白血病ウイルス性肺炎のため12月20日(水)に死去したお笑いコンビ、カンニングの中島忠幸(なかしまただゆき)さんの相方、竹山隆範が21日(木)深夜、レギュラーで担当しているTBSラジオ『JUNK2 カンニング竹山 生はダメラジオ』に生出演。「中島と20代、30代前半と素晴らしい“青春時代”を過ごせました」と、亡き相方へのこれまでの思い出を語った。
番組開始の深夜3時の時報と共に「こんばんは、竹山です」と挨拶した彼。その後、24分間にわたりこれまでの経緯を説明。「(白血病発覚当時の)2004年は、多忙で日々寝ない生活が続いてた。マネージャーを含め皆、体調が悪かった」と振り返った。その後、「ある時、ロケバスから(中島が)起き上がれなくなり、慌てて病院で診察してもらった」と、リンパ性白血病が判明するまでの様子を淡々と語った。
その後、今年に入り2度の『臍帯血移植』を実施。移植によって、血液型もO型からA型に変わるなど、辛い闘病生活が続いたが「とにかく(復帰できるよう)応援していた」。今年8月の退院以降には、中島の趣味である釣りにも竹山が一緒に出かけたり、2歳になる息子と公園で遊びながらリハビリを開始。10月に2人で会った時には「来年の1月か2月には、ネタを作らないと(来春の復帰に)間に合わない!」や「同じ病気と闘っている人に、(完治したら)何かやりたい!」と話していたという。
生放送のなかで竹山は、何度も「正直、悔しい」という言葉を繰り返した。それだけ“無念”の思いも強い。そんななか、収録現場では先輩芸人の島田紳助から「お前が一生懸命働くことで、中島の存在も忘れられないし、供養にもなる!」とアドバイスを受けたことも明かした。
このほか、番組中には森三中の黒沢宗子、くりぃむしちゅーの有田哲平から「ラジオを聴いている!」といった内容のメールも紹介。最後には「もう一度、しっかり“やったる!”って思っている。もう、俺をかわいそうな目で見るのはやめろっ!」といつもの“怒鳴りキャラ”が戻った竹山。まずは、自身が「コンビとして最後の仕事」と位置づけている今週末の通夜、葬儀に全力を傾ける。
■「ライター烏賀陽弘道氏への提訴」について
番組開始の深夜3時の時報と共に「こんばんは、竹山です」と挨拶した彼。その後、24分間にわたりこれまでの経緯を説明。「(白血病発覚当時の)2004年は、多忙で日々寝ない生活が続いてた。マネージャーを含め皆、体調が悪かった」と振り返った。その後、「ある時、ロケバスから(中島が)起き上がれなくなり、慌てて病院で診察してもらった」と、リンパ性白血病が判明するまでの様子を淡々と語った。
その後、今年に入り2度の『臍帯血移植』を実施。移植によって、血液型もO型からA型に変わるなど、辛い闘病生活が続いたが「とにかく(復帰できるよう)応援していた」。今年8月の退院以降には、中島の趣味である釣りにも竹山が一緒に出かけたり、2歳になる息子と公園で遊びながらリハビリを開始。10月に2人で会った時には「来年の1月か2月には、ネタを作らないと(来春の復帰に)間に合わない!」や「同じ病気と闘っている人に、(完治したら)何かやりたい!」と話していたという。
生放送のなかで竹山は、何度も「正直、悔しい」という言葉を繰り返した。それだけ“無念”の思いも強い。そんななか、収録現場では先輩芸人の島田紳助から「お前が一生懸命働くことで、中島の存在も忘れられないし、供養にもなる!」とアドバイスを受けたことも明かした。
このほか、番組中には森三中の黒沢宗子、くりぃむしちゅーの有田哲平から「ラジオを聴いている!」といった内容のメールも紹介。最後には「もう一度、しっかり“やったる!”って思っている。もう、俺をかわいそうな目で見るのはやめろっ!」といつもの“怒鳴りキャラ”が戻った竹山。まずは、自身が「コンビとして最後の仕事」と位置づけている今週末の通夜、葬儀に全力を傾ける。
■「ライター烏賀陽弘道氏への提訴」について
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2006/12/22