2024.09.20鉄道漫画家・羽海野チカと鉄道。「夜一人でマンガを描いていると、列車に乗ってる気持ちになるんです」
『3月のライオン』『ハチミツとクローバー』に描かれた列車とは
羽海野チカさんが描くマンガには、移動手段としてだけでなく、主人公たちの心情を表す比喩表現としてたびたび列車が登場します。羽海野さんにとって、鉄道とはどのような存在なのか。印象深かった取材旅行のお話や、寝台列車への憧れ、『ヤングアニマル』(白泉社)で連載中の『3月のライオン』についてなど、たっぷりと語っていただきました。
『JR時刻表』2024年10月号(9月20日発売)「十人十鉄」の誌面に載せきることができなかったエピソードを、フルバージョンとしてお届けします。
『JR時刻表』×トレたび 連動企画です。
「橋と列車、建造物が好きで、マンガにもいっぱい描いています」
水道橋にある高校に通っていたころによく歩いていた、御茶ノ水のあたりの風景がすごく好きだったんです。電車が何本も重なって見える聖(ひじり)橋からの風景は、いくら見ていても飽きなくて。いま思えば、あれが電車を「きれいだな」って思った最初です。
私は出身が川だらけの東京都足立区なので、「橋を渡る」ということにとても思い入れがあるんです。亀有、綾瀬、北綾瀬の真ん中くらいに住んでいたのですが、高校に行くのも会社に通うのも、鉄橋を渡って川を越える。
常磐線から直通する電車が荒川まで地上でその先から地下に入るのですが、広くてとてもきれいで、最高の眺めで。川の色も毎日違うので、その風景を絶対に見ないといけないって決めていました。今日は何色かしらと思って見ていると、電車が地下にふ~って入るので「あ、会社だ。これから会社に行くぞ」ってなる。そんな毎日でした。
橋と列車、建造物が好きで、マンガの中にもいっぱい描いています。『3月のライオン』の1巻にも、零(れい)ちゃん(主人公で17歳のプロ棋士・桐山 零)が一人で暮らす家から橋を渡って東京駅まで歩き、中央線に乗って御茶ノ水駅で各駅停車に乗り換え、外堀の風景を見ながら千駄ケ谷の将棋会館まで行くシーンを描きました。対局の日の“儀式”的なものですね。
いつも土砂降り!? 全国各地への取材旅行
将棋は全国各地で対局があるので、『3月のライオン』はいろいろなところへ取材に行っています。将棋の駒の一番の名産地・山形県の天童は、駅にも将棋のことがいっぱい書かれていて。ここから立派な棋士が誕生したら町の人たちはすごくうれしいだろうなと思って、登場人物の一人の島田さん(島田 開〈かい 〉八段)がその期待を背負う棋士というキャラクターになりました。
天童で桜の季節に開催される「人間将棋」も取材で初めて行ったのですが、屋外で開催されるのに土砂降りで、会場が室内に移動になったんです。でも、ちゃんと棋士の先生も解説で来ていたし、物販の方なども移動してきていて、その光景がとてもよかったのでマンガでも土砂降りで描きました(笑)。
岩手県の盛岡での零ちゃんと宗谷冬司(そうやとうじ)名人の対局の帰りに、台風で新幹線が仙台駅で止まってしまうエピソード(8巻)は、2つの取材での出来事を合わせて描きました。
京都の取材の帰りに台風で新幹線が運休になった時は、私があたふたしているそばで、一緒にいた編集者さんや周りの方たちはすごくテキパキと宿をおさえてたり駅の窓口を目指していて、「ああすごい、かっこいい! 描かなくちゃ」と……! もう1つは仙台に行った時で、なんでこうも土砂降りなんだろうと思うのですが(笑)、トラブルが起きても「これを描かなくちゃ」となります。
マンガの中で電車好きの棋士・土橋(どばし)さん(土橋健司九段)がタイトル戦の会場まで乗った特急〔指宿のたまて箱〕は、砂むし温泉を描きたくて鹿児島県の指宿へ旅行に行った時、実際に乗りました。駅に着くとファーって煙みたいなミストが出てきて「ほんとにたまて箱だ!」って。
そのとき泊まった宿がとても素敵だったので、対局の会場としてマンガに描かせてもらいました。そうしたらその後、実際にそこがタイトル戦の会場になったんです! 棋士の方が指宿で砂に蒸されるようになって、「これはうれしい!」と思いました(笑)。
広島県の尾道に行った時も、短い区間だけど「La Malle de Bois(ラ・マル・ド・ボァ)」という観光列車に乗りました。風景が見えて、絵本が中に置いてあったりして、すごくおもしろかったです。旅でこういう電車に乗れるのはおもしろいですよね。
取材は編集者さんと一緒にたくさん行きましたが、一人旅は苦手でできないんです……。30年ぐらいずっと乗りたいと思い続けている五能線も、一緒に行ってくれる人が見つからなくて、まだ行けていなくて。
漫画家って頭の中の1年がすごく短いので、行きたいと思って調べてを繰り返して、あっという間に何十年もたっている。本当に“たまて箱”の感じです。でも、漫画家だからなのか、私だからなのか、同じところをぐるぐる回って少しずつ進んでいる人生なので、そうやって旅に出たいという一念だけ持って何十年でも過ごせるんです。「かなわなかった」とあきらめることはなく、まだ「行くぞ」ってずっと思っています。
趣味は、行く予定のない旅行の持ち物を書き出すこと
時刻表が好きな方って、行ってみたい路線を組み合わせて時刻表の中で架空の旅行をしますよね。私は行く予定のない旅行を計画して、持ち物を紙に書き出すのが好きなんです。シミュレーションノートがあって、もう、何十時間でも書いていられる。
旅行に行くと、毎回、荷物が重たくて歩けなくなっちゃったり、ないものがあったりの失敗がショックなんですね。旅行から帰ってきたら、「これはいらなかった」「カーディガンがもう1枚あるとよかった」って、復習もします。それでも失敗を繰り返したりするんですけど……。
私は今年(2024年)が画業40周年になるのですが、“心のお師匠”と思っているウォルト・ディズニー、トーベ・ヤンソン、手塚治虫先生、萩尾望都先生、宮﨑 駿さんを、40周年の記念にそれぞれ詣でていかなきゃいけないと思って、昨年はフィンランドに行ったんです。4人で15日間、商店のない街だけを歩くというなかなか過酷な旅だったんですけど、そのときの持ち物が、初めて大成功したんです!
誰かが倒れたら旅が終わってしまうので、薬をたくさん持って、みんなに飲ませるお茶も持って。友達が楽しみにしていた乗馬の日に雨が降ってしまった時も、「土砂降りの中、屋根のないバス停で1時間待つことになったら……」と思って持っていたレインパンツを貸すことができて、「完璧だ!やり遂げた!」と(笑)。
自分がピンチの時に助けてもらってうれしかったのを覚えているので、そんなとき「ここにレインパンツが!」って出せたら幸せだろうなと思っていたことができて、すごくうれしかったです。
「夜一人でマンガを描いていると、列車に乗ってる気持ちになるんです」
子どもの時から『銀河鉄道の夜』が好きすぎたために、寝台列車にすごく憧れがあります。実際には『ハチミツとクローバー』の取材で寝台特急〔カシオペア〕に1回乗っただけなのに、寝台列車の本を見ながら「これに乗ったらこれを持っていこう」と、それもシミュレーションをしてました。
会社員だったころ、仕事で疲れて帰りに間違えて電車を降りそびれ、亀有駅まで行ってしまうことがよくあったんです。戻る列車を待ちながらホームの先まで行くと、真っ暗な中、遠くのほうからきれいな光がピューっと走ってくる。それがもう、銀河鉄道なんです。
「すっごくきれい!」って思っていると電車が行ってしまって、「きれいだ……あっ、行っちゃった」というのをもう1回、もう1回と繰り返して終電になってしまったり。あれほどきれいなものは、ちょっとないなと思う。そのホームの端のところで考えごとをするのも、また好きだったんだと思います。
夜遠くへ行く列車への憧れからか、夜一人でマンガを描いていると、列車に乗ってる気持ちになるんです。レールから外れられない感覚で、でも、心地よくもあって……。
将棋とマンガは似ているんです。一人でやるもので、全部そこに出てしまうのでズルができないところや、勝っても負けても自分の責任、人のせいじゃないというのも同じでいいなと。棋士の方たちも夜一人でいっぱい練習して、こんなふうに列車に乗ってるような気持ちなんじゃないかな、と思いながら描いています。
「きっぷが溶けてなくなっても乗っていられるのかどうか?」
『3月のライオン』に、「プロになるということは止まらない列車に飛び乗るようなものだ」と書いたのですが、本当にレールを外れられない、降りられない列車なんです。降りるのは自由ですが、降りたらもう1回乗ることは難しい。
『銀河鉄道の夜』の中で、ジョバンニが「切符を拝見いたします」と言われるシーンがありますが、あんなふうに漫画家も棋士もみんな、「自分は本当にきっぷを持ってるのかしら?」と思いながら列車に乗ってるんだと思います。持っていても溶けてなくなってしまうかもしれないし、名人までだと思って手に入れたきっぷを見たら、奨励会までと書いてあったり。「あそこまで行くきっぷじゃなかったんだ」というのは、すごくつらいと思います。
でも、『3月のライオン』は「きっぷが溶けてなくなっても乗っていられるのかどうか?」というのをテーマにしようと思っていたんです。私は考え込みやすいタイプなので、自分が直面している悩みをテーマにすれば最終回まで考え続けるはずだから。いま、自分自身のきっぷが溶けかかっているので、それでも乗っていられたかどうかで、結末が変わってくる予定です。溶けたら手書きで発行すればいいのだろうか、どこまで描き続けられるんだろうか、と思いながら描いているところです。
「自分はきっぷを持ってるのか?」「どの電車に乗ったらいいのか?」って、若い方にとってもすごく大きな悩みだと思うんですよ。だから、これを一生懸命考えたら誰かの役に立てるかな、「あのマンガにこうやってたキャラがいたな」って思い出してもらえたらいいかなと思って。零ちゃんも1冊で1個ずつできることを増やしていって、最新刊(17巻)では「友達と一緒に、口を開けて笑う」っていうことができるようになりました。私自身と同じで、成長がゆっくりタイプの物語なんです。
「こういう人がいますよ」というサンプルを、おばあちゃんの知恵袋的に、なるべくいっぱいマンガに詰め込んでいこうと思っています。
『JR時刻表』2024年10月号 リレーエッセイ「十人十鉄」もあわせてチェック!
JR時刻表2024年10月号
- ※取材・構成=編集部
- ※掲載されているデータは2024年9月1日現在のものです。