通じた女の隷属――性分業・家父長制への新たな視座……尾上正人
14 若者の若者文化離れ仮説への、ホルモン時系列推移の状況証拠……桜井芳生
あとがき――われわれはなぜ「実験」にこだわったのか?
関連情報
文=飯田一史氏「優生学に直結する」と思考停止するほうが問題だ! 「遺伝子社会学」が追究する“格差”の正体とは? (『日刊サイゾー』 2020年4月14日)
https://www.cyzo.com/2021/04/post_274499_entry.html