WHY?
#04

18世紀、なぜ産業革命は
中国や日本ではなく
英国で起こったのでしょうか?

QUESTION

1800年頃の世界を見渡してみましょう。中国の人口は約2億7千万人であり、中国の山東省だけでも約2300万人の人口を、日本では約3100万の人口を有していたのに対し、英国の人口は僅か600万人でした。中国、日本、英国とも貨幣経済が発達しており、交易は盛んでした。例えば、山東省から「輸出入」される穀物の量は、当時のヨーロッパの遠隔地交易に匹敵しました。中国においても英国と類似の紡績機械が使われており、技術力において中国や日本が英国に決して劣っているわけではありませんでした。識字率についても同様で、中国や日本は英国にひけをとっていませんでした。

しかしながら、産業革命は18世紀後半から19世紀前半に英国で起こりました。起こりうる諸条件は中国や日本にもそろっていたにもかかわらず、です。なぜ、この頃産業革命は中国や日本では起こらなかったのでしょうか?

HINTS 答えはいまだに解き明かされていません。
しかし、それを解き明かすのは経済学の叡智です。

産業革命がなぜ英国でスタートし、当時、英国の状況(人口集中、市場経済の発達など)とほぼ変わらなかった長江デルタ地域(中国)や江戸・畿内(日本)では、生じえなかったのか、という問いについては、諸説あり決定的なものがないというのが現状です。そこで、いくつかの考え方をここでは示したいと思います。

ポメランツは著書「大分岐」(翻訳は名古屋大学出版会からでています)の中で、英国では石炭が容易に入手できたこと、およびさほど「遠方」ではない、アメリカ新大陸(植民地)から食糧などを輸入できたことを挙げています。

彼によれば、産業革命以前の世界は、一定の面積を有した土地から、食糧やエネルギー(森林資源)を、しかも再生可能な形で生み出していかなければならないという「土地の制約」に直面していました。ところが、英国では、エネルギー源として森林資源ではなく石炭を使用することができ、しかも食糧を新大陸から輸入するが可能であるがゆえに、「土地の制約」から「自由」になれたのです。一方、中国や日本には、この種の「幸運」はありませんでした。それゆえ、英国で産業革命が起こったのです。

社会制度の違いに原因を求める考え方もあります。産業革命期には多くの発明がなされていますが、人々がそのような活動に従事したのは、知的財産権が英国において、確立していたからだ、と考えられます。そうでなければ、他者の発明はすぐに模倣されてしまい、発明者は正当な対価を得ることができず、発明という行為は停滞するからです。

英国においてのみ、名誉革命において、上記の知的財産権の確立とともに、海外との貿易における国家独占が弱まり、金融制度が改善されました。このような「包括的な制度」の下で、社会の幅広い層にビジネスチャンスが生まれました。それゆえ、英国で産業革命が起こったのです。

他に、こういう考え方もあります。植民地との交易を通じて、農民の減少という職業構成が変化し、英国では都市化が進展しました。これによって、英国では、賃金が他国よりもかなり割高となり、綿工業などでは労働を節約するために、機械を利用する新技術を開発する機運が生まれ、産業革命がもたらされました。英国では、労働が割高で、機械設備が割安だったのです。他国ではそうではありませんでした。特にアジア諸国では、賃金が英国よりも安価であり、綿工業において、機械での生産を行うことはむしろ割高だったのです。

最後に、産業革命についてのいくつかの説を手際よくまとめ、自説について触れているのが、グレゴリー・クラーク「10万年の世界経済史 上・下」(日経BP社)です。この本の第二部(10章―14章)に、産業革命がとりあげられています。

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この分析は、経済学の #経済史 #開発経済学 #国際経済学 #組織と制度の経済学 #経済成長 などの考え方で組み立てられており、そのエッセンスは「歴史・思想ユニット」の「東洋経済史Ⅰ」「社会思想史」「西洋経済史Ⅱ」といった科目で学ぶことができます。

「歴史・思想ユニット」の科目では、現代から将来を見渡す俯瞰的な視座を身に付けるため、経済史、経済学史を学び、歴史的な事例や経済学論争の考察を通じ、現代経済の諸問題の根源を考察します。

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