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はじめに

2024年12月11日、米国の第5巡回区控訴裁判所(ルイジアナ州ニューオーリンズ所在)は、証券取引委員会(SEC)が承認したナスダック証券取引所の上場規則改正をめぐる訴訟で、SECによる承認は違法で無効だとする判決を下した(注1)。訴訟の対象となったナスダックの規則改正の内容は、ナスダック市場上場企業に対して、一定数の女性や社会的少数者を取締役として選任することを求め、選任しない場合はその理由の説明を求めるなど、取締役会メンバーの多様性(diversity)確保を促すものであった。

承認無効とされた規則改正の内容

訴訟の対象となった規則改正の主要部分は、判決が「情報開示ルール」と呼ぶものと「多様性ルール」と呼ぶものから成る。その概要は次のとおりである。

◆情報開示ルール
外国企業を除くナスダック上場企業は、取締役会メンバーの人数とその構成を「取締役会多様性マトリックス」を用いながら毎年公表しなければならない。同マトリックスには、男性、女性といったジェンダー認識の分布、人種や民族の分布、LGBTQ+であると自認する者の人数等の情報が掲載される。外国企業についても、「取締役会多様性マトリックス」とほぼ同様の様式を用いた情報開示を行うことが認められる(規則5606(a))。

◆多様性ルール
ナスダックに上場する外国企業や小規模継続開示企業(smaller reporting company)(注2)、メンバーが5人以下の小規模な取締役会を有する企業以外の「主要企業」は、取締役会メンバーのうち2名以上を「多様(Diverse)」とされる要件を満たす者から選任しなければならず、2名以上を選任していない場合には、その理由を説明しなければならない。「多様」とされる取締役会メンバーは、1名は女性であると自認する個人、もう1名は過小評価されている社会的少数者(underrepresented minority)またはLGBTQ+であると自認する個人でなければならない(規則5605(f)(2))。

ここで「過小評価されている社会的少数者」とは、黒人またはアフリカ系アメリカ人、ヒスパニックまたはラテン系(Latinx)、アジア人、アメリカ先住民またはアラスカ先住民、ハワイ先住民または太平洋諸島民族のいずれかであると自認する者、または2以上の人種または民族に属する者であると自認する個人を指す。またLGBTQ+とは、レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーのいずれかまたはクイア・コミュニティー(queer community)(注3)に属する者であると自認する者を指す。

外国企業及び小規模継続開示企業は、取締役会メンバーのうち1名を女性であると自認する個人から選任し、もう1名を女性または過小評価されている社会的少数者もしくはLGBTQ+であると自認する個人から選任することが求められる。つまり、女性2名を取締役として選任することでも要件を満たすことができる。5人以下から成る小規模な取締役会を有する企業については、取締役会メンバーのうち1名を「多様」とされる要件を満たす者から選任することが求められる。

訴訟の経緯

SEC は、ナスダックによる以上のような規則改正が、1934年証券取引所法に定められた自主規制規則の要件、なかんずく自主規制機関(SRO)である取引所の規則は証券取引所法の目的と関連して(related to)いなければならないという要件に合致するかどうかを審査し、2021年8月、規則改正を承認した(注4)。

これに対して非営利団体「公正な取締役選任のための同盟(Alliance for Fair Board Recruitment: AFBR)」が第5巡回区控訴裁判所に対して、SECによる規則改正承認の有効性を審査するよう申し立てた。また、それとは別に保守系シンクタンクである全米公共政策研究センター(National Center for Public Policy Research)も同様の申し立てを第3巡回区控訴裁判所に対して行った。第3巡回区控訴裁判所は当該申し立てを第5巡回区控訴裁判所に移送し、第5巡回区控訴裁判所が、二つの申し立てを一括して審理した。

第5巡回区控訴裁判所による本件訴訟の審理は、特に重要な事件の審理で用いられる所属裁判官全員による合議形態(en banc)で行われた。判決は、SECによる承認を無効とする多数意見と反対意見が9対8に分かれるという僅差で下された。

法廷意見の概要

Andrew S. Oldham判事が執筆し、Elrod首席裁判官を含む8名が同調した法廷意見は、概ね以下のように述べ、SEC による承認は行政手続法が禁じる「恣意的、気まぐれ、裁量権の濫用その他の違法行為」に該当し、無効であると結論付けている。

SECは、訴訟の対象となったナスダック規則改正のうち情報開示ルールについては、情報開示を求める自主規制規則は、情報開示の促進という証券取引所法の目的に照らせば、法の目的に関連していると主張する。しかし、そうした理解は正しくない。証券取引所法の制定経緯を検討すれば、立法の目的は市場における相場操縦行為等の不公正取引や過剰な投機行為を防止して投資家保護と市場の安定を確保することである。上場会社がSECの求める情報開示規制を遵守しなければならないことは法に定められている通りだが、議会はあくまで基本的な企業情報や財務情報の開示を求める権限をSECに与えたのであり、あらゆる情報の開示を求める権限を与えたわけではない。

証券取引所法は1975年に大幅に改正され、新たに全米市場制度(NMS)の確立が求められることとなった。改正の狙いは証券取引所間の競争を促すことであり、SECおよび取引所は、競争を不必要に妨げるような規則を制定することを禁じられた。改正前は、取引所の規則は法の規定と「齟齬を来たさない(not inconsistent with)」内容のものであれば良かったが、改正法では、法の目的と「関連している(related to)」ことが求められるようになった。

従って、情報開示に関する取引所規則の承認にあたってSECは、当該規則が単に情報開示を促進するだけでなく、開示を求められる情報が証券取引所法の目的と何らかの関連性を有することを確認しなければならない。

SECは、ナスダックの規則改正は、全体として公正で公平な取引の原則を促進し、自由で開かれた全米市場の確立を妨げる障害を除去し、投資家が必要とする情報を提供させることで投資家保護と公益に資するものだと主張する。

公正で公平な取引の原則とは、取引所に対して道徳的に望ましい行動を促すよう求めるものである。取引所会員が公正・公平でない取引行為を行うことを禁じたり、契約違反のような不道徳な行為を行う取引所会員に対して懲戒処分を課したりすることが求められてきた。しかし、今回の規則改正の内容は、公正で公平な取引を求めることからかけ離れている。上場企業が、取締役会メンバーの人種、性別、LGBTQ+に該当するか否かといった情報の開示を拒むことが不道徳だとは考えられない。証券取引の原則として、なぜ取締役会の構成がナスダックの求める水準の多様性を欠いているのかを説明する義務があるとは思われない。SECは、市場で重要な役割を担う投資家が、多様性に関する情報を必要としていると主張するが、それは公正で公平な取引の確保という法の目的とは関係ない。

今回の規則改正が、自由で開かれた全米市場の確立を妨げる障害を除去するというSECの主張も間違っている。取引所規則の内容が、証券取引に伴う取引費用の低減につながるのであれば、NMSの確立を求める証券取引所法の規定に関連するものだと言えるだろう。SECは、規則改正で開示されることとなる情報は、投資家による投資判断や議決権行使の判断に役立つだろうと主張するが、取締役会の多様性を高めても証券取引に伴う取引費用の低減にはつながらない。

今回の規則改正が、投資家保護と公益に資するというSECの主張も間違っている。投資家保護と公益という概念は曖昧であり、それに資するかどうかは、証券取引所法が明記する害悪、すなわち投機行為、相場操縦、詐欺、反競争的な取引所の行為、といったものから投資家や公衆を守ることになるかどうかで判断されなければならない。

取引所の上場基準の多くは、それら法が明示する目的に関連している。例えば、ナスダックは上場企業の取締役会メンバーの過半数が独立取締役であることを求めているが、それは業務執行から離れた取締役を確保することで財務上の悪事を防ぎ、詐欺を防止するという目的に適っている。2002年のサーベンス・オックスリー法によって設けられた監査委員会メンバー全員が社外取締役であることを求める証券取引所法の規定も同じ狙いからである。

一方、多様性を求める今回の規則改正はどうか。ナスダックは、取締役会メンバーの多様性は企業の財務報告や内部統制、情報開示、経営監督の質と関係すると主張するが、そうした主張を裏付ける根拠を示していない。また仮にナスダックの主張が正しいとしても、正当化されるのは今回の規則改正内容のうち情報開示ルールだけで、多様性ルールまでは正当化できない。多様性ルールは、ナスダックの求める多様性基準を満たす取締役を選任しない理由の説明を求めるが、多様性基準を満たせない理由を示せる企業の方が、その理由を示さない企業よりも優れたガバナンスを行っているということが証明できない限り、そうしたルールが投資家保護や公益に資するとは言えない。SECは投資家の求める情報を開示させることが公益に資すると言うが、法の目的は投資家が必要だと思うあらゆる情報の開示を義務付けることではない。

反対意見の概要

このような法廷意見に対しては、Stephen A. Higginson 判事が反対意見を述べ、6名の判事がそれに同調した。

反対意見は、証券取引所法は、SECはSROによる私的な秩序形成(private ordering)を監督するだけの限定的な役割を担うものとし、自らの政策的な優先順位によって私的な経営判断を排除することまでは認めていないと指摘する。そして幅広い投資家が取締役会の構成に関する情報を求めていることは否定できず、そうした情報が欠けていることが非効率や情報の非対称性につながるのであれば、ナスダックが規則改正で一定の情報開示を求めることについて、公正で秩序ある市場の維持に貢献すると考えたSECの判断は間違いとは言えないとする。

また、反対意見は、本文ではなく脚注においてではあるが、仮にSECが情報開示ルールの承認を拒否していれば、ナスダックはSECが恣意的または気まぐれに行動したと主張することが十分できただろうとも指摘する(注5)。そして、もしナスダックが投資家の情報に対する要求やそれに応えようとする上場企業の姿勢を読み誤ったのだとすれば、その問題を解決するのは、裁判所や行政機関の政策ではなく、取引所間の競争が展開される市場だろうと述べる。

判決の意義

ナスダックによる規則改正は、SECへの承認申請時から取引所による特定の価値観の押し付けだとする「保守派」の強い反発を招き、SECでの承認決議も共和党所属の2名の委員の反対を押し切る結果となった。その規則改正が無効とされたことは、「米国で企業の社会的責任とみられていた「DEI(多様性、公平性、包摂性)」推進が逆風にさらされている」ことを示すものだと言えるだろう(注6)。

とはいえ、今回の判決は、必ずしも「保守派」の主張が「リベラル派」の主張を封じ込めたものと見ることはできないように思われる。Higginson 判事の反対意見は、法廷意見がSROである取引所に認められた裁量権の範囲を狭め、SECがSROに対して一定の政策判断を押し付けることを容認してしまっていると批判しているからである。

典型的な「保守派」は、「リベラル派」が求める行政機関による経済活動への積極的な介入を「行政国家化」だとして否定し、立法機関の価値判断を尊重し、法律による行政機関への授権の範囲を厳格に解釈しようとする傾向が強い。そうした観点から今回の判決を見ると、法廷意見は、DEI推進を妨げるという特定の政策を支持するために、行政権に対する制約を重視する保守本流の姿勢から逸脱してしまったようにも思える。もちろん反対意見がSECの権限を制約する解釈を示したこと自体、「リベラル派」の求める政策方向を守るための方便に過ぎないと見ることもできるかも知れないが、法廷意見がはらむこのような問題点が、「保守派」色が強いといわれる第5巡回区控訴裁判所での9対8という僅差の判決につながる要因となったとも考えられる。

反対意見は、「多様性」を求める上場基準の妥当性は、市場によって判断されるべきだと述べたが、実際、ESGの観点への対応やコンプライアンス強化を求める風潮に反旗を翻して上場コストの引き下げを図るとうたうテキサス証券取引所(TXSE)設立構想も動き出している(注7)。仮にTXSEがコーポレート・ガバナンスのあり方に対して緩やかな上場基準を設け、それをSECが承認し、「リベラル派」から今回の訴訟と同じような訴訟が提起された場合、「保守派」はどのように対応するのだろうか。

今回の判決を受けてナスダックが、判決の法廷意見の意を汲む形で新たな規則改正を行えば、適法にSECの承認を得られる可能性もないわけではない。しかし、多様性ルールだけでなく情報開示ルールも証券取引所法の目的と関連しないと断じられてしまったのでは、DEI推進の方向で新たな規則改正を考えることは容易でないだろう。今回の法廷意見は、DEIの観点からの情報開示を投資家保護や公益の観点からは不要なものと判断したとも言え、情報開示制度全般に及ぼす影響も軽視できないように思われる。

(注1)Alliance for Fair Board Recruitment; National Center for Public Policy Research v. SEC, No. 21-60626 (Fifth Cir., December 11, 2024)
(注2)SEC規則12b-2で定義され、浮動株時価総額2億5千万ドル未満等の要件を満たす企業を指す。
(注3)クイア(queer)には「奇妙な」といった意味があり、かつては性的少数者を指す侮蔑的表現であったが、現在では、自らをLGBTとして知られるレズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーのうち特定のいずれかに該当するとは考えないが、一般的な異性愛者とは異なる性的指向や性意識を有すると自認する者の自称として肯定的に用いられる表現だとされる。
(注4)詳しくは、当コラム「取締役会の多様性向上を図るナスダックの上場規則改正」(2021年8月12日)
(注5)SROによる規則改正をSECが不承認としたことが恣意的または気まぐれな行政行為として無効とされることもある。近年の著名な例としては、SECによるビットコイン現物ETF(上場投資信託)上場のための規則改正不承認を無効とした2023年8月のワシントンDC巡回区控訴裁判所判決(Grayscale Investments, LLC v. SEC, No.22-1142 (D.C. Cir. 2023) )がある。
(注6)『日本経済新聞』2024年12月14日付朝刊7面竹内弘文署名記事参照。
(注7)大崎貞和「米国の株式取引所の上場基準は多様化するか」(金融ITフォーカス2024年12月号)参照。

 

プロフィール

  • 大崎 貞和のポートレート

    大崎 貞和

    未来創発センター

    

    1986年に野村総合研究所入社後、1987年以降、経済調査部資本市場研究室、資本市場研究部等で内外資本市場動向の調査研究に従事。 政府審議会委員等の公職を務めた経験を有し、現在は大学でも教育研究活動にも携わるほか、日本証券業協会の自主規制機関としての活動にも参画している。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。