2019年に再始動し、第5期としての活動が早5年を迎えるWANDS。バンドのレガシーを受け継ぎながら、独自のアレンジを加え、新しい音楽を追求して走り続ける柴崎浩(G)と上原大史(Vo)に、今だからこそ語れるこれまでの道のりと葛藤について話を聞いた。
――第5期WANDSにとって5年の節目(2019年11月17日・ライブイベント『DFT presents 音都 ONTO vol.6』で始動)ということで、この5年がどういうものだったのか、おふたりがどういうマインドでここまで進んできたのかをじっくり伺えればと思っています。ひとつ象徴的だったのは、5月31日に『THE FIRST TAKE』で「世界が終るまでは…」が公開されて、あの非常に好意的なリアクションというのはひとつの峠を越えた、何か乗り越えたものがあるんじゃないかと僕は感じたし、おふたりのなかにも何かを背負ってくることができたという実感を得られるものだったんじゃないかなと思うんです。まずはざっくり聞いちゃいますが、おふたりにとってこの5年はどんな5年だったんでしょうか。
柴崎浩(G) 一個ずつ踏み締めながら歩いてきたような、そんな感じですかね。僕が90年代に在籍してた頃とも変わらない年数が経っているんだけれども、ゆっくりゆっくり歩いてきたかなと。
――WANDSは何をやってもいいアーティストとして進んでこれたわけではなくて。守らなきゃいけないものがあったし、期待されているものもあった。今のメンバーにしかできないことを追求する前提ももちろんある。さまざまなバランスを考えなくてはいけない、重い宿命を背負ったバンドだと思うんです。その観点で、歩みを振り返っていただくといかがですか?
柴崎 始動して、これから新しい曲を作っていくとなった時は、今おっしゃったようなことを考えたほうがいいのかなとか、振り返って曲を聴いてみたりもしたんですけど。でも、曲をリリースし、ライブをやって、SNSでファンの方々の考えを目にしていくうちに、あまり縛られないほうがいいという結論に至ってきて。
――上原さんはいかがですか、この5年。
上原大史(Vo) 右も左もわからないというところからスタートして。皆さんの知っているWANDSを継承するというプロジェクトになるのか、引き継ぎつつも新しいWANDSとしてやっていくのか、明確なビジョンはなく、なんとなく始まったんですよね。2、3年経った頃に第5期の今のWANDSのスタイルで人気になれたらいいなと始めて、少し形になってきた。第5期としては失敗ではなかった、成功には入っているのかなと。もう5年となろうとしている今に、偶然かもしれないけど「世界が終るまでは…」を『THE FIRST TAKE』で録って、それが受け入れてもらえたような感じがあって。もちろん、気に入らない人は延々と気に入らないと思うけど、でも思っていた以上の反応をもらえて、5年目にしてある種の振り出しというか、スタートに戻ったような感覚もありましたね。いい形でのスタートに戻ったというか。
――うんうん。
上原 何かいいことにつながるようにと思いながらやってきて、でもそれを忘れるくらいのパンチがありましたよね。一方で少し虚しさのようなものもあったんですけど、結局5年やってこれか、みたいな。正直そういう気持ちはなくはなかった。だけど、需要があるのはいいことであって。自分の理想よりも、需要のあることをやっていくべきだと思う。WANDSにおいて個人の野望を抱くのは、ちょっと違うんだろうなと。5年経って、受け入れてくれる人もいるわけで、とにかく需要のあるものをやっていく。それがどういう結果になるのかは、自分にも誰にもわからないし、変な幻想を抱くより、今自分に求められていることを、楽しんでやっていければいいなという境地に至った感覚ですね。これがいい、あれがいいというわがままを言ってもしょうがない。今の需要があることがありがたいと思う。足るを知るというわけではないけど、そう思ってますね。
――今のお話を「葛藤」という言葉にはめてしまうとあまりにも簡単になってしまいますけども。
上原 そうですね、あがいた結果ですね。このプロジェクトは、そもそもそこからスタートしていて。過去は切っても切れないもの。最初は「世界が終るまでは…」は全然歌えなかったし、評判としても「ひどい」という声が多かったですしね。でも、それが今『THE FIRST TAKE』できれいな再スタートになって。5年経ってやっと土台ができたのかな、と。
――この5年、ニヒルになろうと思えばいくらでもなれたと思うんです。「これをやっていればいいんでしょ?」という開き直りですよね。でも、上原さんの歌、今のWANDSが作るものはニヒリズムに甘えない、とても強い構築物になっていると思う。その沼にハマったらそれこそ音楽を続ける意味がない、負けじゃないかという。その歩みを見ていると、自分たちを健全に走らせる――ギリギリ健全に走らせるという言い方が正しいかもしれませんけど――そういう特殊なバランス感覚、自己肯定の力があるんじゃないかなと思ったんです。
上原 波がありましたよね。自分は何度も撃沈したことがありますけど(笑)。すごいやる気になっても、ただ空回ったりが続いて、ほんまに辞めたいわ、ということが正直何回もあって。辞める勇気がなかったっていうのもありますけどね、ここで辞めたら逃げたことになるし。「頑張ります」って言ったくせにもう辞めるんだって思われるわけで、それは自分としても情けない。
ただ何より、第5期WANDSの活動を楽しみにしてくれているファンの発言や、ライブでの表情を見たら、辞めるわけにはいかないって、こんなに喜んでくれる人がいるんだって思って、踏みとどまれました。そうやっていくなかで楽しさを見出せて。純粋に歌うのが楽しいということもあるし、ここでしか味わえないものや、色んな刺激が、間違いなく自分の成長につながった。そういう価値があるから――もちろんイヤなこともありましたけど、頑張れたのかなと思います。
――その戦いですよね。自分との戦い、周りとの戦いという。
上原 このバンドならではの葛藤が、何年経ってもありましたね。2年、3年やったらなくなるかなと思ったんですけど、たまたまイヤなコメントを目にして「そうだよなあ」って第5期の存在意義がわかんなくなっちゃったり。どうしてもマイナスな部分を見てしまって、でもやっぱり冷静に考えて、これだけの人に、こんなに喜んでもらえるなんて、こんな素敵な事はないと思うし、いいところ悪いところが極端にあるんですけど。
――柴崎さんは、いつも隣で上原さんの戦いを見てきて。どう見つめていたんですか?
柴崎 僕は上原と同じような立ち位置に置かれたことが無いから、上原のしんどさはわからない。だけど、このプロジェクトに飛び込んでくる勇気のあった人だから「うまく乗り切ってくれ」という思いもあって。上原と一緒にやっていて思うのは、新しい曲を生み出すたびに感動があって、それがめちゃくちゃ楽しくて。それをずっと続けてきて、ファンの人にも共有したい。結局それがいちばん大きいんです。上原が「WANDSでしかできないことがある」って言ってましたけど、ほんとうにそれはあるし、WANDSならではの楽しさもあると思うし、それは僕にとってはすごく嬉しい言葉で。いつかそんなふうに思ってくれたらいいなと思って、活動してきましたね。
――隣で支えながら、ここを耐えてくれ、越えてくれと願うという。
柴崎 うん。辛いこともありつつも、楽しさとか充実感があったら救いがあるじゃないですか。悪いことばっかりじゃない。いいこと、楽しいことが増えたらいいなという思いはありましたね。
――最初は複雑だったと思うんです。もちろんファンのなかにあるものを大事にしなきゃいけないし、窮屈な型もあったでしょう。それは宿命なのだから背負うより仕方がないものでもあるんだと思う。でも、今の上原さん、今のWANDSにはその窮屈さは感じない。もちろん過去から続く代表曲はあるけれど、今のWANDSとして自由なかたちでやれるようになっていると思うんですよね。何かのタイミングでブレイクスルーできたんだと思うんです。きっかけめいた時期はいつだったんでしょう。
上原 いろんなきっかけがあると思いますけどね、歌い方に関しては、「WANDSの歌い方」ができていなかったし、真似してやってみたり、いろいろやりながらも結局限界がくるんですよね。1曲だけならなんとかなるけど、ワンマンライブとなるとどうしても無理な発声をしていたし、喉をやっちゃって歌えなくなったりする。打開策を考えながら、そのうち自分の色も出てきて。あまり気にせずに歌いやすい方法でいいんだと気づいたんです。みんながイメージする、WANDSらしいニュアンスを足すだけでよかったんだなって。ベースは自分でいいんだって思えた。最近は意識してないけど、スパイス的にみんながイメージするWANDSの要素を入れて。それは、僕も子どもの頃から何度も聴いてきた上杉(昇/第1、2期ボーカル)さん、そして和久さん(二郎/第3期ボーカル)のボーカルによるもので、WANDSという名前から湧いてくるイメージだとは思うけれど、基本的な発声は自分の発声で。そしたらより本領が発揮できるようになって。
その結果、好意的に捉えてくれる人が増えて「良いボーカルらしい」みたいな空気になってきた。そのおかげで自信を持ってパフォーマンスできるようになったと思います。あとやっぱり風潮ってのはすごいあって、僕が入った時は、どちらかというと僕を褒める人が浮くような風潮だったけど、それが今は逆に「いいよね」っていう風潮で、むしろ貶す方が浮くみたいな空気というか…(笑)。みんながそういう雰囲気を作ってくれたと思う、ありがたいです。
柴崎 彼はボーカリストだから、発声や歌唱については曲を聴けば細かくわかると思うんです。でも、専門家ではない人からしたら細かい違いはわからない。彼のバランスでライブを重ねてきて、お客さんがいいねと言ってくれるようになって。その積み重ねなのかな。オリジナル曲も存分に自分(上原)のやり方で認められてきて。
――そのチューニングというか。自分のやり方とギリギリのバランスを混ぜ合わせながら走り続けることができたという。それはすごいことだと思うんですよ。上原さんは「風潮」と言っていましたけども。
上原 (笑)
――風潮は風潮だけれど、間違いなく自分の力で作った風潮ですよね。
上原 難しいんですよ。競走馬がいないから、評価を下しにくい。バンドが売れる、売れないだけだったらわかりやすい。でも、対戦相手がいないというか、ひとりゲームをやっている感じで。どういう採点になっているのかが難しい。勝ち負けがない。今評価されているのは、僕だからなのか、違う誰かでもできたのか、考えることがあるんですよね。自分じゃなかったらどうだったんだろう、違う人がもしやっていたらどうだったんだろう、僕より成功していたのか、僕のほうがよかったのか。今でもそう思うことはあります。素直になれないというのはあるんですよね。一部の人から言わせれば「(成功したのは)WANDSだからでしょ?」「『世界が終るまでは…』があるからでしょ?」ということであって。そしてそれは間違ってないんですよ。
――たしかに間違ってはいないですよね。
上原 そう。僕のなかにもそれを問う自分がいて、褒められても半分は「この曲だからな」と思う自分がいて。『THE FIRST TAKE』も、僕の声だから伸びた再生回数ではなくて、「世界が終るまでは…」の再生回数でしょ、と思う自分がいる。その葛藤は、この曲を歌っている以上、永遠にあるものだと思いますね。これを解消するには、第5期で超える曲を作らなきゃいけない。でも、この曲を超えるってもう無理なんですよ(笑)
――そうですね。
柴崎 (笑)
上原 だから、そこについてはすでに詰んでるんですよ(笑)
――はははは!
上原 そこは自分なりに消化するしかないんですよ。ついてまわるものではある。何十年やっても、原点に勝つのは不可能なんですよ。超えた、みたいなことはないので。伝説であって、負けるしかないですからね。抗えない運命というか。
――この葛藤は、この世界でも――。
上原 そう誰にも共有できない葛藤なんだと思うんですよね。
――上原さんは強い人だから今もこうやってお話してくれましたけど、この歩みは本当に戦い以外のなにものでもなくて。今のポジションを5年かけて作ったというのは、本当に残すべき絶対の価値を持った戦いだったと思うんですよね。
柴崎 そうですね……。上原の心の変動はきっとすごかっただろうな、って。いろんなことを思うわけだから本当に疲れるだろうし、モチベーションの変化もあるし。だから、新しい曲やライブをやることでWANDSの楽しさをなるべく多く作り出せるように、その楽しさを積み上げたいし、そういうことしかできなかったですね。
――「もう辞めようか」と思った時に、おふたりのなかでやり取りはあったんですか?
上原 それを柴崎さんに言うのは、本当の最後だと思うので、言わなかったですね。スタッフにも言ってなかったので、勝手に思ってました。
柴崎 始めてから数年後に、上原に「WANDSに入って失敗した」とは絶対に思わせたくなかった。「いてよかった」と思ってくれないと悔しいという思いはずっとありましたね。
上原 僕が素直に喜べないのは、上杉さんの存在もあって。『THE FIRST TAKE』で「世界が終るまでは…」が評価を得て、コメント欄で僕のことを褒めてもらっているのは嬉しいんですけど、評価を受けたいと思う自分もいる反面、評価を受けたくないと思う自分もいる。みんなは評価してくれるけれど、歌詞を書いたのは上杉さんで、ヒットさせたのも言わば上杉さんと長戸(大幸)プロデューサーなわけじゃないですか。それをお借りして歌って、評価されるというのも、違うと思う部分があるんですよね。半分虚しい気持ちになる。自分が上杉さんだったら、この状況を素直に喜べるんだろうか、そう考えてしまう。ご自身が辞める直前の曲ですし、この魂の入った曲を若い兄ちゃんが歌い、評価されるとして、それは果たして正しいのかなと。だから僕自身褒められて嬉しいと思う気持ちと、褒められれば褒められるほど虚しくなるというジレンマがある。呪われてるんだなと思う時もありますけどね。
――そうですよね。「呪い」というのは正しい言葉かもしれませんね。
上原 「だから、素直に喜べないんですよね。第5期WANDSとしては成功だと思うけど、100点満点での成功というのがどうしてもできないんじゃないかなっていう。
――その葛藤は本当に世界で唯一無二のものですよね。
上原 僕はボーカリストで、自分で曲を書くし、歌詞を書く大変さもわかるからこそ、何に感情移入するかって言うと――もちろんヒットした時のご本人の気持ちはわからないですけど――歌うたびに歌詞を書いた人のことを思う。「オリジナルよりいい」っていうコメントを見ると、それは本当にやめてくれと思いますよ。
柴崎 そこまではわからないもんな。
上原 むしろ「上原なんか辞めろ」って思ってくれたほうがいいとすら思うこともあって。受け入れないでよって。でも、エンタメなんですよね。制作者の苦労を汲んでもらうのは難しいってわかってますけど、永遠にモヤモヤするところではあります。そういう後ろめたさみたいなものがあるんですよね。
――でも、その後ろめたさがなくなったら、本当に辞める時なのかもしれないとも思うんですよね。勝ち負けのないものにどれだけ向き合いきれるのだろうかということの勝負であって、今開き直って、「これは俺の曲だ」なんて主張するほど上原さんは傲慢な方ではない。この戦い方は、すごく人を惹きつけていると思うんですよね。今ポジティブな声が多いんだとすれば、他の誰にもやれないことをやり続けてきて、その戦いをして「今のWANDSはいい」ということなんだと思います。そして、「オリジナルよりいいなんて言わないでくれ」というのは極めて知性的で、シビアで正しい観点からの言葉だと思う。だからこの人はWANDSで歌えるんだなと納得させるものがあって。この人だからこそ、5年間戦えたんだなあとあらためて思います。
上原 ありがとうございます。
――この5年間、上原さんを支えたものがあると思うんですよね。辞めたいと思った時も、看板を下ろしたいと思ったときも。それを支え続けた唯一のものがあるとするならば、きっとそれはご自身が信じている、ご自身の実力だと思うんです。自分の歌が届き切るまでは辞めないという。
上原 自分ではわからないですね、そこは。いろんな要因があると思うんですよね。柴崎さんの人格もね。それは大きかったですね。プレッシャーをかけるわけでもなく、やりやすい環境を作ってくれましたからね。自分の歌はね、自信がなくなったりすることもあったし。上を見たらキリがない。自分よりも若くて歌が上手い人はいっぱいいますし。好みの問題もあるんでしょうけど、ボーカリスト目線で自信がなくなる場面はあって。
柴崎 でも、上原は一個一個丁寧に向き合おうとしてた。それが昔からのファンも認めてくれているところで。そういう態度も見ている人は見ている、歌のいい、悪い以外にもね。上原じゃない人がやっていたらどうなっていたかって言っていましたけど、これは本当に大変な作業だよなって思います。
上原 でも、まだ5年なんですよね。長いのか短いのかわからないですけど。ただWANDSのボーカルで歴代最長になったんですよね。
柴崎 ああ、そうか。
――そうなんですね。
上原 それは、胸を張れるひとつの鎧になるかなって。僕にとってのゴールを何にするかというと……、僕たちがどれだけ評価される、されないという話ではなくて、このプロジェクトで誰がいちばん大きい存在なのかというと、僕の中では今も上杉さんなんだと思うわけです。WANDSにとっては神様みたいなもので。その人の気持ちをないがしろにしてはいないか?と考えてしまうところがどうしてもあるんですよ。いつか何かのきっかけでそこをスッキリできたらいいなと思ってるんですよね。
――やり続けるしかないですよね。それ以外にひっくり返し方はないという。
上原 そうですよね。
――『THE FIRST TAKE』を聴いていてなおさら思ったんですが、上原さんの歌は――技量的にはプロフェッショナルですし、ご自分の歌い方ももちろんありつつ、より寄せて歌おうと思えば歌えると思うんです。
上原 寄せようと思ったらね。
――ええ。言ってしまえば、いつも同じように。でも、上原さんの歌は、いつも違うものだなと感じるんですよね。
上原 ああ、そうですね。
――技量がある。同じ歌を歌うことはできる。でもそうしない。それがすごく不思議だったんですよ。
上原 気分ですよ(笑)
――気分なんですか(笑)。僕はお話を聞いていて、いつも違う葛藤があるから、同じ歌にはならないんだと思ったんですよね。
上原 どうなんですかね。
柴崎 本人は「気分」って言ってるけど、それがすごくテイクに正直に出るボーカリストなのは間違いなくて。これは前にもあったんですけど、まず仮歌を思うがままに歌って、徐々に調整していくんじゃなくて。上原の歌は「歌ったらこうなりました」っていう歌なんですよね。だから、(仮歌を録って)ちょっと時が経ってからレコーディングすると、全然違う歌になっていて。「前のほうがよかったんだけどなあ」みたいなことがあって(笑)
上原 はははは!
柴崎 2ヶ月前に録ったものと今録ったものが違うから、どんな気持ちで歌ったか思い出せないみたいな。そういうことは本当にあると思う。ライブのリハをやっていても、この人は生きたミュージシャンだなって感じますからね。そのへんの魅力がお客さんにも伝わってると思うんです。『THE FIRST TAKE』も、考えたり気にしなきゃいけないポイントはあったと思うし、今、第5期がやろうとしていることをあの1曲で知ってくれる人もいると思うし。そういう人たちにどのくらい認めてもらうのか、あるいは自分の魅力をどれくらい出さなきゃいけないのか。その複雑な表現をうまいこと計算でやるのは難しい。個人的には、オリジナルの「世界が終るまでは…」を求めている人のことを考える分量は、もっと少なくてもよかったのかなって思ったりもする。最近のライブでやってる感じでもよかったのかなと。でも、言うは易しで、あの独特な緊張感のなかでは丁寧に丁寧に歌うしかないから。だから、落としどころとしてはすごくいいテイクだったのかなと思いますね。
上原 でもそこまで考えられてなかったですね。単純にあの環境で、キュッとなっちゃった(笑)。やっぱりライブ会場とは違いましたね。そもそもレコーディング苦手なんですよ。最近はひとりでレコーディングするんですよ、誰もつけないで。緊張に弱いんですよ、ボーカリストなのに。だからたまたまですよ。何も考えずにやろうと思って。評価のことも何もかも忘れて、普通にいつも通り歌おうとして。その結果があれですね。狙ったところで狙えないっていう感覚で。いいと思う人もいるだろうし、悪いと思う人もいるだろうし。好きな人も好きじゃない人もいるから、そこをどうやって考えて届けても同じだろう、と。
――いつも通りに歌ったわけですよね。いつも通りだったとするならば、その「いつも通り」がある意味の到達点にきたというか。その証明だったと言うことはできるんじゃないですか。
上原 そうですね、何回も歌ってますからね。最初は本当に苦手な歌で。最初のお披露目ライブ(2019年11月17日@堂島リバーフォーラム)で失敗して、それでトラウマになっちゃったんですよね。あのイントロが鳴るだけで、心臓がきゅうってなる。緊張すると筋肉が強張って、喉が締まって声が出なくなって、歌えなくなるっていう負のループになる。今でもふと思い出すんですけど、あの時が蘇る。でも、回数で抜けていった気がしますね。家ではもう1000回は歌ってると思うし、とにかく記憶の上書きでした。成功を増やしていくことで自信に繋げるしかない。
――「気分」と言ってくださったじゃないですか。柴崎さんから見ても、気分が反映されるボーカリストだと。「気分」っていうのはいい言葉ですよね、「気分で歌ってます」って。
上原 寄り道が好きなんですよ。上がるか下がるのか、ミックスボイスなのか地声なのか、どっちかなーってふわっとしてますね。歩いていてルートがいつも違うっていう」
――でも、それがこの看板の背負い方だったんじゃないですか。要するに、ひとつ何か正解を作り出してそれを永久にやり続けるということではなくて、今日の自分、明日の自分、明後日の自分が重い看板を背負っていくだけという。
上原 そうかもしれないですね。そもそもの最初の正規ルートにいたのは僕ではないし、その時点ですでに寄り道がスタートしてるわけで、モノマネじゃないから、結局ふわっとしたままやり続けている。その日によって違うというのは、だからなのかもしれないですね。それが、このバンドの色なのかもしれないです。
――なぞらなきゃいけないと思ったトラウマライブから、気分に任せていると言えるこのマインドの変化までの道を、上原さんご自身に説明してもらうとしたら、どうなりますか?
上原 それはやっぱり、認めてもらえることが増えたから。素直に「いい」と言ってもらえることが増えたからですね。第5期のファンという方たち、味方がたくさんいるというのは大きい。第5期始動当時はゼロだったわけじゃないですか。みんな、かつてのWANDSが好きなだけで、僕が歌うWANDSのファンはゼロですよね。だから、自分の好き勝手に歌って「いい」なんて言われるはずがなくて。でも、今は少なからず応援してくれる方はいてくださるわけですよ、僕が好き勝手歌った歌を「かっこいい」と言ってくれる人が。誰かに似てるというわけではなく、「かっこいい」と言ってくれる人たちがいるから、その人たちがいればいいっていうのはありますね。だから、好きにやれている。100人中100人全員が「違う」と言うわけではない。それは5年間でやってきた結果だと思うし、自分も新しい方法で歌ってきて。それで「いい」と思ってくれる人も増えて、喜んでくれる人もいる。伝説のWANDSとはある種別というかね。上原大史のファンもいてくれる。
――次のツアーも始まりますしね。『THE FIRST TAKE』の評価もあり、第5期WANDSにとって、またひとつ乗り越えられたものがあったうえでまわるツアーであって、今までのツアーとはまた違う実感を集めに行くツアーなんじゃないかなと思いますね。
上原 どうなんですかね。でも、この『THE FIRST TAKE』の盛り上がりがライブの動員に直結するかというとあんまり(笑)
――ははははは! まあまあ。
上原 あれを観て「いい!」と思ったからライブに行くかと言われると、たぶんほとんどの人が来ないと思うんですよね。評価されるのは嬉しいんですけど、第5期WANDSのファンになるかと言われると、それはまた別の話だと思うので。だから、今回のツアーは、この1年間で増えたお客さんと前回のツアーに来てくれた、いわゆる第5期WANDSのファンに向き合うことになるんじゃないかなと思いますね。
――『THE FIRST TAKE』は何も考えずに歌ったっておっしゃっていましたけど、あれは自分がどこまで何を成し遂げたのかをチェックする場だったんだと思うんですよね。
上原 そうですね。大きいものであったのは間違いないですね。
――ここまで丁寧に丁寧に、裏技を使うのではなくて、ひとつずつ裏返してきたという歩みはさらに評価されるべきことだと僕は思ってます。
上原 ありがとうございます。
――僕はとても好きです。
上原 僕はすごく運がよかったというのもあると思います。流れ着いた感じはありますよ。もちろんもがいたり、あがいたりはありましたけどね、川の流れが速かったり。それで流れ着いたところがここだった。運の積み重ね。僕より頑張っていた人もいるだろうし、評価されなかった人もいるだろうし、かっこよくて歌が上手い人もいただろうし、流れ着かなかった人もいるだろうし。だから運だなと思いますね。柴崎さんもサポートメンバーも、第一線でやっている方がたくさんいるわけで、そのなかで自分の非力さを感じますよ。それこそ、自分より上手い人を知っている人たちのなかでやっているから。
柴崎 全員認めてるよ(笑)
上原 本当ですか?(笑)
――上原さんはいつだって、「いい気になってるんじゃないよ」と自分に言い聞かせているわけじゃないですか。
上原 なれないですよ、いい気には(笑)
――その葛藤のなかで、それでも引きずり出してくる歌は強いですよ。人の心を打ちますよ。
上原 いい気になったら止まると思う。上しかいないと思っているほうがいい。でも、それをわからないでいるほうが幸せなんじゃないかと思う時もあります。いい気になりたいなって思う時もありますけどね。
インタビュー・文:小柳大輔(Interview inc.)
※小柳大輔の「柳」は木へんに夕に卩が正式表記
■WANDS Live Tour 2024 〜BOLD〜
2024.6.25 [TUE]:愛知県芸術劇場 大ホール
2024.7.2 [TUE] :大阪国際会議場 グランキューブ大阪メインホール
2024.7.8 [MON]:東京ガーデンシアター
■WANDS『世界が終るまでは…』(『THE FIRST TAKE』:
https://www.youtube.com/watch?v=2dXwlykNemw
■Live Blu-ray『WANDS Live Tour 2023〜SHOUT OUT!〜』【TEASER】:
https://www.youtube.com/watch?v=zpydH5GYaZU
■WANDS「大胆」(LIVE at DOJIMA RIVER FORUM 2024.4.6):
https://www.youtube.com/watch?v=wvEX0DP6JJ4
――第5期WANDSにとって5年の節目(2019年11月17日・ライブイベント『DFT presents 音都 ONTO vol.6』で始動)ということで、この5年がどういうものだったのか、おふたりがどういうマインドでここまで進んできたのかをじっくり伺えればと思っています。ひとつ象徴的だったのは、5月31日に『THE FIRST TAKE』で「世界が終るまでは…」が公開されて、あの非常に好意的なリアクションというのはひとつの峠を越えた、何か乗り越えたものがあるんじゃないかと僕は感じたし、おふたりのなかにも何かを背負ってくることができたという実感を得られるものだったんじゃないかなと思うんです。まずはざっくり聞いちゃいますが、おふたりにとってこの5年はどんな5年だったんでしょうか。
柴崎浩(G) 一個ずつ踏み締めながら歩いてきたような、そんな感じですかね。僕が90年代に在籍してた頃とも変わらない年数が経っているんだけれども、ゆっくりゆっくり歩いてきたかなと。
――WANDSは何をやってもいいアーティストとして進んでこれたわけではなくて。守らなきゃいけないものがあったし、期待されているものもあった。今のメンバーにしかできないことを追求する前提ももちろんある。さまざまなバランスを考えなくてはいけない、重い宿命を背負ったバンドだと思うんです。その観点で、歩みを振り返っていただくといかがですか?
柴崎 始動して、これから新しい曲を作っていくとなった時は、今おっしゃったようなことを考えたほうがいいのかなとか、振り返って曲を聴いてみたりもしたんですけど。でも、曲をリリースし、ライブをやって、SNSでファンの方々の考えを目にしていくうちに、あまり縛られないほうがいいという結論に至ってきて。
――上原さんはいかがですか、この5年。
上原大史(Vo) 右も左もわからないというところからスタートして。皆さんの知っているWANDSを継承するというプロジェクトになるのか、引き継ぎつつも新しいWANDSとしてやっていくのか、明確なビジョンはなく、なんとなく始まったんですよね。2、3年経った頃に第5期の今のWANDSのスタイルで人気になれたらいいなと始めて、少し形になってきた。第5期としては失敗ではなかった、成功には入っているのかなと。もう5年となろうとしている今に、偶然かもしれないけど「世界が終るまでは…」を『THE FIRST TAKE』で録って、それが受け入れてもらえたような感じがあって。もちろん、気に入らない人は延々と気に入らないと思うけど、でも思っていた以上の反応をもらえて、5年目にしてある種の振り出しというか、スタートに戻ったような感覚もありましたね。いい形でのスタートに戻ったというか。
――うんうん。
上原 何かいいことにつながるようにと思いながらやってきて、でもそれを忘れるくらいのパンチがありましたよね。一方で少し虚しさのようなものもあったんですけど、結局5年やってこれか、みたいな。正直そういう気持ちはなくはなかった。だけど、需要があるのはいいことであって。自分の理想よりも、需要のあることをやっていくべきだと思う。WANDSにおいて個人の野望を抱くのは、ちょっと違うんだろうなと。5年経って、受け入れてくれる人もいるわけで、とにかく需要のあるものをやっていく。それがどういう結果になるのかは、自分にも誰にもわからないし、変な幻想を抱くより、今自分に求められていることを、楽しんでやっていければいいなという境地に至った感覚ですね。これがいい、あれがいいというわがままを言ってもしょうがない。今の需要があることがありがたいと思う。足るを知るというわけではないけど、そう思ってますね。
――今のお話を「葛藤」という言葉にはめてしまうとあまりにも簡単になってしまいますけども。
上原 そうですね、あがいた結果ですね。このプロジェクトは、そもそもそこからスタートしていて。過去は切っても切れないもの。最初は「世界が終るまでは…」は全然歌えなかったし、評判としても「ひどい」という声が多かったですしね。でも、それが今『THE FIRST TAKE』できれいな再スタートになって。5年経ってやっと土台ができたのかな、と。
――この5年、ニヒルになろうと思えばいくらでもなれたと思うんです。「これをやっていればいいんでしょ?」という開き直りですよね。でも、上原さんの歌、今のWANDSが作るものはニヒリズムに甘えない、とても強い構築物になっていると思う。その沼にハマったらそれこそ音楽を続ける意味がない、負けじゃないかという。その歩みを見ていると、自分たちを健全に走らせる――ギリギリ健全に走らせるという言い方が正しいかもしれませんけど――そういう特殊なバランス感覚、自己肯定の力があるんじゃないかなと思ったんです。
上原 波がありましたよね。自分は何度も撃沈したことがありますけど(笑)。すごいやる気になっても、ただ空回ったりが続いて、ほんまに辞めたいわ、ということが正直何回もあって。辞める勇気がなかったっていうのもありますけどね、ここで辞めたら逃げたことになるし。「頑張ります」って言ったくせにもう辞めるんだって思われるわけで、それは自分としても情けない。
ただ何より、第5期WANDSの活動を楽しみにしてくれているファンの発言や、ライブでの表情を見たら、辞めるわけにはいかないって、こんなに喜んでくれる人がいるんだって思って、踏みとどまれました。そうやっていくなかで楽しさを見出せて。純粋に歌うのが楽しいということもあるし、ここでしか味わえないものや、色んな刺激が、間違いなく自分の成長につながった。そういう価値があるから――もちろんイヤなこともありましたけど、頑張れたのかなと思います。
――その戦いですよね。自分との戦い、周りとの戦いという。
上原 このバンドならではの葛藤が、何年経ってもありましたね。2年、3年やったらなくなるかなと思ったんですけど、たまたまイヤなコメントを目にして「そうだよなあ」って第5期の存在意義がわかんなくなっちゃったり。どうしてもマイナスな部分を見てしまって、でもやっぱり冷静に考えて、これだけの人に、こんなに喜んでもらえるなんて、こんな素敵な事はないと思うし、いいところ悪いところが極端にあるんですけど。
――柴崎さんは、いつも隣で上原さんの戦いを見てきて。どう見つめていたんですか?
柴崎 僕は上原と同じような立ち位置に置かれたことが無いから、上原のしんどさはわからない。だけど、このプロジェクトに飛び込んでくる勇気のあった人だから「うまく乗り切ってくれ」という思いもあって。上原と一緒にやっていて思うのは、新しい曲を生み出すたびに感動があって、それがめちゃくちゃ楽しくて。それをずっと続けてきて、ファンの人にも共有したい。結局それがいちばん大きいんです。上原が「WANDSでしかできないことがある」って言ってましたけど、ほんとうにそれはあるし、WANDSならではの楽しさもあると思うし、それは僕にとってはすごく嬉しい言葉で。いつかそんなふうに思ってくれたらいいなと思って、活動してきましたね。
――隣で支えながら、ここを耐えてくれ、越えてくれと願うという。
柴崎 うん。辛いこともありつつも、楽しさとか充実感があったら救いがあるじゃないですか。悪いことばっかりじゃない。いいこと、楽しいことが増えたらいいなという思いはありましたね。
――最初は複雑だったと思うんです。もちろんファンのなかにあるものを大事にしなきゃいけないし、窮屈な型もあったでしょう。それは宿命なのだから背負うより仕方がないものでもあるんだと思う。でも、今の上原さん、今のWANDSにはその窮屈さは感じない。もちろん過去から続く代表曲はあるけれど、今のWANDSとして自由なかたちでやれるようになっていると思うんですよね。何かのタイミングでブレイクスルーできたんだと思うんです。きっかけめいた時期はいつだったんでしょう。
上原 いろんなきっかけがあると思いますけどね、歌い方に関しては、「WANDSの歌い方」ができていなかったし、真似してやってみたり、いろいろやりながらも結局限界がくるんですよね。1曲だけならなんとかなるけど、ワンマンライブとなるとどうしても無理な発声をしていたし、喉をやっちゃって歌えなくなったりする。打開策を考えながら、そのうち自分の色も出てきて。あまり気にせずに歌いやすい方法でいいんだと気づいたんです。みんながイメージする、WANDSらしいニュアンスを足すだけでよかったんだなって。ベースは自分でいいんだって思えた。最近は意識してないけど、スパイス的にみんながイメージするWANDSの要素を入れて。それは、僕も子どもの頃から何度も聴いてきた上杉(昇/第1、2期ボーカル)さん、そして和久さん(二郎/第3期ボーカル)のボーカルによるもので、WANDSという名前から湧いてくるイメージだとは思うけれど、基本的な発声は自分の発声で。そしたらより本領が発揮できるようになって。
その結果、好意的に捉えてくれる人が増えて「良いボーカルらしい」みたいな空気になってきた。そのおかげで自信を持ってパフォーマンスできるようになったと思います。あとやっぱり風潮ってのはすごいあって、僕が入った時は、どちらかというと僕を褒める人が浮くような風潮だったけど、それが今は逆に「いいよね」っていう風潮で、むしろ貶す方が浮くみたいな空気というか…(笑)。みんながそういう雰囲気を作ってくれたと思う、ありがたいです。
柴崎 彼はボーカリストだから、発声や歌唱については曲を聴けば細かくわかると思うんです。でも、専門家ではない人からしたら細かい違いはわからない。彼のバランスでライブを重ねてきて、お客さんがいいねと言ってくれるようになって。その積み重ねなのかな。オリジナル曲も存分に自分(上原)のやり方で認められてきて。
――そのチューニングというか。自分のやり方とギリギリのバランスを混ぜ合わせながら走り続けることができたという。それはすごいことだと思うんですよ。上原さんは「風潮」と言っていましたけども。
上原 (笑)
――風潮は風潮だけれど、間違いなく自分の力で作った風潮ですよね。
上原 難しいんですよ。競走馬がいないから、評価を下しにくい。バンドが売れる、売れないだけだったらわかりやすい。でも、対戦相手がいないというか、ひとりゲームをやっている感じで。どういう採点になっているのかが難しい。勝ち負けがない。今評価されているのは、僕だからなのか、違う誰かでもできたのか、考えることがあるんですよね。自分じゃなかったらどうだったんだろう、違う人がもしやっていたらどうだったんだろう、僕より成功していたのか、僕のほうがよかったのか。今でもそう思うことはあります。素直になれないというのはあるんですよね。一部の人から言わせれば「(成功したのは)WANDSだからでしょ?」「『世界が終るまでは…』があるからでしょ?」ということであって。そしてそれは間違ってないんですよ。
――たしかに間違ってはいないですよね。
上原 そう。僕のなかにもそれを問う自分がいて、褒められても半分は「この曲だからな」と思う自分がいて。『THE FIRST TAKE』も、僕の声だから伸びた再生回数ではなくて、「世界が終るまでは…」の再生回数でしょ、と思う自分がいる。その葛藤は、この曲を歌っている以上、永遠にあるものだと思いますね。これを解消するには、第5期で超える曲を作らなきゃいけない。でも、この曲を超えるってもう無理なんですよ(笑)
――そうですね。
柴崎 (笑)
上原 だから、そこについてはすでに詰んでるんですよ(笑)
――はははは!
上原 そこは自分なりに消化するしかないんですよ。ついてまわるものではある。何十年やっても、原点に勝つのは不可能なんですよ。超えた、みたいなことはないので。伝説であって、負けるしかないですからね。抗えない運命というか。
――この葛藤は、この世界でも――。
上原 そう誰にも共有できない葛藤なんだと思うんですよね。
――上原さんは強い人だから今もこうやってお話してくれましたけど、この歩みは本当に戦い以外のなにものでもなくて。今のポジションを5年かけて作ったというのは、本当に残すべき絶対の価値を持った戦いだったと思うんですよね。
柴崎 そうですね……。上原の心の変動はきっとすごかっただろうな、って。いろんなことを思うわけだから本当に疲れるだろうし、モチベーションの変化もあるし。だから、新しい曲やライブをやることでWANDSの楽しさをなるべく多く作り出せるように、その楽しさを積み上げたいし、そういうことしかできなかったですね。
――「もう辞めようか」と思った時に、おふたりのなかでやり取りはあったんですか?
上原 それを柴崎さんに言うのは、本当の最後だと思うので、言わなかったですね。スタッフにも言ってなかったので、勝手に思ってました。
柴崎 始めてから数年後に、上原に「WANDSに入って失敗した」とは絶対に思わせたくなかった。「いてよかった」と思ってくれないと悔しいという思いはずっとありましたね。
上原 僕が素直に喜べないのは、上杉さんの存在もあって。『THE FIRST TAKE』で「世界が終るまでは…」が評価を得て、コメント欄で僕のことを褒めてもらっているのは嬉しいんですけど、評価を受けたいと思う自分もいる反面、評価を受けたくないと思う自分もいる。みんなは評価してくれるけれど、歌詞を書いたのは上杉さんで、ヒットさせたのも言わば上杉さんと長戸(大幸)プロデューサーなわけじゃないですか。それをお借りして歌って、評価されるというのも、違うと思う部分があるんですよね。半分虚しい気持ちになる。自分が上杉さんだったら、この状況を素直に喜べるんだろうか、そう考えてしまう。ご自身が辞める直前の曲ですし、この魂の入った曲を若い兄ちゃんが歌い、評価されるとして、それは果たして正しいのかなと。だから僕自身褒められて嬉しいと思う気持ちと、褒められれば褒められるほど虚しくなるというジレンマがある。呪われてるんだなと思う時もありますけどね。
――そうですよね。「呪い」というのは正しい言葉かもしれませんね。
上原 「だから、素直に喜べないんですよね。第5期WANDSとしては成功だと思うけど、100点満点での成功というのがどうしてもできないんじゃないかなっていう。
――その葛藤は本当に世界で唯一無二のものですよね。
上原 僕はボーカリストで、自分で曲を書くし、歌詞を書く大変さもわかるからこそ、何に感情移入するかって言うと――もちろんヒットした時のご本人の気持ちはわからないですけど――歌うたびに歌詞を書いた人のことを思う。「オリジナルよりいい」っていうコメントを見ると、それは本当にやめてくれと思いますよ。
柴崎 そこまではわからないもんな。
上原 むしろ「上原なんか辞めろ」って思ってくれたほうがいいとすら思うこともあって。受け入れないでよって。でも、エンタメなんですよね。制作者の苦労を汲んでもらうのは難しいってわかってますけど、永遠にモヤモヤするところではあります。そういう後ろめたさみたいなものがあるんですよね。
――でも、その後ろめたさがなくなったら、本当に辞める時なのかもしれないとも思うんですよね。勝ち負けのないものにどれだけ向き合いきれるのだろうかということの勝負であって、今開き直って、「これは俺の曲だ」なんて主張するほど上原さんは傲慢な方ではない。この戦い方は、すごく人を惹きつけていると思うんですよね。今ポジティブな声が多いんだとすれば、他の誰にもやれないことをやり続けてきて、その戦いをして「今のWANDSはいい」ということなんだと思います。そして、「オリジナルよりいいなんて言わないでくれ」というのは極めて知性的で、シビアで正しい観点からの言葉だと思う。だからこの人はWANDSで歌えるんだなと納得させるものがあって。この人だからこそ、5年間戦えたんだなあとあらためて思います。
上原 ありがとうございます。
――この5年間、上原さんを支えたものがあると思うんですよね。辞めたいと思った時も、看板を下ろしたいと思ったときも。それを支え続けた唯一のものがあるとするならば、きっとそれはご自身が信じている、ご自身の実力だと思うんです。自分の歌が届き切るまでは辞めないという。
上原 自分ではわからないですね、そこは。いろんな要因があると思うんですよね。柴崎さんの人格もね。それは大きかったですね。プレッシャーをかけるわけでもなく、やりやすい環境を作ってくれましたからね。自分の歌はね、自信がなくなったりすることもあったし。上を見たらキリがない。自分よりも若くて歌が上手い人はいっぱいいますし。好みの問題もあるんでしょうけど、ボーカリスト目線で自信がなくなる場面はあって。
柴崎 でも、上原は一個一個丁寧に向き合おうとしてた。それが昔からのファンも認めてくれているところで。そういう態度も見ている人は見ている、歌のいい、悪い以外にもね。上原じゃない人がやっていたらどうなっていたかって言っていましたけど、これは本当に大変な作業だよなって思います。
上原 でも、まだ5年なんですよね。長いのか短いのかわからないですけど。ただWANDSのボーカルで歴代最長になったんですよね。
柴崎 ああ、そうか。
――そうなんですね。
上原 それは、胸を張れるひとつの鎧になるかなって。僕にとってのゴールを何にするかというと……、僕たちがどれだけ評価される、されないという話ではなくて、このプロジェクトで誰がいちばん大きい存在なのかというと、僕の中では今も上杉さんなんだと思うわけです。WANDSにとっては神様みたいなもので。その人の気持ちをないがしろにしてはいないか?と考えてしまうところがどうしてもあるんですよ。いつか何かのきっかけでそこをスッキリできたらいいなと思ってるんですよね。
――やり続けるしかないですよね。それ以外にひっくり返し方はないという。
上原 そうですよね。
――『THE FIRST TAKE』を聴いていてなおさら思ったんですが、上原さんの歌は――技量的にはプロフェッショナルですし、ご自分の歌い方ももちろんありつつ、より寄せて歌おうと思えば歌えると思うんです。
上原 寄せようと思ったらね。
――ええ。言ってしまえば、いつも同じように。でも、上原さんの歌は、いつも違うものだなと感じるんですよね。
上原 ああ、そうですね。
――技量がある。同じ歌を歌うことはできる。でもそうしない。それがすごく不思議だったんですよ。
上原 気分ですよ(笑)
――気分なんですか(笑)。僕はお話を聞いていて、いつも違う葛藤があるから、同じ歌にはならないんだと思ったんですよね。
上原 どうなんですかね。
柴崎 本人は「気分」って言ってるけど、それがすごくテイクに正直に出るボーカリストなのは間違いなくて。これは前にもあったんですけど、まず仮歌を思うがままに歌って、徐々に調整していくんじゃなくて。上原の歌は「歌ったらこうなりました」っていう歌なんですよね。だから、(仮歌を録って)ちょっと時が経ってからレコーディングすると、全然違う歌になっていて。「前のほうがよかったんだけどなあ」みたいなことがあって(笑)
上原 はははは!
柴崎 2ヶ月前に録ったものと今録ったものが違うから、どんな気持ちで歌ったか思い出せないみたいな。そういうことは本当にあると思う。ライブのリハをやっていても、この人は生きたミュージシャンだなって感じますからね。そのへんの魅力がお客さんにも伝わってると思うんです。『THE FIRST TAKE』も、考えたり気にしなきゃいけないポイントはあったと思うし、今、第5期がやろうとしていることをあの1曲で知ってくれる人もいると思うし。そういう人たちにどのくらい認めてもらうのか、あるいは自分の魅力をどれくらい出さなきゃいけないのか。その複雑な表現をうまいこと計算でやるのは難しい。個人的には、オリジナルの「世界が終るまでは…」を求めている人のことを考える分量は、もっと少なくてもよかったのかなって思ったりもする。最近のライブでやってる感じでもよかったのかなと。でも、言うは易しで、あの独特な緊張感のなかでは丁寧に丁寧に歌うしかないから。だから、落としどころとしてはすごくいいテイクだったのかなと思いますね。
上原 でもそこまで考えられてなかったですね。単純にあの環境で、キュッとなっちゃった(笑)。やっぱりライブ会場とは違いましたね。そもそもレコーディング苦手なんですよ。最近はひとりでレコーディングするんですよ、誰もつけないで。緊張に弱いんですよ、ボーカリストなのに。だからたまたまですよ。何も考えずにやろうと思って。評価のことも何もかも忘れて、普通にいつも通り歌おうとして。その結果があれですね。狙ったところで狙えないっていう感覚で。いいと思う人もいるだろうし、悪いと思う人もいるだろうし。好きな人も好きじゃない人もいるから、そこをどうやって考えて届けても同じだろう、と。
――いつも通りに歌ったわけですよね。いつも通りだったとするならば、その「いつも通り」がある意味の到達点にきたというか。その証明だったと言うことはできるんじゃないですか。
上原 そうですね、何回も歌ってますからね。最初は本当に苦手な歌で。最初のお披露目ライブ(2019年11月17日@堂島リバーフォーラム)で失敗して、それでトラウマになっちゃったんですよね。あのイントロが鳴るだけで、心臓がきゅうってなる。緊張すると筋肉が強張って、喉が締まって声が出なくなって、歌えなくなるっていう負のループになる。今でもふと思い出すんですけど、あの時が蘇る。でも、回数で抜けていった気がしますね。家ではもう1000回は歌ってると思うし、とにかく記憶の上書きでした。成功を増やしていくことで自信に繋げるしかない。
――「気分」と言ってくださったじゃないですか。柴崎さんから見ても、気分が反映されるボーカリストだと。「気分」っていうのはいい言葉ですよね、「気分で歌ってます」って。
上原 寄り道が好きなんですよ。上がるか下がるのか、ミックスボイスなのか地声なのか、どっちかなーってふわっとしてますね。歩いていてルートがいつも違うっていう」
――でも、それがこの看板の背負い方だったんじゃないですか。要するに、ひとつ何か正解を作り出してそれを永久にやり続けるということではなくて、今日の自分、明日の自分、明後日の自分が重い看板を背負っていくだけという。
上原 そうかもしれないですね。そもそもの最初の正規ルートにいたのは僕ではないし、その時点ですでに寄り道がスタートしてるわけで、モノマネじゃないから、結局ふわっとしたままやり続けている。その日によって違うというのは、だからなのかもしれないですね。それが、このバンドの色なのかもしれないです。
――なぞらなきゃいけないと思ったトラウマライブから、気分に任せていると言えるこのマインドの変化までの道を、上原さんご自身に説明してもらうとしたら、どうなりますか?
上原 それはやっぱり、認めてもらえることが増えたから。素直に「いい」と言ってもらえることが増えたからですね。第5期のファンという方たち、味方がたくさんいるというのは大きい。第5期始動当時はゼロだったわけじゃないですか。みんな、かつてのWANDSが好きなだけで、僕が歌うWANDSのファンはゼロですよね。だから、自分の好き勝手に歌って「いい」なんて言われるはずがなくて。でも、今は少なからず応援してくれる方はいてくださるわけですよ、僕が好き勝手歌った歌を「かっこいい」と言ってくれる人が。誰かに似てるというわけではなく、「かっこいい」と言ってくれる人たちがいるから、その人たちがいればいいっていうのはありますね。だから、好きにやれている。100人中100人全員が「違う」と言うわけではない。それは5年間でやってきた結果だと思うし、自分も新しい方法で歌ってきて。それで「いい」と思ってくれる人も増えて、喜んでくれる人もいる。伝説のWANDSとはある種別というかね。上原大史のファンもいてくれる。
――次のツアーも始まりますしね。『THE FIRST TAKE』の評価もあり、第5期WANDSにとって、またひとつ乗り越えられたものがあったうえでまわるツアーであって、今までのツアーとはまた違う実感を集めに行くツアーなんじゃないかなと思いますね。
上原 どうなんですかね。でも、この『THE FIRST TAKE』の盛り上がりがライブの動員に直結するかというとあんまり(笑)
――ははははは! まあまあ。
上原 あれを観て「いい!」と思ったからライブに行くかと言われると、たぶんほとんどの人が来ないと思うんですよね。評価されるのは嬉しいんですけど、第5期WANDSのファンになるかと言われると、それはまた別の話だと思うので。だから、今回のツアーは、この1年間で増えたお客さんと前回のツアーに来てくれた、いわゆる第5期WANDSのファンに向き合うことになるんじゃないかなと思いますね。
――『THE FIRST TAKE』は何も考えずに歌ったっておっしゃっていましたけど、あれは自分がどこまで何を成し遂げたのかをチェックする場だったんだと思うんですよね。
上原 そうですね。大きいものであったのは間違いないですね。
――ここまで丁寧に丁寧に、裏技を使うのではなくて、ひとつずつ裏返してきたという歩みはさらに評価されるべきことだと僕は思ってます。
上原 ありがとうございます。
――僕はとても好きです。
上原 僕はすごく運がよかったというのもあると思います。流れ着いた感じはありますよ。もちろんもがいたり、あがいたりはありましたけどね、川の流れが速かったり。それで流れ着いたところがここだった。運の積み重ね。僕より頑張っていた人もいるだろうし、評価されなかった人もいるだろうし、かっこよくて歌が上手い人もいただろうし、流れ着かなかった人もいるだろうし。だから運だなと思いますね。柴崎さんもサポートメンバーも、第一線でやっている方がたくさんいるわけで、そのなかで自分の非力さを感じますよ。それこそ、自分より上手い人を知っている人たちのなかでやっているから。
柴崎 全員認めてるよ(笑)
上原 本当ですか?(笑)
――上原さんはいつだって、「いい気になってるんじゃないよ」と自分に言い聞かせているわけじゃないですか。
上原 なれないですよ、いい気には(笑)
――その葛藤のなかで、それでも引きずり出してくる歌は強いですよ。人の心を打ちますよ。
上原 いい気になったら止まると思う。上しかいないと思っているほうがいい。でも、それをわからないでいるほうが幸せなんじゃないかと思う時もあります。いい気になりたいなって思う時もありますけどね。
インタビュー・文:小柳大輔(Interview inc.)
※小柳大輔の「柳」は木へんに夕に卩が正式表記
■WANDS Live Tour 2024 〜BOLD〜
2024.6.25 [TUE]:愛知県芸術劇場 大ホール
2024.7.2 [TUE] :大阪国際会議場 グランキューブ大阪メインホール
2024.7.8 [MON]:東京ガーデンシアター
■WANDS『世界が終るまでは…』(『THE FIRST TAKE』:
https://www.youtube.com/watch?v=2dXwlykNemw
■Live Blu-ray『WANDS Live Tour 2023〜SHOUT OUT!〜』【TEASER】:
https://www.youtube.com/watch?v=zpydH5GYaZU
■WANDS「大胆」(LIVE at DOJIMA RIVER FORUM 2024.4.6):
https://www.youtube.com/watch?v=wvEX0DP6JJ4
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2024/07/08