ひろゆき(西村博之)氏が「0日に」とやゆして有名になったゲート前の掲示板は名護市辺野古の住民、金城武政さん(65)が作った物だ。母を米兵に殺害された。生活のため、新基地建設事業の警備員になった時期もある。本土の基地押し付けに人生を翻(ほん)弄(ろう)され、それでも現場で反対の声を上げ続ける金城さん自身、そして多くの人々の思いが、掲示板には込められている。(編集委員・阿部岳)
インターネット掲示板「2ちゃんねる」開設者のひろゆき氏は3日、米軍キャンプ・シュワブゲート前を訪れた。2014年7月の座り込み抗議開始から「3011日」を刻んだ掲示板の横で写真を撮り、「0日にした方がよくない?」とSNSに投稿した。
「普通はそんな心情にならないと思うんだけど」と、金城さんは不思議そうだ。「この日数は、基地押し付けと抵抗がこれだけ続いていることを示している。本土の人が見れば、放置してきた恥ずかしさが出てくるはずだと思う」
犠牲の押し付けは戦後ずっと続いている。辺野古でバーを経営していた金城さんの母富子さんは1974年、強盗に入った米兵にブロック片で頭を殴られ、頭蓋骨骨折による脳内出血で亡くなった。金城さんは当時高校3年生。2階で勉強していたが、気付かなかった無念を抱える。
高校卒業後は本土で働き、体を壊して2004年に辺野古へ戻った。地元に仕事は少なく、ちょうど始まった新基地建設の調査のため、辺野古漁港で夜勤の警備員を1年余り務めた。「生きるため」と割り切った。
生活に追われても、命を脅かす新基地に反対する気持ちは変わらなかった。14年に座り込みが始まると、地元住民としてテントの設営から手伝った。今も日々、現場に通い、デザインを学んだ知識を生かして看板書きも引き受ける。
掲示板は当初、政府が千日以内に断念することを願い、あえて3桁の日数で作った。その後、右翼団体の襲撃で破壊されるなどし、そのたびに金城さんが作り直してきた。
ひろゆき氏は出演番組の中で掲示板を「汚い字」と中傷したが、金城さんは「そう言うなら、もっときれいに作り直してもいい」と、いたって平静だ。「もう一度彼が来たら、なぜ私たちが反対しているのか、彼が何を考えているのか、腹を割って話してみたい。こちらからは批判しようとは思わない」と語った。