リアリズムと防衛を学ぶ

本の感想などを書いています。

戦場に社会が見える

 「人類の歴史は、戦争の歴史だ」とはよく言ったものです。なぜなら戦争とは、社会の営みの延長線上にあるからです。戦争と軍隊のカタチは、その時代、その社会のあり方と分かちがたく結びついています。

 戦争の歴史を追うことは、戦争という切り口で、人類の歴史を追うことなのです。

戦争について知ること

 戦争や軍隊は、どこか一般社会から遠くかけ離れたもののように、とかく日本では思われがちです。 「日本軍事史」では、こう述べられています。

軍事とは、軍隊・軍備・戦争など、文字通り軍にかかわることをさす言葉であり、一般には敬遠さ
れることの多いテーマかもしれない。しかし、ここ数年の事態を持ち出すまでもなく、戦争や軍隊の 問題は現代に生きる私たち一人ひとりにとって、無関係でいられないものになっている。
…
平和と民主主義の大切さを考える時に、その対極にあるものを敬遠し忌避するだけでは不十分である。…戦争や軍隊の問題を、歴史的な文脈の中でもう一度考えてみる事が今こそ大切であるように思われる。

 まったくその通りです。

 ですが戦争を知るということは忌避されがちだし、また「戦場」を知ることだと誤解されがちでもあります。ある時代の戦争を知るということは、その時代の社会を学ぶことです。

戦争は、「戦い以外」でできている

また、軍隊が行うのですが、しかし、軍隊「だけ」で戦争をやることは不可能です。戦争は、その国、その社会のあり方によって生じてきます。政治や社会の延長なのです。

 戦争というと多くの人がイメージするのは「戦”闘”」です。しかし戦闘は戦争という営みの中の、ワンシーンに過ぎません。戦争という大事業のほとんどは、戦い以外でできており、社会と分かちがたく結びついています。

戦争は戦場のみのものではない。まして戦闘が行なわれる前線のみを見ていても戦争の全体はわか らない。

兵士はロボットではないから、たとえば腹も減るし、病気にもなる。死傷者も出る。もちろ ん物資の現地調達という方法もあったが、それも含めて兵糧や物資補給のための兵站という活動が必要になる。

医師や職人も軍団に動員され、兵士や武器の面倒をみる。また、兵士自身がどこからどのように供給されるのか、武器や移動手段はどうかなど、戦争をささえる条件も時代によって大きく異なっている。

あるいはまた、こうしたことを考えてくると、戦争は軍隊のみのものではないことに も気がつく。戦場の背後にあって戦争を成り立たせたさまざまな装置や仕組みが存在したのである。

 だから各時代の戦争のあり方、軍隊のカタチを知ることで、その時代や国の政治、経済、社会と技術の変化を知ることになります。

戦場の主役が、社会の主役

 松村元陸将補は著書「戦争学」のなかで「歩兵の時代と騎兵の時代」を分けて論じています。戦場で歩兵が優位にたつ時代と、騎兵が優位にたつ時代がある。ヨーロッパでいえば、古代ギリシャやローマは歩兵の時代。中世は騎士という名の騎兵の時代。フランス革命のころからは、また歩兵の時代です。(これはちょいと簡略化しすぎの説明なのですが)

 ざっくりいえば、歩兵の時代には市民が力をもち、騎兵の時代には貴族が力をもちます。民主政治は歩兵の時代に栄え、騎兵の時代には封建制でした。戦場を支配するものが、社会を支配したのです。

ギリシャの戦士(裸マントではない)

 ある時は、思想が社会制度を変え、社会のあり方が軍事制度を決定します。その思想、その社会がどんなに正しいものであっても、暴力で蹂躙されればおしまいです。思想があり、社会があっても、これに適した軍事技術がなければ、その社会は倒されます。

 古代ギリシャの都市国家。軍隊は市民たちからなる重装歩兵でした。この密集陣がペルシャの大軍を何とか凌いだことで、ギリシャの都市国家群と、その社会はペルシャ戦争を生き残りました。この戦争の一幕を快作アクション映画にしたのが映画「300」です。もっとも「300」の戦士たちが半裸に赤マント、武器は短剣という超軽装で、これはフィクション。

300〈スリーハンドレッド〉 [DVD]

 本物のギリシャの戦士は鎧を着て長槍をもっていました。

ギリシャ重装歩兵 紀元前4世紀

 これがタテヨコに列を作って戦います。貴族も、平民も、みんなで肩を並べて戦う。一人でも逃げたり、抜け駆けしたら、陣形が台無し。負担は平等で、英雄は不要。アーサー・フェリルの著書「戦争の起源」では、ギリシャの歩兵密集戦法はその社会に根付いたものだったと論じています。ギリシャ以前、エジプトなんかでは、すでに三兵戦術、古代のコンバインド・アームズが行われていました。歩兵、騎兵、弓兵を組み合わせた戦法です。しかしギリシャは歩兵、歩兵、そして歩兵。みんな等しい装備で、肩を並べて戦う軍隊のカタチが、ギリシャの社会のカタチの反映でもあったからです。

 しかし重装歩兵の密集陣より優位に立つ、歩兵・騎兵を両用するマケドニアの軍事ドクトリンが発明された時、ギリシャの歩兵は敗れ去ります。

騎士の時代

 ある時は、技術の進歩が、優勢な兵器を交代させます。その兵器をもっとも有効に使える階層や集団が軍事力を獲得します。彼らは社会の主導権を握り、新しい社会制度を作り、それを正当化できる思想を採用します。

 中世は騎兵の時代です。アブミの発明と馬格の向上といった技術革新で、騎兵の戦闘力が向上しました。強力化した騎兵は、戦場を支配します。すると馬を扱える職業戦士、騎士や武士といった戦士階級が軍事力を握ります。自然、社会の主導権を握り、封建の世を築きます。

ライフルと民主主義

アメリカとフランスの革命 (世界の歴史)

 近代民主主義の誕生は、啓蒙思想とライフルの発明を待たなければいけません。思想が社会を革命し、ライフルが戦場を革新しました。ライフルの特徴は2つ。第一に、とんでもなく強力。第二に、その威力を最大に発揮できるのは、大量に動員できて、かつ自分の命よりも国や民族のために戦う命知らずの国民軍だってこと。ライフル時代の戦争に勝利するには国民軍が必要で、国民軍を手に入れるには、まず「国民」を作り出さねばなりません。市民に権利を与え、国政に参加させ、さまざまなシンボルを用いて「俺たちは国民だ」という仲間意識を持たせることです。

 つまりは戦争に生き残るため、国のカタチを変えなければいけませんでした。ドイツの将軍グナイゼナウが端的に言い放ったように「国民が祖国を有効に守るべきだというなら、まず、国民に祖国を与えねばならぬ」のです。思想が社会の形を決め、社会が軍隊の形を改め、そして軍隊がそれに適した技術でもって、社会と思想に仇なす敵を圧殺しました。

軍隊を見ることで、人は何を見ているのか

誰も書かなかったイラク自衛隊の真実―人道復興支援2年半の軌跡

 戦争のあり方を左右するのは、その時代の軍隊のカタチです。そして軍隊のカタチは民主制や封建制といった政治体制に規定され、馬やライフルといった軍事技術に支えられます。ハケット将軍が述べたように「一つの国がその戦闘部隊を覗き込んでいるとき、それは鏡を覗き込んでいるのである。つまり鏡が本物であれば、その国が鏡の中で眺めているその顔は、その国自身の顔である」といっていいでしょう。

 近年、軍隊の、そして戦争の形は多様化しつつあります。山賊が自動小銃をもち、海賊がミサイルを放っています。テロリストが飛行機でビルに突っ込むかと思えば、環境保護団体が国家にケンカを売る時代です。テロと戦争、国家とそれ以外の差異は再び曖昧になり、戦争の定義と、世界の形はゆらぎっぱなしです。

 未来の戦争はどうなるのでしょう? 言い換えると、未来の平和はどうなるのでしょう?

 それを考えるためにも、過去の戦争について少しずつ調べていきます。日本については「日本軍事史」ほかを、ヨーロッパについては「ヨーロッパ史における戦争」ほかを参照しつつ、石器時代から近代以前までの戦争の流れを垣間見てみましょう。

参考文献

ヨーロッパ史における戦争 (中公文庫)
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日本軍事史
高橋 典幸 保谷 徹 山田 邦明 一ノ瀬 俊也
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戦争学 (文春新書)
松村 劭
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