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「時間的余裕はある」という表現を使うのをやめたのは利上げが近い証拠

植田総裁は10月31日の前回の金融政策決定会合後の記者会見で、追加利上げ実施への慎重姿勢を示すメッセージと広く認識されていた「時間的余裕はある」という表現を使うのをやめることを、突然宣言した。これは、日本銀行が12月あるいは来年1月のいずれかで、追加利上げを行うという明確なメッセージだ。

植田総裁がこの表現を使うようになったのは、米国経済の下振れリスクを意識したため、と説明した。そのリスクが一時よりも低下したことから、「時間的余裕はある」という表現を使うのをやめたのだとして、今後は、政策決定は会合ごとに判断すると説明した。

こうしたキーワードは、市場との間の暗黙の了解に基づく対話の手段として中央銀行がしばしば使うものであるが、その内幕を露骨に明らかにするのは非常に珍しい。日本銀行の中で、市場との対話の考え方を巡って混乱が生じている可能性をうかがわせるものだ。

国際政治情勢は追加利上げを一定程度制約か

日本銀行が追加利上げのタイミングを決める際に大きな影響を与える要因が2つある。第1は政治からの圧力、第2はトランプトレードとドル円の動きだ。

日本銀行が「時間的余裕はある」という表現をしばらく使ってきたのは、石破政権からの金融政策への介入をかわす狙いがあっただろう。石破政権は発足直後に、デフレからの完全脱却を目指す観点から、日本銀行が利上げに慎重になることを期待するとしていた。

石破政権からの日本銀行への牽制は、その後和らいだが、今度は衆院選で大きく躍進をし、キャスティングボートを握る存在となった国民民主党からの牽制が始まった。玉木代表は、来年の春闘までは日本銀行は利上げすべきでない、と明言している。あらゆる政策で、政府、与党は国民民主党の意見を一定程度受け入れざるを得ない状況だ。年末の税制改正を巡る与党と国民民主党の協議は本格化している。こうした国内政治情勢は、日本銀行の追加利上げの時期を先送りさせる方向に働くだろう。

トランプトレード、円安は追加利上げを後押し

第2は、トランプトレードとドル円の動きだ。日本銀行が7月に追加利上げを実施したことや政府が為替介入を実施したことを受けて、7月から9月にかけて円高が進み、一時、1ドル139円台にまで達した。円高は先行きの物価見通しの上振れリスクを低下させることから、日本銀行の追加利上げを慎重にさせる要因になる。

ただし、10月に入るとトランプ氏の勝利を予想して、再び円安が進んだ。トランプ氏の経済政策が、米国経済の一人勝ちの傾向を一層強めるとの期待や、追加関税による物価高が金利見通しを押し上げ、ドル高を生じさせるとの見方が強まったためだ。

ドル円が155円~160円で定着し、政府が円買いドル売りの為替介入を実施する場合には、政府は日本銀行にも円安阻止に向けた協調策を求めるため、日本銀行は12月に追加利上げを行う可能性がかなり高まるだろう。

しかし、追加関税などのトランプ氏の経済政策は、米国経済にも相応に打撃となる可能性が高い。この点が認識されたことで、足もとで為替市場はやや円高に振れている。いわば、トランプトレードの見直しが起こっているのである。この流れが続けば、日本銀行が来年1月まで利上げを先送りすることを後押しするものとなる可能性がある。

以上の点を総合的に考え、さらに植田総裁が先週末の日経新聞のインタビューで「追加利上げは近づいているといえる」と発言したことを踏まえると、現時点では、日本銀行は1月ではなく12月に追加利上げを行う可能性がわずかに高いように思われる。

ターミナルレートは1%程度か

日本銀行が12月に追加利上げを行うのか、1月に利上げを行うのかは、日本経済や金融市場の先行きのトレンドを考える上ではあまり重要でないだろう。重要なのは、日本銀行がどこまで利上げを行うかである。

物価上昇率のトレンドが物価目標値の2%に達するのであれば、政策金利は2%近くまで上昇することになるが、その可能性を見ている市場関係者は多くない。ターミナルレート(金利の最終到達点)の水準は1%程度というのがコンセンサスではないか。

物価上昇率は2%を超える水準が続いており、それは来年も変わらないだろう。しかしこの物価上昇率の上振れは、円安による輸入物価の上昇という一時的な要因によるところが大きい。為替が安定を取り戻せば、物価上昇率は1%以下まで低下していくのではないか。円安の影響を特に受ける食料・エネルギーを除くコアコアCPIは、既に1%台半ば程度まで下振れている(図表1、図表2)。


図表1 基調的な消費者物価上昇率の推移



図表2 輸入物価指数



他方、実質短期金利の中立的な水準、いわゆる自然利子率は、日本銀行が示す様々な試算結果の平均でみると、小幅マイナスと考えられる。インフレ率のトレンドと自然利子率の合計から、1%弱程度が中立的な政策金利の水準、いわゆるターミナルレートと見る。

利上げペースは世界経済や為替など外部要因の影響を強く受ける

仮にもう一段引き上げられるとしても1%までと見ておきたい。現状では、短期金利の水準はかなり低いとの認識から、日本銀行は概ね一定の間隔で利上げをしている状況だ。しかし、1%程度の名目中立金利の水準が近づいてくれば、日本銀行は経済への影響を指標で判断する実証的なアプローチとなり、利上げのペースが相当低下することが予想される。

0.5%への利上げが2024年12月に実施される場合、0.75%に引き上げられるのは2025年6月と見たい。そこで金利は打ち止めとなるのが現時点でのメインシナリオであるが、かりに1%まで引き上げられる場合には、2026年1月とみる。

ターミナルレートは国内の経済情勢によって決まるものだが、そこに到着するスピードは、世界経済や為替動向など外部要因の影響を強く受ける。植田総裁は、トランプ氏の経済政策を注視しており、米国や世界経済をかなり悪化させるような一律追加関税策が打ち出されれば、次回の利上げ以降の日本銀行の政策は、しばらく様子見となる可能性もあるだろう。

プロフィール

  • 木内 登英のポートレート

    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。