「1年かけたマンガが、らくがきに負けた」上を見るよりも自分の評価を見る /カレー沢薫の創作相談
1年かけたマンガの評価が、らくがきに負けた
頂点に立つことはもちろん容易ではありませんし、そもそも創作というのは1番が決めづらい分野です。
世間的にマンガ家の頂点と言われる手塚治虫先生だって、才能を持った新人作家には花山薫のごとき握手で牽制してきたという噂があるぐらいです。
つまり、いくらベジータに「カカロット…お前がナンバーワンだ!!」と認められても、カカロットの方はその言葉に一瞬満足できても、次の瞬間には「だが最終的に18号と結婚したクリリンが勝者なのでは?」と、永遠にモヤり続けなければいけないのが創作という地獄なのです。
手塚神が神と呼ばれるのは嫉妬心や劣等感をパワーに、数々の名作を生み出したという点にもあると思われます。
よって、あなたもサーフィンを始める予定がないなら、もう一度やる気を出して、地獄からちょっとマシな地獄に出戻った方が良いでしょう。
「やってられるか」の理由
ただ「らくがきに半日で抜かれた」「内容より看板が重視されている」という言葉からわかる通り、あなたは「努力が正当に評価されてない」という理不尽さに「やっていられるか」という気持ちになっているのだと思います。
その認識は誤りです。
もし、看板だけで評価されているとしたら、その人はその「看板」をどうやって手に入れたのでしょうか。
初投稿で「あの神絵師ミミキンさんの新作やで! とりあえず秒ブクマや!」 となるわけがないのです。
どんなでかい看板を持つ神絵師でも最初は、誰も知らない新人描き手「ミミズキンチャク佐藤」なのです。
あなたが1本の作品を作るのに1年かけたように、看板だけで評価されている ように見える絵師も、「神絵師ミミキン」の看板を手に入れるために、それ以上の時間や努力をしていたりするものです。
つまり、努力以外が評価される理不尽な世界ではなく、割と努力が正当に認められる世界であり、普通に努力で負けたのですから、努力で勝てるはずなのです。
創作の世界が理不尽なのは「仕様」
本当にやっていられません、私も他にできる仕事があるなら今すぐ出て行きま す。
努力が大切なのは確かなのですが、同じ努力をしても才能により上達度がまるで違いますし、絵はともかくストーリーセンスはいくら努力しても身につかな い説すらあります。
また、内容が良くても知られる機会に恵まれず埋もれている作品や作家は山ほどいます。
エジソンも「天才とは99%の努力と1発のバズ」という名言を残しています。
あの言葉は「努力の方が重要」という意味で拡散されてしまいましたが、後に エジソンは「あれは1発バズらなければ99%の努力も無駄になるという意味 だったのに、変なとこだけ切り取られた」とTwitterでお気持ちをつぶやいていますし、「努力だけしてる奴はエネルギーの無駄」とまでつぶやいてすぐ消した説すらあります。
ただ、そっちのツイートの方は全然バズらなかったため、現在でも間違っている方が正しいとされており、奇しくも「バズの方が重要」であることを証明してしまったのです。
このように創作の世界が理不尽なのは、たけしの挑戦状が理不尽なのと同じで、もはや「仕様」。少なくとも理不尽だと感じやすく、やる気をなくしがちな設計であることは確かなのです。
逆に言えば「創作を始めたせいで理不尽な思いをして劣等感に苛まれている」と感じるのは「ホラー映画を見て怖かった」というのと同じであり、ある意味あなたは創作というコンテンツを適切に楽しめているとも言えます。
看板を手に入れるやり方を試す
しかし、あなたはやる気をなくしがちな世界で特にやる気をなくすやり方をしていると言えるので、スタイルを変えてみてはどうでしょうか。
まず「1年ほどかけて大作を完成させてアップ」というやり方は、非常に心が折れやすく、さらに今の時代にあっていません。
一つの作品に時間をかければかけるほど、それがダメだったとき無力感が大きくなりますし、自分より時間をかけてないように見える人気作品に劣等感を感じてしまいます。
また現在、特にネット上の興味は大変うつろいやすく、ミャクミャク様すら一週間ぐらいでTL上から姿を消しました。
どんな作品でも昔に比べ消費が非常に早く、制作に時間をかけるほど、昨今の消費者の早食いぶりに絶望し「ラーメン作るのに小麦から作った俺がバカみたいじゃん」みたいな気持ちになってしまうのです。
よって、一球入魂ではなく、1ヶ月に1本アップ、のように手数を増やしてみてはどうでしょうか。
有名YouTuberが有名になってもほぼ毎日動画を投稿しているように「短くても更新頻度が高い」というのは、消費が早い現代においては非常に重要なことなのです。
もし一発バズったとしても、即続編を描くなどしなければ、すぐに忘れられてしまいます。
あなたの1年かけた大作がもっとバズっていたとしても、次作が1年後ではその頃にはみんなあなたのことを忘れており、永遠に「看板」は手に入らないのです。
数を打つほど運良くバズるチャンスも増えますし、ほのぼのラブコメは3ブクマだったが、心中エンドは1000ブクマいったなど、自分の武器は何かを知るマーケティングにもなります。
看板に不公平を感じるなら、あなたもまず看板を手に入れるやり方をしてみてはどうでしょうか。
何より、制作コストを抑えることにより、かけた時間に対する虚しさや、らくがきのように見える作品への憤りを軽減することができ、完全なる不発を生み出しても気持ちの切り替えが早くなります。
上を見るのに飽きたら自分を振り返る
また上を見て落ち込むのは仕方がありませんが、上を見た後は改めて自分の位置に戻るようにしましょう。
創作というのは本当に上を見ればキリがない世界であり、無力感や劣等感を感じようと思えばいくらでも感じることができます。
私も自分の単行本が1000部重版された喜びをつぶやくためにTwitterを開いたら、出会い頭に他の漫画の「累計1000万部突破!」情報と正面衝突など日常茶飯事です。
そんな歴然とした才能と実力、数字の差を見せつけられてもなぜ正気で漫画を描き続けられるのかというと、正直正気ではいられないのですが、上ばかり見るのもそのうち飽きるし、何より首が疲れます。
ひとしきり正気を失い、1000万部作家に生霊を飛ばし、それに飽きたころ自分の1000部重版や、数は少なくとも応援してくれる人や応援してくれる人の幻覚に目を向けると、「そうは言っても自分も捨てたものではない」という気持ちになれるものです。
よってあなたも巨大看板の神絵師に憤り飽きたら、自分の作品についたブクマや肯定的な感想などを再度見直してみれば、自分のやってきたことは完全に無駄ではなく、これだけ評価されるなんて大したものだと思えるのではないでしょうか。
創作をやる以上、劣等感や妬み嫉みからは逃れません。
ただ劣等感はさっさと出しつくし、賢者モードで自分の位置に戻ってくる、早漏ムーブを心がけましょう。
どうしたらこのような劣等感に苦しまなくて済むのでしょうか。