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「気候変動を、ともに生き抜く」。2018年に日本で誕生したアグリバイオ・ベンチャー、アクプランタ株式会社が掲げるミッションです。世界中で発生している熱波や干ばつ、豪雨といった異常気象は、農作物にも大きな被害を及ぼし、食糧問題を引き起こします。同社は、深刻な気候変動が進む世界で、科学の力で植物の持つ能力を引き出し、安定した食料生産を可能にするため取り組んでいます。
アクプランタ株式会社が世界に送り出した液体資材Skeepon(スキーポン)は、CEO代表取締役社長の金鍾明さんが理化学研究所研究員時代に発見した、酢酸で植物が乾燥に強くなるという研究成果を元にした製品です。基礎研究をもとにした確かな技術は注目を集め、世界中で実証実験が進んでいます。
世界各地で研究者や投資家、農家など、分野や立場の異なる人々と議論しながら研究成果の社会実装を進める金さんに、起業のきっかけとなった研究成果、ベンチャーのCEOという道を選んだ理由、そして目指す未来についてお伺いしました。
食糧問題解決の鍵は「お酢」!?
──アクプランタ株式会社の事業内容について教えてください。
アクプランタは近年、世界で問題となっている干ばつや高温による農業被害の解決につながる資材Skeepon(スキーポン)の研究開発や販売をしています。Skeeponは液体状の資材で、適切な倍率に希釈して散布することで、植物が乾燥や高温耐性を獲得することができます。すでに北海道や関東の農業現場で使われており、特に関東では利用がかなり広がっています。実は、東京で食べているキャベツやネギの生産現場の多くではSkeeponが使われているんです。
また、乾燥や高温問題がより深刻なアメリカの大規模な農場や、アフリカのウガンダの農場などでの実証試験も進めています。仕事の比率でいうと半分がアメリカ、あとは日本やウガンダ、オーストラリアに関する業務です。
──Skeeponの元になった研究成果について教えてください。
理化学研究所の研究員時代に植物を使い、乾燥や高温などの環境ストレスとエピジェネティクスの関係を調べていました。その際発見した「酢酸」が植物の乾燥耐性力に耐える力を引き出すメカニズムがSkeepon開発の元になっています。エピジェネティクスは、生物がもともと持つ、遺伝子のオン・オフの制御機構です。DNAの配列そのものを変化させるのではなく、DNAやその周りにあるタンパク質を修飾することによって遺伝子の働きを制御しています。
エピジェネティクスと環境ストレスの関係を明らかにするために、エピジェネティクス関連の遺伝子変異株を800株近く世界中から取り寄せ、高温や乾燥など様々な環境ストレス下で栽培し、その影響を調べました。その際、乾燥に抵抗性を示す変異株を発見し、細かく分析していくと、植物の中での酢酸合成に関わる遺伝子のスイッチ部分に変異が起きていることが分かりました。植物の中で合成され続けた酢酸が、乾燥ストレス抵抗性遺伝子群を活性化するというエピジェネティクス制御に関与していたのです。さらに、酢酸を外部から与えることでも同様の乾燥抵抗性が得られることも分かりました。これらの成果をまとめて2017年にイギリスの科学誌Nature Plantsに発表しました。
──酢酸はいわゆる「お酢」ですよね?植物にお酢をかけると乾燥に強くなるんですか?
そうなんです。このメカニズムは植物界全体に保存されていて、どんな植物でも酢酸によってエピジェネティックな変化が起きて乾燥耐性を獲得します。
ただ、この研究成果を農業に応用するには問題がありました。研究で用いた濃度の酢酸を散布すると葉が枯れてしまうんです。僕たちは技術開発を進め、こうした負の影響を起こさずに植物に乾燥耐性を付与することに成功しました。また、さらなる研究の結果、Skeeponは乾燥だけでなく高温耐性も付与することが分かってきました。
植物におけるエピジェネティクス研究を切り拓く
──金さんはこれまでどのような研究をされてきたんですか?
奈良先端科学技術大学院大学で酵母菌を使ってDNAの複製に関する研究をしていました。大学院を出た後は、その続きの研究をしようと考えて、アメリカのカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)とマサチューセッツ工科大学(MIT)の研究室にアプライしたんです。そしたら、翌日にはUCLAから「すぐに来なさい」という連絡が来て。
──翌日に連絡が来るなんてすごいですね!
実は、そのUCLAの研究室のボスにあたるマイケル・グルンスタイン博士が大学院のシンポジウムに来たことがあったんです。そのときに、僕がホテルから大学までの送迎を担当しました。とても有名な先生でノーベル賞候補になるような方だったのですが、当時の僕は何も知らなくて。それでも、何度も送り迎えをしているうちに、研究の話をしたりするうちに仲良くなって。そんなことがあったので、「UCLAで研究したい」と連絡したらすぐに受け入れてもらえたみたいです。とてもラッキーでしたね。
──植物の研究はいつ始められたのですか?
UCLAでは酵母菌を使ったエピジェネティクス研究を行っていました。論文をまとめるタイミングで、知り合いだった理化学研究所の関原明博士に「人を雇える予算があるから帰ってきてもらえませんか?」とお声がけいただいたのです。条件は「植物をテーマにすること」のみで、その条件を満たせばどんな研究をしてもいいというものでした。当時、日本には植物でエピジェネティクスの研究を行っている人がいませんでした。だから、自分がその分野を切り開こうと思って帰国することにしたんです。
僕が植物の研究を始めたのはこのときからです。大学で授業を取っていなかったので植物に関する知識はほとんどなかったのですが、周りの人にいろいろと教えてもらい研究することができました。これは、理研に行って良かったことの1つだと思います。様々な業績を持った最先端の研究員のみなさんたちとの普通のディスカッションは、まるで授業を受けているようなものでした。だから、分からないことがあったらすぐに聞きに行っていましたね。
「この技術を社会に活かしたい」という使命感が起業の後押しに
──Skeeponにつながる研究成果はどのようなタイミングで発見したのですか?
2005年に理研で働きはじめて、3年目に発見しました。最終的にNature Plantsに掲載されたのが2017年なので、発見から論文発表まで9年かかりました。実は、酢酸がエピジェネティックに作用して植物の乾燥耐性機構に影響を与えるというメカニズムは、これまで全く知られていない新しいものだったこともあり、発見を確実なものにするためにさまざまなデータを取りためていました。そして、論文発表の1年後、2018年にアクプランタを創業しました。
論文になった時点で酢酸が植物の乾燥耐性獲得に有効だということは分かりました。しかも、このメカニズムは植物界全体で広く保存されていたので、この発見の農業利用も期待できました。ただ実用化するには、先ほどお話ししたように、酢酸の扱いが難しかったんです。当時、『現代農業』という農業の専門誌に寄稿したときにも文末には、「この技術は新しくて可能性があるけれど、まだ農業現場では使えません」と書いていました。
大きな可能性を秘めているこの研究成果が、使えない技術のままでいることにもどかしさを感じ、社会で活かすためにはどうすればいいのかを考えるようになりました。
──どういう形で社会実装をしようと思いましたか?当時の選択肢を教えてください。
当時考えられた社会実装の方法は2つありました。1つは大学でのポストを得て、予算を獲得して研究成果の社会実装を進めるという方法です。ただ、当時は大きな予算を狙うことも難しかった。そこでもう1つの選択肢だったのが、研究ベンチャーを立ち上げることでした。
社会実装の方法について考えていた際に、友人がかけてくれた言葉に背中を押されました。その友人は、息子の小学校のパパ友として知り合ったのですが、プロスポーツチームの経営にも関わった経験があるような方で、「金さん、自分で起業したほうがいいんじゃない?サポートするよ!」と言ってくれたんです。
研究ベンチャーへの関わり方は様々あると思います。私は、自分がCEOになるべきだと思いました。人に任せてしまうと、技術の使い方が変わってしまったり、そもそも社会実装を実現できるかも分からない。自分自身が研究者の立ち位置から一歩踏み出してベンチャー企業の経営者として社会実装に挑戦することにしたんです。
──起業を決めたとき、まずは何からはじめたのですか?
僕のことを後押ししてくれた友人が、最初の出資者を紹介してくれました。経営共創基盤という会社なんですが、そこから投資を受けて実際に仕事がはじまりました。
自分が経営者になるためには、副業規定の兼ね合いで理化学研究所の研究員を辞める必要がありました。ただ、研究ベンチャーなのでラボが必要です。また、科研費(科学研究費助成事業。日本学術振興会が出している競争的研究資金)も持っていたので、その研究も続ける必要がありました。そんなときに、共同研究相手だった東京大学の先生に相談したら「特任准教授をやらないか?」とお声がけいただいたんです。それで東京大学にラボのスペースを持って特任准教授と、アクプランタの社長と両立するという今のスタイルができました。おかげで科研費は継続でき、基礎研究も進められて、社会実装を一歩前進させることができました。
それからは、研究開発と資金調達を行いながら会社の経営をしています。国内外での研究に加え、農業現場では実証実験のチャンスが年に1度しかないため、多額の経費がかかったり、投資の回収をロングタームで考える必要があったりと、資金繰りに頭を悩ませることもありますが、それは「そういうもの」だと考えて、腹をくくっています。
──資金調達に向けた投資家プレゼンはどのようなものですか?
資金調達のプレゼンは大雑把に言うと、投資家に対して、技術とその可能性について説明をして、利益が出る見込みがあるのでお金を出してもらえませんか?と提案することです。それを投資家側が判断して、投資の可否が決まります。今年の1月にはシリーズAラウンド(市場シェア拡大のため、マーケティングや製品改良などを目的とした本格的な資金調達)の資金調達を行い、3社から4.8億円の資金を集めることができました。
具体的なプレゼン内容は資金調達のステージによって変わります。ただ、一貫しているのは私たちの考え方やコア技術が「相手の心に刺さるか」ということが大事だと感じています。「金儲けは二の次で、まずは世の中のためになることが重要だと考えています。この技術を社会に広げた結果、お金も儲かるというのが科学者として本当にあるべき姿ではないでしょうか。この考えに共感してもらえるのであれば、投資をお願いします」といつもお話させていただいています。
──コア技術などの科学的な内容の説明の際に気を付けていることはありますか?
聞く側が研究者ではなく投資家だという違いはありますが、プレゼン自体は学会発表で聴衆に対して自分の研究がどうすごいか?を伝えることの延長線上にあるものだと思います。私の場合は、小学校とか幼稚園で子供向けに話をしたり、雑誌に寄稿したり、最近では農家さんの前で話したりという機会もあるので、自分の研究や技術を伝える際には、対象の方の興味やバックグラウンドなどを意識し、強調する内容を変えるなどの工夫をしています。
世の中に役立つ研究成果を社会実装する会社を目指して
──アクプランタがこれから力を入れていくこと、そして実現したい未来を教えてください。
まずは、現在の技術のブラッシュアップを進めていきます。乾燥や高温で困っている方にSkeeponを使っていただき、具体的にどのような規模で生産性を上げたり、課題を解決できるのか実証していきます。こうした実験は、すでに日本だけでなく世界中で進めています。一番大きな規模で進んでいるのは、先進的かつ大規模な農場経営が進められているアメリカです。アメリカは農家の規模が大きくて、実証圃場であるカリフォルニア州のある畑は30ヘクタール(1ヘクタールは1万平方メートル)ほどの広さでした。そこでSkeeponを使ってみたら収量が2倍になったんです。「あまりに効果が出すぎて、逆に信じられないから追試をしてほしい」と言われています。
一方でJICAの支援を受けてアフリカで進めている実証実験もあります。アフリカではすでに食料危機が大きな問題になっており、この先、より厳しい状況になる可能性があります。中でもウガンダでは現在、首相のフラッグシッププロジェクトの1つとしてSkeeponを使った作物栽培が進められており、食用のトウモロコシや商品価値の高いコーヒーなどで良い成果が得られています。また、食料問題以外に、森林回復など環境問題に関するプロジェクトも進んでおり、荒れてしまったマウンテンゴリラの生息地であるジャングルを復活させる試みも行っています。こうした取り組みを起点として、アフリカにもどんどん広げていく予定です。
Skeeponを使った技術が、乾燥への対応策として世界中のスタンダードになり、関わる皆さんたちの生活が安定していく、そんな未来を実現していきたいと思っています。
アクプランタをどのような会社にしたいですか?頭の中でさまざまな実験を描いています。それはSkeeponの派生形もあればまったく違うものもあります。世界中の農家さんや現場を回っていると、今までは見えていなかった切り口の研究のネタがたくさん落ちてるんです。ですので世の中のためになる植物科学やそれに基づく技術をアクプランタで研究開発して、研究成果を実用化しながら世の中を変えていく会社にしていきたいと考えています。
自分の感覚を信じて突き詰める、研究者の生き方
──金さんが人生の目標にしていることはありますか?
今の仕事って到達点がないんですよね。世の中も自分の状況もどんどん変化していきます。それに対して自分の技術や知識や能力を最大限に生かし続けることが重要だと考えています。最後、死ぬ間際になって自分が積み重ねてきたことに対して自分で納得できればいいんじゃないでしょうか。
──若手の研究者の方へメッセージをお願いします。
研究者として大事なのは自分の感覚を信じることだと思っています。研究をしていると自分の研究に対して「こうあるべき」「こうしないとおかしい」「こういう結果が出るはず」などと言われることもあります。ただ、そういう周りの意見に従いながら研究を行うと楽しくなくなってしまうのではないでしょうか。もちろん研究をしていくには協調性は必要です。それでも自分の感覚を信じて、楽しみながら実験し、発見していくことを突き詰める。それが自分のしたい研究を続けながら成果を残していく近道だと思いますよ。
金 鍾明 (Kim, Jong- Myong)
アクプランタ株式会社 CEO代表取締役社長
長崎大学水産学部を卒業後、奈良先端科学技術大学院大学にて学位を取得(博士:バイオサイエンス)。その後、カリフォルニア大学ロサンゼルス校分子生物学研究所で、酵母菌を用いたエピジェネティクス研究に従事。帰国後、2005年から理化学研究所植物科学系研究センターにて研究員となる。植物研究分野において、環境ストレスとエピジェネティクスをつなぐ研究分野を開拓。植物の環境ストレス応答における発見をもとに研究成果を素早く社会実装するために2018年にアクプランタ株式会社を設立。CEO代表取締役社長を務めるとともに、東京大学大学院農学生命科学研究科特任准教授を兼任。
(※所属などはすべて掲載当時の情報です。)
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