産経フォト

零戦が再び日本の空へ、日本人所有の機体では戦後初

ニュース

零戦が再び日本の空へ、日本人所有の機体では戦後初

更新 sty1601270013
再び日本の空を飛んだ零戦(零式艦上戦闘機)=27日、鹿児島県鹿屋市の海上自衛隊鹿屋基地(鈴木健児撮影) 再び日本の空を飛んだ零戦(零式艦上戦闘機)=27日、鹿児島県鹿屋市の海上自衛隊鹿屋基地(鈴木健児撮影)
再び日本の空を飛んだ零戦(零式艦上戦闘機)=27日、鹿児島県鹿屋市の海上自衛隊鹿屋基地(鈴木健児撮影) 
画像を拡大する
再び日本の空を飛んだ零戦(零式艦上戦闘機)=27日、鹿児島県鹿屋市の海上自衛隊鹿屋基地(鈴木健児撮影) フルスクリーンで見る 閉じる

 ニュージーランド在住の石塚政秀氏(54)が保有する零式艦上戦闘機(零戦)が27日、海上自衛隊鹿屋航空基地(鹿児島県鹿屋市)でテスト飛行を行った。石塚氏は「零戦が日本の空を飛べて感無量だ」と空を舞う零戦を見上げて語った。日本人が所有する零戦が国内を飛行するのはさきの大戦後初めてとなる。

再び日本の空を飛んだ零戦(零式艦上戦闘機)=27日、鹿児島県鹿屋市の海上自衛隊鹿屋基地(鈴木健児撮影)
画像を拡大する
再び日本の空を飛んだ零戦(零式艦上戦闘機)=27日、鹿児島県鹿屋市の海上自衛隊鹿屋基地(鈴木健児撮影)フルスクリーンで見る 閉じる

 2010年2月に米国人バイクレーサーから零戦を購入した石塚氏は、国内飛行を目指して、資金集めや米国からの輸送、関係省庁との交渉などを行ってきた。
 今回、一般公開は見送られたが、基地のフェンス越しには100人近い観客が訪れ、プロジェクトの出資者や機体整備の協力者ら約40人も、特別に基地内での見学が許された。

再び日本の空を飛んだ零戦(零式艦上戦闘機)。1回目の飛行を終え、基地に着陸した=27日、鹿児島県鹿屋市の海上自衛隊鹿屋基地(鈴木健児撮影)
画像を拡大する
再び日本の空を飛んだ零戦(零式艦上戦闘機)。1回目の飛行を終え、基地に着陸した=27日、鹿児島県鹿屋市の海上自衛隊鹿屋基地(鈴木健児撮影)フルスクリーンで見る 閉じる

 午後2時、米国人パイロット、スキップ・ホルム氏(72)が乗り込んだ零戦のプロペラがエンジン音とともに回り出した。零戦は滑走路に向い、離着陸を2回ほど繰り返し、鹿児島の空を飛んだ。

 スポンサーの1人で、埼玉県から訪れた陸上自衛隊OB、和泉洋一郎氏(66)は滑空する機体を見上げ「世紀の瞬間に立ち会えました。以前、埼玉県所沢市でも米国人が所有する零戦の公開飛行を見学したが、零戦は日本人の技術力が詰まったもの。やはり、日本人が所有する零戦が飛ぶ姿は、感動は比べられないほど大きい」と涙ながらに語った。

フライトを終え機上で喜び合うオーナーの石塚政秀氏(右)ら関係者=27日午後、鹿児島県鹿屋市の海上自衛隊鹿屋航空基地(恵守乾撮影)
画像を拡大する
フライトを終え機上で喜び合うオーナーの石塚政秀氏(右)ら関係者=27日午後、鹿児島県鹿屋市の海上自衛隊鹿屋航空基地(恵守乾撮影)フルスクリーンで見る 閉じる

 冠婚葬祭サンセルモ社長、安田幸史氏も「この感動を多くの人と分かち合うためにも、一般公開してもらいたい」と語った。

 石塚氏は「感無量です。この機体が生産されて、72年ぶりに日本の空を飛べた。部品の一つ一つに日本人の勤勉さが詰まっているんです。飛ぶ姿を見て、今の日本人に自信を取り戻してもらいたい。いつか、この機体を日本のいろいろな場所で飛ばしたいですね」と希望を口にした。

 福岡市に住む、零戦の元搭乗員、池田一彦氏(91)は零戦が飛んだと聞き、「次は、日本人パイロットに操縦してもらいたい。やはり編隊で飛ぶ姿をみてみたい」と語った。

フライトを終えパイロットと握手を交わすオーナーの石塚政秀氏(右)=27日午後、鹿児島県鹿屋市の海上自衛隊鹿屋航空基地(恵守乾撮影)
画像を拡大する
フライトを終えパイロットと握手を交わすオーナーの石塚政秀氏(右)=27日午後、鹿児島県鹿屋市の海上自衛隊鹿屋航空基地(恵守乾撮影)フルスクリーンで見る 閉じる
再び日本の空を飛んだ零戦(零式艦上戦闘機)=27日、鹿児島県鹿屋市の海上自衛隊鹿屋基地(鈴木健児撮影)
画像を拡大する
再び日本の空を飛んだ零戦(零式艦上戦闘機)=27日、鹿児島県鹿屋市の海上自衛隊鹿屋基地(鈴木健児撮影)フルスクリーンで見る 閉じる


☆ 関連記事
【動画~零戦、再び日本の空へ 日本人所有の機体で戦後初】
【動画~飛行可能な零戦“里帰り” 細部まで公開】
【激戦の証し 眠る群青の海 パラオ共和国】

関連【360°パノラマ】
■零戦の操縦席(2014年11月21日撮影)を見る

スゴい!もっと見る

瞬間ランキングもっと見る

話題のランキング