1.日本の重国籍禁止規定
日本人が、日本国籍を失う場合があることをご存じだろうか。
2023年9月、最高裁は、外国籍を取得した場合の日本国籍の喪失の規定を憲法違反であるとする海外在住の日本人の訴えに対し、この規定は合憲だと判断して訴えを退けた(注1)。2019年には、日米の二重国籍者であるテニスの大坂なおみ選手が日本国籍選択届を提出したことも記憶に新しい(注2)。
国籍をめぐるこれらの事案は、日本で重国籍が認められないために、国際的に活躍する日本人を失うリスクを浮き彫りにした。重国籍とは複数の国籍を持つことで、出生による場合や、後から外国籍を取得する場合に生じる。出生による重国籍は、子供が生まれたときに、複数の国がそれぞれ国籍を与える要件(大別すれば、国民の子に国籍を与える「血統主義」と、国内で生まれた子に国籍を与える「生地主義」がある)に該当する場合に得られる。例えば、米国で生まれた日本人の子は、日米の両方の国籍を取得できる。後から重国籍になるのは、長期間暮らしたり国際結婚をしたりして外国の国籍取得要件を満たす場合である。重国籍の多くは二重国籍であるが、両親の国籍が違い、さらに両親の国籍国と違う国で生まれた場合や、二重国籍者が後から他国の国籍を取得した場合には3カ国以上の国籍を持つこともあるので、本稿では「重国籍」とする。
冒頭の最高裁が支持した、一審の東京地方裁判所の判決(2021年1月21日)では、重国籍を認めない理由として、1人の個人に対し国籍は1つとすることが国籍の本質から導かれる概念だとした。また、重国籍の問題点として、1人の個人に対して複数の国の外交保護権が衝突すること、複数の国で兵役や納税などの義務が発生すること、複数の旅券を持つことで国境間の移動の管理が適切になされない可能性があることを指摘した。さらに、複数国で国民としての権利を享受する権利は、単一国籍者にない権利であり保護される権利ではないとした。日本政府も同様の立場で、重国籍を認めない方針をとっている。
しかし、この裁判の原告の訴えからは、日本人が、職業や家族の事情のために外国籍を取得しなければならない切実な状況が見えてくる。海外でも活躍する日本人が、こうした事情で外国籍を取得したからといって、日本国籍を奪うことは、本人の苦しみや不利益はもちろんのこと、日本にとり重大な損失ではないだろうか(注3)。
2.現状に合わない重国籍禁止
法務省によれば、2013年から2022年までの10年間で国籍を離脱または喪失した人は2万人を超える(注4)。その中には、本人の意に反して国籍を喪失した人も多く含まれる。また、多くの海外在住者が、日本国籍の喪失を恐れ在住国での国籍取得をためらっている。
日本人の重国籍者の実数は明らかではない。出生により重国籍となった日本人は約89万人、外国籍の取得で重国籍となった人は数十万人いるとみられる(注5)。海外在住の日本人の数は近年大幅に増え、2019年には、海外在住と申告している日本人だけでも約141万人(うち外国の居住権を持つ永住者は約52万人)に上った。1990年には海外在住者は62万人(うち永住者は約24万人)であったので、30年間に倍以上に増えている(注6)。外国永住者の約52万人が、潜在的には重国籍の必要性を有している。
重国籍を認める国は増加しており、世界の約70%に上る。その中には、特定国とのみ重国籍を認める国や、原則として認めないが特定の条件で認める国も含まれる。しかし、日本は重国籍を一律に禁止しているので、日本人が自らの意思で外国籍を取得したときは日本の国籍を失う。また、出生による重国籍者は、20歳までに国籍を選択する必要がある(注7)。さらに、現在の運用では、日本人が外国籍を取得すると、本人の届け出がなくても、それを当局が把握した時点で自動的に、弁明や変更の機会もなく、さかのぼって日本国籍が剝奪される。国籍を失うことで、国の保護を受けられず、入国や居住も制限されることを恐れ、重国籍の日本人はそれを申告しないので、政府が実態を把握できない。また、重国籍者は、発覚して突然国籍を失うリスクを抱えて暮らしている。
しかし、現在のように、日本人が外国籍を取得することはできるが、申告できない状況は、政府が重国籍を認めないとした理由である「各国の保護権の衝突」に起因する外交問題や、不明確な出入国管理のリスクを高めている。2023年のハマスによるイスラエル襲撃の被害者にイスラエルと第三国との二重国籍者が含まれていた事例のように、日本政府が懸念する「保護権の衝突による外交摩擦」よりも、双方の国籍国が被害者の身を案じる状況も十分あり得る。むしろ、日本人が、海外で人質になった際に初めて他国の国籍も有していることが判明するほうが、政府の初動対応に支障をきたし外交問題に発展する可能性がある。日本としては、「外国籍の取得時点で日本人でなくなったので保護しない」とすれば法的には整理できるが、それが国際社会からどう見られるだろうか。重国籍を認めて国籍や出入国情報を把握しておくほうが、政府の懸念が現実的に解消するのではないか。
海外での就職や結婚などにより、国籍が生活基盤の確立に極めて重要となる場合がある。就労や学術研究に当たり、国籍要件がある場合にはポストに応募できないこともある。また、コロナ禍で外国人の入国が制限されたように、今後も国籍がなければ家族のいる国に入国できなくなる可能性がある。外国人の永住権や在留許可は、国の決定で取り消されることもある。国際結婚した国民の妻に自動的に国籍を与える国もあり、この場合でも重国籍になり日本国籍を失う可能性がある。
このような個人の切実な事情に対して、「配偶者や子供と海外で暮らすために外国籍を選ぶのか、日本に住む父母の長期介護のために日本国籍を選ぶのか」という選択を突き付けるのが現在の日本の政策である。また、出生による重国籍者は20歳までに国籍を選択する義務があるが、20歳では決定能力こそあるものの、多くは就職もしておらず、今後どの国籍が必要かを判断するにはあまりに早い。
3.日本人を失わない未来に
このような状況を変えるため、重国籍を認める必要があると考える。米国のように一律に認めるのでなくても、ドイツのように、原則としては重国籍を認めないが、近隣国や米国との二重国籍の場合や、深刻な経済的損失が起きるなどの事情があれば、例外的に認める政策も取り得る(注8)。日本政府は、外国人が帰化する場合には、原則としては元の国籍を失うとしているが、その国の法律上、国籍を放棄することはできない場合には、特別の事情があれば重国籍のまま帰化を認めている。また、出生による重国籍者については、日本国籍を選択した後の外国国籍の離脱は「努力義務」とされていて、実際には行わない人も多い。これに比べて、出生によらず重国籍となった日本人からは国籍を剝奪するという扱いは極めて画一的・硬直的である。
裁判で示されたように、重国籍者が複数の国で入国や居住、福祉など国民としての権利を持つことは、保護に値しない「特権」なのだろうか。個人が複数国にアイデンティティや生活基盤を有することはもはや珍しくなく、その人が、それぞれの国の国民としての基本的権利を求めているに過ぎない。また、重国籍により兵役や納税などそれぞれの国の国民としての義務を負うことも問題だとされるが、これは現状でも起きている。兵役は多くの場合(日本の国籍選択義務年齢未満の)18歳から課されるので、出生による重国籍の日本人はすでに他国の兵役義務も負っている。また、納税や年金などですでに行われているように、国家間で協定を結ぶことも可能である。
グローバル化が進む中で、重国籍に関する問題は日本人の誰もが当事者になり得る。日本に住んでいても外国人と結婚するかもしれない。子供が外国籍を得たために、日本に帰れなくなるかもしれない。約30年後の2056年には日本の総人口が1億人を下回る(注9)。その一方、世界で活躍する日本人は増加している。日本人が日本でも海外でも活躍できるような制度を作ることは、日本の成長にとっても必要であり、重国籍の許可はその重要な一歩である。