ポイント
- 神経細胞から伸びる神経突起の動きを3次元的に捉えることに成功
- 回転モーターはミオシンV、止めると神経突起は直線的に伸長
- 左右の脳で同じ右ねじ回転、脳の左右非対称性を生み出すメカニズム解明へ
要旨
独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、国立大学法人大阪大学(鷲田清一総長)とともに、脳の神経回路を形成する神経細胞の細長い突起部分「神経突起※1」の動きを3次元的に捉えることに成功し、神経突起が時計回り(右ねじ方向)に回転していることを世界で初めて発見しました。理研脳科学総合研究センター(利根川進センター長)神経成長機構研究チームの上口裕之チームリーダーと玉田篤史研究員らが、大阪大学大学院生命機能研究科の村上富士夫教授と共同で研究した成果です。
脳の働きを担う神経回路は、多数の神経細胞から伸びた神経突起が精巧に絡み合ったものです。脳が発達し始める胎生期に神経回路が作られ、その後、学習や経験により神経回路が再構築されるためには、神経突起が標的に向かって伸長することが必要です。神経突起が伸びる仕組み、特に神経突起の先端部の運動様式は、約100年前から精力的に研究され続けています。しかし、従来の研究では、培養皿にはり付いた状態の神経突起を観察していたため、平面的な運動しか捉えることができませんでした。
研究グループは、神経細胞をゲル状の培地内で培養し、顕微鏡の対物レンズに向かって伸びてくる神経突起の運動を3次元的に捉えることに成功し、神経細胞から見て神経突起の先端部が右ねじ方向に毎分約1回転していることを発見しました。この回転運動が原因で、神経突起は右に曲がりながら伸びることも判明しました。左右の脳で神経突起が同一方向に曲がると、神経回路は鏡像ではなくなります。左脳と右脳のいずれの神経細胞でも、神経突起が右ねじ方向に回転していたことから、神経突起の右ねじ方向への回転は、脳の左右非対称性を生み出す新たなメカニズムであると推察できます。
今回の発見は、長年にわたり見落とされてきた、神経突起が回転しながら伸長しているという意外な事実を明らかにするとともに、今後の神経回路の研究に大きな変化をもたらす革新的な成果です。
本研究の一部は科学研究費補助金を得て実施し、成果は米国の科学雑誌『Journal of Cell Biology(ジャーナル・オブ・セルバイオロジー)』オンライン版(2月1日付け:日本時間2月2日)に掲載されます。
背景
脳神経系の中心的な働きを担う神経回路は、多数の神経細胞から伸びた神経突起が絡み合った連絡網です。成長円錐※2と呼ばれる神経突起の先端部は、アメーバ状の領域から多数の糸状仮足※3が突出した構造をしており(図1)、成長円錐が前進することで神経突起を引き伸ばします。この成長円錐の運動様式を解明することが、神経回路構築の仕組みを理解する上で最も重要な課題となっています。しかし、従来の研究では、培養皿にはり付いた神経突起を観察していたため(図1、図2A)、成長円錐の平面的な運動しか捉えることができませんでした。研究グループは、3次元的に広がるゲル状の培地内に神経細胞を培養し、顕微鏡の対物レンズに向かって伸びてくる神経突起を観察することで(図2B)、成長円錐の本来の動きを捉えることに挑戦しました。
研究手法と成果
まず、ラットの脳から得た神経細胞を、コラーゲンを含むゲル状の培地内で培養しました。顕微鏡の対物レンズに近づいてくる成長円錐を詳細に解析したところ、糸状仮足が観察者から見て反時計回りに回転していることを発見しました(図3)。すなわち、成長円錐の本体から見ると、糸状仮足は時計回り(右ねじ方向)に回転していました(図4)。左脳と右脳のいずれの神経細胞でも糸状仮足は、右ねじ方向に回転しており、平均回転速度は毎分約1回転でした。
次に、糸状仮足が回転する分子メカニズムを解析しました。糸状仮足の内部にはアクチン線維※4と呼ばれる細胞骨格が豊富に存在し、この骨格によって糸状仮足は細長い形態を保持することができます。成長円錐には、アクチン線維を動かす数種類のモーター分子が存在しますが、中でもミオシン※5Vは、アクチン線維を回転させるモーターであると推察されていました。研究グループは、成長円錐が持つミオシンVの働きを阻害する変異型ミオシンVの遺伝子を開発し、この遺伝子を組み入れた神経細胞では糸状仮足の回転が止まることを証明しました。これにより、ミオシンVが、糸状仮足を回転させるモーターの役割を担うことが確かとなりました。
この糸状仮足の回転が、神経突起の伸びる方向に影響を及ぼすか否かを調べるために、神経細胞を一般的な方法(培養皿上の2次元培養)で培養し、神経突起が伸びる様子を観察しました。培養皿上に乗った神経細胞(図5A)を上から観察すると、1977年にミシガン大学のA・M・ヒーコック(A.M. Heacock)らが報告した通り、神経突起は右に曲がりながら伸びました(図5B)。これに対して、ミオシンVの働きを阻害して糸状仮足の回転速度を遅くした神経突起は、右向きの曲がりが減弱して直線的に伸びました(図6)。さらに、糸状仮足の回転速度と神経突起の曲率との間に正の相関があることを見いだし、糸状仮足を回転させることで神経突起が右に曲がりながら伸びることを明らかにしました。そのメカニズムは、右ねじ回転する糸状仮足が培養皿を左向きに押し、その反作用として右向きの力を受けるため、成長円錐が右にずれながら進んでいく、というものでした。
生体内の脳には、脳実質や髄膜(脳実質を覆う膜)などさまざまな組織があり、神経突起はこれらの組織と異なる強さで接着しています。培養皿と培養液の境界面に存在する培養細胞と同様に、生体内の神経突起も接着性が異なる組織の境界面を伸びていきます。このとき神経突起は、糸状仮足の回転を利用して曲がりながら伸びていると考えられます(図7)。すなわち、生体内の神経回路の構造も糸状仮足の回転の影響を受ける可能性が高いと推測できます。
今後の期待
神経突起が伸びるメカニズムを解明することは、胎生期の神経回路の構築や経験依存的な神経回路の再構築の仕組みを理解する上できわめて重要です。この研究成果は、神経突起の回転という意外な運動様式を明らかにするとともに、神経回路の成り立ちや機能にかかわる今後の研究に大きな影響を及ぼします。
例えば、糸状仮足が右ねじ方向に回転することで、左脳と右脳で神経突起が同一方向に曲がると、神経回路は左右鏡像ではなく非対称になります。左右非対称な神経回路は、左脳と右脳の機能分担に役立つと考えられており、今回発見した糸状仮足の回転は、脳の左右非対称性を生み出すメカニズムの1つと見なすことができます。今後、糸状仮足の回転を止める変異型ミオシンVの遺伝子を組み入れた実験動物を作製することで、糸状仮足の回転と左右脳の機能分担のかかわりを調べることができます。また、糸状仮足を逆方向(左ねじ方向)に回転させる変異型ミオシンVの遺伝子を設計することも理論的に可能となり、糸状仮足が逆回転する実験動物を作製して解析することで、脳科学分野におけるまったく新しい概念が創出されることが期待できます。
発表者
理化学研究所
脳科学総合研究センター 神経成長機構研究チーム
チームリーダー 上口 裕之(かみぐち ひろゆき)
Tel: 048-467-6137 / Fax: 048-467-9795
お問い合わせ先
脳科学研究推進部Tel: 048-467-9757 / Fax: 048-462-4914
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715
補足説明
- 1.神経突起
神経細胞から伸びる細長い突起で、電気的情報を遠隔部位に存在するほかの神経細胞や筋肉細胞などに伝える。神経突起の連絡網(神経回路)が、脳神経系の働きの中心的役割を担っている。 - 2.成長円錐
伸長している神経突起の先端部に形成される、アメーバ状の形をした構造体。細胞外に存在するさまざまな標識分子を感知し、正しい道のりを移動することにより、神経突起を目的の方向へ誘導する。 - 3.糸状仮足
神経細胞をはじめとする多種多彩な細胞が持つ細長い突出で、アクチン線維という細胞骨格が細胞を包む膜(形質膜)を外側に押し出したもの。伸長と退縮を繰り返し、細胞の運動に関与する。 - 4.アクチン線維
アクチンと呼ばれるタンパク質が直線上に連なってできる2本鎖の重合体。細胞の形態形成や運動に重要な骨組みとして働く。 - 5.ミオシン
筋肉の収縮など細胞が変形するためのモーターとして機能するタンパク質。ミオシンがアクチン線維と結合すると、両者の相対位置が変わる。例えば、細胞内で固定されたミオシンはアクチン線維を動かすことができる。
図1 神経突起と成長円錐の形態
成長円錐から多数の糸状仮足が伸びている。
図2 神経細胞の観察方法
(A)従来の方法
培養皿(水色)と液体培地(薄紫)の境界面に存在する神経突起を対物レンズの方向から観察する。培養皿にはり付いた細胞を観察するため、図1に示すように、成長円錐の形態と運動を平面的に捉えることしかできない。
(B)今回開発した方法
コラーゲンを含むゲル状の培地(濃紫)に神経細胞を培養し、対物レンズに向かって伸びてくる神経突起を観察する。成長円錐の形態と運動を立体的に捉えることができる。
図3 糸状仮足の回転を経時的に捉えた顕微鏡写真
図2Bに示す方法で、対物レンズに向かって進んでくる成長円錐の糸状仮足を100秒間撮影した。写真上のカラーの点は、1秒毎の糸状仮足の先端の位置を示す。それぞれの色は各々の糸状仮足を表す。観察者から見て、各々の糸状仮足は反時計回りに回転している。
図4 糸状仮足の回転を示した模式図
各々の糸状仮足は、成長円錐本体から見て時計回り(右ねじ方向)に回転している(赤矢印は回転の方向を表す)。
図5 神経突起は右曲がりに伸びる
(A)脳組織を培養皿(水色)の上に乗せて液体培地(紫)で培養したことを示す模式図。培養皿にはり付いた神経突起は右に曲がりながら伸びていく。
(B)実際に(A)の方法で培養したラット脳組織の顕微鏡写真。脳組織から伸びた多数の神経突起は右に曲がっている。
図6 糸状仮足の回転速度と神経突起の曲率の関係
糸状仮足の回転を止めたり遅くする種々の変異型ミオシンVを組み入れた神経細胞を用いて、糸状仮足の回転速度と神経突起の曲率の関係を解析した。グラフ縦軸は神経突起の右曲がりの曲率(数値が小さいほど直線的に伸びている)を表し、横軸は糸状仮足の回転角速度(A)あるいは速度(B)を表す。グラフ中の点(黒いダイアモンド)は、それぞれが異なる変異型ミオシンVを組み入れた神経細胞を示す。糸状仮足の回転が遅いほど、神経突起は右向きの曲がりが減弱して直線的に伸びる。
図7 生体内でも神経突起が曲がりながら伸びることを示す仮想図
脳は、接着性の異なるさまざまな組織から構成される。糸状仮足は、接着性の高い脳組織から大きな摩擦力を受けるが、接着性の低い脳組織との間に摩擦力はほとんど発生しない。このように接着性の異なる脳組織の境界面に存在する神経突起は、糸状仮足の回転運動が原因で、図のように曲がりながら伸びていく。